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辞表を受け取った梅原部長は
「うわー、なんだよもう。変な奴ばっかり残っていっちゃうじゃん」
と嘆息した。
「どうしたの? 何かあったの? やっぱり原因はあれかい?」
部長はこっそり三宅を指さした。フロアの出入り口付近で、三宅は田丸を相手にホワイトボードの書き方がどうのこうのと説教をかましている。
「いえ、俺に関しては全く違います。でも、彼に関しては何かしら考えられた方が良いと思いますよ」
余計なことを言ったとは思わなかった。俺の辞職理由と三宅とは関係がなかったが、社内における我が部署のダントツの離職率の高さの原因の一つが三宅にあることは明白だったからだ。
退職後の俺は、家の近所に古びた柔道場を探しだし、再入門した。ゆくゆくは指導者資格を取るつもりである。もっと段位を上げる必要があるし、講習も受けねばならない。鈍りきった体に元気一杯の学生たちの相手はなかなかに酷で、毎日背中に鉛の板でも括りつけられているかのように疲労が溜まっている。
食い扶持を得るための手段は、コンビニの深夜勤務だ。コンビニの深夜帯は客は疎らで接客の気苦労は少ないが、品物の搬入・品出しがあるため、なかなかの力仕事だ。乱取りを多くこなした日は、無意識のうちに白目になっていることを同僚に指摘されたこともある。肉体的なキツさは数か月前と比べ物にならない。一日の消費カロリーなど軽く倍以上になっているのではないかと思われた。
体調は常に低空飛行、暮らしの見通しが立っているかも怪しい。状況的には全く楽観できるものではないはずなのだが、俺は会社員だった時代よりはるかに自分が自分の人生を生きていることを実感している。
他人に勧められるような生活では全くない。かといって親戚や知人が嘆くように、会社員であることを辞めたからといって一巻の終わりといったものでもなかった。「正気の沙汰じゃない」と言った知人もいた。だが、俺の住むこの国は、ここ数十年間失策を重ね、経済的には急坂を転がり落ちるように斜陽になりつつある。近年では疫病が蔓延し、天災がひっきりなしに訪れて、俺が若かった頃に見聞きしてきたような栄耀栄華の貯金はすでに食い潰されていた。安定した生活は大事なんだろうが、正社員であるという程度で安心・安泰な生き方を確保できているとも俺には到底思えない。
生きる上で一体何を大事にするかは人それぞれだ。俺の今置かれたような状況に他人が置かれた場合、「この世の地獄だ」と感じる人間も当然大勢いるだろう。
ただ、この俺に関しては、自らの脳細胞を意識的に殺しながら過ごす生活から解放され、美しいと思うものを衒うことなく称えたり、自分の良心に悖ることなく虚偽を拒んで生きることで、これまで俯瞰で眺めていた俺という器を再び自分の意志で動かせるようになったというだけの話だ。
元々疎遠だった両親との縁も完全に切れたし、会社で同じ会社の資本のパイにかぶりつく敵同士として同僚たちと足の引っ張り合いをする必要もなくなった。道場やバイト先で腹蔵なく人と話すだけで新鮮な感動がある。
―こんな感覚は何年ぶりだ?
思えば、これまでに人生腹に思うところを貯め込まずに接していた人間なんて「リアル・ワールド」の連中ぐらいでしかなかった気がする。馬鹿でイカレた連中だったが、利害とか支配とは縁のない関係性は、俺にとってこの上なく居心地の良い関係性だったことに今更ながら気付かされる。
俺が受けてきたような親からの虐待、或いは貧困と犯罪塗れの社会であえぐ連中、差別や憎悪に取りつかれた生い立ちの奴ら。生まれ育ちがそんなゴミ箱の中同然の環境であったとしても、自分まで意志を失った虚ろな人形や人でなしのゴミにならなきゃいけない訳じゃないのだ。
じゃぶじゃぶと水道水でもう一回顔を洗い、口をゆすいで、懐のタオルで水滴を払うと、人心地ついて闘志が再び燃え上がってきた。
ーさあ、行くぜもう一本。
勢いよくドアを開け放つと、ギョッとしたように驚く学生たちの顔があった。
了
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