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「修平」
いつものように柔らかな声が俺の名を呼ぶ。けれどその声に体がしびれるような錯覚を覚える。
少し怒りを含んだ声音。いつもにこにこと微笑む幸也が今は真剣な顔で俺を見ている。
「思わぬ獲物がつれたな」
その言葉にはっと我に返る。俺以上にこの場所は幸也にとって危険だ。ギラギラと獲物をねらう獣のような目をした男たちの顔を見て俺は叫ぶ。
「幸也、逃げ…!」
「お前は黙ってろ」
男の一人が押さえつけられた俺の腹部を蹴り飛ばし、俺はうぐっとなんとか悲鳴をおしころしてうめいた。
「ねえ、修平を離してよ」
幸也が静かにそう請えば男たちは顔を見合わせて笑う。
「代わりにお前が俺たちの相手をしてくれるならこんなやついつだって解放してやるよ」
「相手? 何の相手をすればいいの?」
「言われなくてもわかるだろ、サービスしてくれよ」
げへへ、とひげた笑いをしながら幸也へと近づいていく男、俺は拘束から逃れようとあがくがさらに拘束が強まる。「黙ってみてろよ、いいところなんだから」とあしらわれる。
「幸也、逃げろ、俺のことはいいから、行け」
俺が力の限りそう叫び、苛立った男が俺をにらみつけ再度蹴りを入れようとした瞬間、幸也にとびかかった一人の男の巨体が宙を舞い、その後地面へと叩きつけられる。その光景に驚いたのは俺だけではないらしい。その場にいた全員が皆一瞬動きを止めた。
まるで映画のワンシーンでも見てるかのような無駄のない鮮やかな幸也の一連の動きに一同唖然とする。
「そんなに驚かないでよ、僕だって護身術くらい習ってるよ」
この顔だからね、なんて冗談っぽく笑う幸也にあっけにとられる。今まで幸也を狙う者達からその身を守ろうと奮闘してきたが、そんなことをせずともよかったのかもしれない。そんなことを思うほどに洗練された動きだった。
幸也の動きに男たちは少しひるんだように後ずさる。しかし、俺をここに連れてきたリーダー格の男がくくっと小さな笑い声をたて、勝ち誇ったように叫ぶ。
「護身術がなんだ、所詮はΩ、直に薬が効いてくる」
ああ、そうだ、この教室はΩ専用の香がたかれている。
男の一声に男たちは自分たちの絶対的な優位を確信し、じりじりと幸也に距離を詰める。その様子はまるで弱る獲物を狙う猛禽類を髣髴とした。
しかし、彼らの思惑に反して平然とその場に立つ幸也に、ついにしびれをきらしたかのように叫んだ。
「なぜだ、どうして効かない…!」
「さあ、どうしてだろうねえ」
いつもと変わらぬ穏やかな口調、けれどこのぴりつくような空気を創り出しているのは間違いなく幸也だと分かる。
「ねえ、いつまで修平に触ってるの」
僕の大切な人に触らないでくれるかな、幸也のその言葉に俺を押さえつけていた男の拘束が緩む。俺が先ほどまでどれだけあがいても離れなかった拘束があっさりと解かれたことに驚きながらも、その後なんとか自力で這い出すようにして拘束から逃れた。
「幸也」
這うような体勢のまま幸也を見上げれば、幸也は俺の前にしゃがみ込みそっと頬を撫でる。
「遅くなってごめんね」
俺が病院で別れを告げたあの日より、目の前にいる幸也がはるかに大人びて見えた。
聞きたいことは山ほどあった。どうしてここにいるのか、とか、どうして幸也はこの場所にいて平気なのか、とか。けれど俺のすべての言及から逃れるように幸也は俺の額に口づけると、静かに囁いた。
「もう大丈夫だから、眠っていいよ」
特別眠気を感じていたわけでもない、けれど不思議な心地よさと安堵を感じて、俺は次の瞬間眠るように意識を失った。
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