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プロローグ
俺は覚悟を決めて顔を上げる。
不安げに揺れる恋人の瞳をまっすぐに見返して、俺は静かに言葉を紡ぐ。
「別れよう」
俺の言葉に大きな瞳がさらに見開かれ、耐えきれなくなった涙がコロコロと零れ落ちた。
「どうして・・・?」
消えてしまいそうなほどか細い声が俺の真意を問う。そんなこと聞かなくてもわかっているだろう。やりきれなさと悔しさに俺は両こぶしをぐっと握りしめた。
「もう俺はお前を守ってやれない」
Ωの俺ではお前を幸せにできない。いざという時必ず助けてやれる保証がない。
そんなこと、最初から分かっていたじゃないか。それでもこの「想い」だけでやっていけると愚かにも俺は今日まで信じていた。
***
この世界には男女の性差の他にもう一つα、β、Ωと呼ばれる性差が存在する。社会の成功者とよばれる8割をαが占め崇拝される一方で、最も卑下される存在Ωは成熟すると3か月に一度の発情期に苦しめられる。その期間Ωはよりよい種を求め、フェロモンを分泌しαやβを誘う。当然その期間中、Ωはほかのことが手につかない。Ωの差別は一昔前よりかは幾分かなくなってきてはいるものの、Ωが社会進出をすることがいかに困難であるかは想像に難くない。そもそもΩである者を雇う企業が少ないのだ。雇ってもらえたとしても他よりも少ない給料あるいは労働環境の悪い場所であることがほぼ大半だ。
だからこそΩがこの世界を生き抜く最良の手は、パートナーを見つけるしかない。その相手がαであれば尚良い。α側もΩを求める十分な理由がある。αとβでも、Ωとβでも、β同士でも、性差が違えば子供は産める。(Ωだけは性差に関わらず男でも妊娠は可能である)。しかしΩからしかαの子供が産まれることはない。α同士での妊娠の可能性はほぼ無く、さらに遺伝子の関係からかα同士が惹かれあうことはめったにない。そしてαとβあるいはβとΩとの間にはほぼ間違いなくβしか生まれない。αとΩとの間に唯一αの子が生まれてくる。諸説あるがβの遺伝子が一番強いため、αやΩの遺伝子を打ち消してしまうというのが有力な説である。βと比べてαとΩの人口が圧倒的に少ないことは言うまでもない。
さらにαとΩの間では番契約を結ぶことができる。αが成熟したΩのうなじを噛むことによって成立するそれは、Ωの発情期中のフェロモンを番相手のαのみに限定することができる。
αの出生率は年々減少傾向にある現在、αとΩの婚約は推奨されている。αとΩに絞った婚活パーティさえあるくらいだ。生まれた時から家同士がαとΩの子供を婚約者としてたてることなど大して珍しい話でもない。
そんな世界でΩ同士の恋愛はどれだけの苦難があるのだろう。遺伝子への反逆ともいえるこの恋愛に未来などないと頭では分かっているのだ。けれど俺は出会ってしまった。世界で一番大切な人、一番幸せになってほしいと願う人に。その笑顔を守るためならなんだってする。君が笑ってくれるなら他に何もいらないと本気で思った。
しかし運命は俺の想いをあざ笑うかのように簡単にこの関係を引き裂いていく。
子供のころのまま、ずっと楽しく幸せな夢を見てはいられなかった。心がそれを拒んでも体はΩとしての歩みを止めることはない。大学に上がり、半年ほど経ったある日、突然それは俺の身に降りかかった。「発情期」の初潮だった。
気づけば病院のベッドの上にいた。恋人である足立 幸也が心配そうに俺を見ている。俺は彼のために何ができるだろう、ふとそんなことを考える。彼を幸せにするのは自分だと思っていた。けれど、それは大それた願いなのだと今更になって気づく。
俺から切り出した別れ話の後、畳みかけるように続ける。
「お前にはきっと俺よりふさわしい人がいる」
お前の隣にはαが似合う。こんな俺なんかよりずっとふさわしい人がお前を守ってくれる。
「…修平がそれを言うの」
ぽろぽろと泣く幸也に手を伸ばしかけ、その手をぐっと握った。
幸也の涙をふく資格はもう俺にはない。
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