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暗転
その日から黒崎は沙良の傍に自然と座るようになっていた。あまりにも自然だったので、沙良もそれが普通になった。何より知り合いができると分らないところや、確認などができてかなり助かる。予備校で話す友達は少しずつ増えていたが、一番話すのは黒崎となっていた。
黒崎は不思議な人だった。二浪でここにいると言っていたが、最初は沙良よりも低い点数で、「本当に二浪なの? 今まで何やっていたんだろう?」と内心思うほどであった。
しかし、そんな黒崎だったが、模試では日に日に点数を上げていた。
黒崎はそんな自分を隠すでもなく模試の結果も沙良に見せていた。そんな無防備な感覚が沙良との距離を縮めていったのかもしれない。自然と沙良も黒崎に隠すでもなく見せられるようになっていた。ライバルがいるとやる気になるのは本当だ、と沙良は思った。何より置いていかれないように、と思う不安もあって休みの日は二人自習室で勉強したりしていた。
気が付けばお盆が近くなり、「夕方なのに暑いなぁー」と思いながら、その日も沙良は黒崎と自習室で勉強を終えて帰宅していた。
「沙良は盆の間は何か予定あるのか?」
駅まで一緒に帰っていた黒崎が唐突に聞いていた。
「お盆ね、私は親戚とか居ないから何もないかな。お母さんそろそろ入院するからその準備ぐらい」
「入院? どこか具合悪いのか?」
「実はね」
ちょっと視線が宙を泳ぐと一呼吸置いた。
「不治の病ってやつかなぁ」
それを聞いて沈黙が走る。
「あ、大丈夫! そんなに深刻でもないから!」
慌てて沙良は首を横に振った。黒崎に重い話はしたくない、という気持ちもあった。何より母親の余命について実感もなかった。あれから百合絵は変わりなく生活していたからだ。一つ違ったことと言えば、今まで休みなしで働いていた百合絵が、仕事をしなくても生活できることである。それが百合絵の療養になっていると思うと、沙良にとって桐生に感謝しても足りないほどであった。
「私って本当に恵まれていると思う。感謝してもしきれない……」
そう言うと黒崎に笑顔を向けた。
「こうやって黒崎くんと友達になれたのも感謝だよ」
それは自然に発した言葉であった。母親のことや受験のこと……いろいろなことが春先で一気に起こり、沙良は正直まいっていた。不安と恐怖とでいたたまれない。
しかし、高校の時の友達は進学していたり、就職していたりで相談する相手もいなかった。
黒崎が声をかけてくれなければ――。
そう思う日もあった。だから素直に感謝を述べることができたのかもしれない。
そんな笑顔に黒崎は目を奪われた。「こんな笑顔のできる子なんだ」と正直驚いた。
「いや……俺は……」
黒崎は何か言おうとして言葉に詰まった。
「俺も沙良に癒されているのかもしれないな」
そう言い、立ち止まって微笑み返す。そして、沙良の頭を優しく撫でた。
沙良はドキっとしたが、それより嬉しかった。今まで黒崎の笑顔はたくさん見てきた。しかし、あんな優しい笑顔は初めてだった。
後ろのホームで電車が到着する。
「あ! 電車来た! また明日ねーっ!」
電車が駅に着くのに気が付き、我に返る。沙良は慌てて改札へ走って行った。
電車に間に合ったが動悸がかなりしていた。ホームの階段を駆け上がったからだろう、と思っていた。
(ちょっと……びっくりしたかも)
落ち着こうとすればするほど、頭を撫でられたことも原因だと気が付いていた。しかし、考えたくはなかった。今まで異性と付き合うことすらなかった沙良にとって、初めてのことでどう解釈していいのか動揺していた。
電車で窓際に寄りかかり外を眺め熱を冷やす。
沙良は黒崎のことを改めて考え始めてみた。ちょっと個性が強いけど、浪人生という同志でライバル。そんな立ち位置だった……はずだと自分に言い聞かせる。電車から降りてもその謎は解けることは無く、気が付いたら自分のアパートの扉の前に立っていた。
❖ ❖ ❖ ❖
「ただいまぁ」
普段と変わりなく扉を開ける。いつもなら「おかえりー」という声が聞こえていた。
何も聞こえない。
「あれ? お母さん出かけているの?」
電気は消えていた。暗い廊下だが慣れた足取りで歩く。そして部屋の電気をつけた。今日に限って伝統のスイッチに上手く届かなかった。
「あれー、今日に限って……」
手探りでやっとスイッチに手が届き、電灯をオンにした。スターターのパチパチっとした灯火で部屋に明かりが灯る。
ふっと目に入ってきたのは、眼下にあるどす黒い血の海と母親の死体。
『ヒッ』と小さく悲鳴を上げて数歩後退った。
「え……あぁ……おかあ……さん……」
一歩後退る。また一歩。ドンッと後ろの壁にぶつかる。思考回路の時が止まる。
血の池の真ん中に、百合絵はうつ伏せに倒れていた。既に頭と胴体が切り離れ事切れている。
慣れしたんだ沙良の母親の背中が、目に入る。微動だにしない百合絵。部屋は荒れて、血の足跡が周りを埋め尽くしていた。
――沙良の記憶はそこから無い。
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