第13話 獣(ビースト)

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第13話 獣(ビースト)

 クレイヴァーは家畜の世話と乳搾りを終えると眩しい朝日に目を細め、 ほっと深い息を吐いた。  風に揺れる長く伸びた草色の髪は首の後ろでしっかりと編み込まれており、腰のあたりまで届く。 獣のように鋭い犬歯が口元から覗いている。 彼らの守護幻獣月狼(マーナガルム)の一族が持つ特徴の一つだ。  獣の特性を濃く受け継いだクレイヴァーの体は全身の感覚が動物並みに鋭い。 その力をフルに使えば筋力や瞬発力も普通の人間の数倍以上引き出すことも可能だし 狼のような姿へ変貌する能力(彼らは獣化と呼んでいる)も秘めている。  縦に長く収縮した瞳孔は彼が光を普通の人間の10分の1程度しか必要としないためで、 暗い所でも動き回るのに支障ない程度に視る事が可能だ。 三白眼のためか、目が合えば相当な威圧を感じる鋭い目つきをしている。 無論本人にはまったく威圧する気などないのだが。  草原はどこまでも荒涼と続いていて、そのずっと先に白い山々が小さく見えている。 山までの距離もどれほど遠いのかはわからない。 それくらいただっ広く自然以外にはほとんどなにもない大地だ。  クレイヴァーたちはソラニアの末裔。 彼らは短い草が生えている程度のこの大地に移動型の大きなテントのような家で遊牧や狩りをして 天術士同様、人知れずひっそりと暮らしていた。 「おにぃ、スープのお湯が沸いたんよ」  五、六歳位のくりっとした垂れ目の桃色の髪の少女がクレイヴァーを呼びに来た。 母の影響が強く話す言葉に訛りがある。妹のチコリーは十歳以上年の離れた妹である。 妹の方は兄と違って随分人懐っこい性格だ。 「今……行く」  両親が他の家庭と食べ物や物資を物物交換している間に クレイヴァーとチコリーがスープの支度をするのが彼らの朝の日課だ。 外の人と深く関わらず生きることはソラニアの末裔にとっては都合が良い。 それは、人と関わったり話すことを苦手とするクレイヴァーにとっても 穏やかで何一つ不満などない生活だった。  幼い日にソラニアン・オーブを父から継承した時にも、 ぼんやりと死ぬまで変わらずこんな日々が一生続くものとだ思っていた。  スープをかき混ぜていると、ふいに、 普段とは違う何かの気配がクレイヴァーの全身の毛を逆立てた。  弾かれたように立ち上がったクレイヴァーに、妹は丸い目を更に丸くした。 「おにぃ、どうしたん?」  妹の小さな体を抱き上げクレイヴァーはとっさに馬に乗せるとその尻を強く叩いた。 「えっおにぃ、おにぃ!!なんでぇ!!!」  チコリーが泣き叫ぶがクレイヴァーはそれに構っている余裕はなかった。 馬はいつも通りに少し離れた水辺へ向かうはずだから、ここにいるより安全だろう。  この違和感は一体何だ?原因不明の胸騒ぎが収まらない。 クレイヴァーは黄色い双眼を閉じて感覚を研ぎ澄ませた。 風の音も違う、地面がほんの、ほんのごく僅かだが揺れている。  他のテントからも民達が違和感を感じたのか外にでて気配を確かめようとしている。 クレイヴァーほどの力はなくとも皆常人よりも鋭い獣並の感知能力を持っているのだから当然だ。  集落へ近づいてくる人の数は......数人程だ。 なのに何故......強烈な不安感と焦りでクレイヴァーの背中を冷や汗が伝う。 いやな感じだ、とても。 「皆....に、逃げろ!!!!!」  クレイヴァーは声の限り叫んだ。 あちこちのテントから人がわらわら出てきて右往左往している。 その時、一番遠くにのテントから火の手が上がった。  感の良い者は素早く馬にまたがって逃げていく。 離れた水辺でチコリーを見つけてくれることをクレイヴァーは祈った。  長い混棒状の武器を手にすると、クレイヴァーは両親を探して集落を駆けた。 クレイヴァーが感知した部外者の足音はたった数人なのに、 あたり一面クレイヴァーの嗅覚ではすでに焦げ臭く感じられていて燃えるテントは急速に増えていく。 なにが、起こっている? 「父、母!?……どこだ!!??」  両親に似た気配を感じ、振り返ったクレイヴァーは絶望する。 そこに居たのはかつて”両親だったもの”だった。  父の胸には赤い血がべっとりと付着していて心臓があった場所から 向こう側の景色が見えている。 隣に立っていた母はあちこち焼け焦げていて、 いつも首から下げていた伝統的な羽の首飾りが無ければわからなかったかもしれない。 幸運を運ぶといわれる青い鳥の羽は煤にまみれている。 同じものを母が作ってくれた。それをクレイヴァーは片耳に今も身に着けている。  二人共もう生きてはいない、でも動いている。 そして両親の死体が手にした武器はクレイヴァーに向けられている。 こんな事ができるのは禁術に手を染めた死霊術師(ネクロマンサー)くらいだ。  気が動転し、息が荒くなるのをなんとか押さえつけ、 混棒を振るい、魔力を使い大地を隆起させクレイヴァーは戦った。 両親だけでない、ここにいる同胞だった者たちすべてと。 「アハハハハッ、頑張るネ~~!」  どんぶりを返したように丸く膨らんだ大きな帽子、赤と黄色のオッドアイ、 凶暴そうなギザギザの口元の少女は愉快そうに焦げたテントの梁の上から見下ろしていた。 「あいつが一番強いみたい、ママが言ってた例のヤツなんじゃない?」  その後ろで薄緑の髪を左右でお下げにした小柄な少女(?)が言った。 クレイヴァーが研ぎ澄ました嗅覚では男のように感じられたが見た目では完全に女に見える......一体どっちだ。 「私、アレを探してくるわね、あの大きいテントにあるのかしら?」 三人で一番背が高い、オレンジに黒いメッシュが入ったの髪の少女が 眼鏡を少し持ち上げてクレイヴァーのテントを差して言う。 「誰だ、貴様ら......!?」c42d8833-63e2-4fff-a25e-d0fdeee37095 「これから死ぬ者に名乗ル名なんてないネ!」  死霊術師が両手を大きく降ると 地面の中や近くのテントから大量に生ける死霊となった同胞達がボコボコと 沸きあがり生きていた頃よりも早いでたらめなスピードで襲いかかってきた。 「ハッ......ハッ......」  煙臭い濁った空の下、クレイヴァーは酸素を求めて喘いだ。  足元に折り重なるようにして転がる死体の山。 死霊術で操られている者を倒すには動けなくなるくらいに 体をバラバラにするしかなかった。  本気を出せば……ソラニアの末裔の力、獣化という力を使えば早く片付くかもしれないが いかんせん時間制限が有る能力だ、最後まで持つかわからない。 それだけではない、クレイヴァーはその力を同胞に使いたくなかった。  数分前まで同胞だった者たちへ非情になりきれず何度もためらった。 何人もの動く死体に囲まれて気がつけば全身に深い傷を負っていた。 流血している片目は、ほとんど何も見えない。  クレイヴァーは立っていられず片膝を付いた。 9fb4f2a9-5147-4a55-b12e-b75e350c10a0  帽子の少女が目の前に立っていて手に持ったムチをピンと張り、 意地悪くニヤリと口角を釣り上げた。 「ねぇ、見つけたよ~これじゃないかしら?」  重たい箱を持った眼鏡の少女の足音が近づいてくる。 クレイヴァーは完膚無きまで鞭打たれ、地面にボロ布のように転がっていた。 「ソラニアの文献はこの中に入ってるの?ママが知りたい事書いてあるかなぁ」 少年だか少女だかわからない、おさげの子供の声がする。 「............」 「アハッ、コイツもう虫の息ジャン、そろそろトドめさしてやるネ!」 「..............」  意識が沈んでいく、こいつらが何を言っているのか聞き取れない。 クレイヴァーが死んだと思ったのか目的を果たしたからなのか、 三人は一族が守り継いできた大切な書物を奪うと空間転移(テレポート)で立ち去って行った。 三人も一度に造作もなく転移させるなんて……。  その後、早々に川辺に逃げていた仲間達に発見され 驚異的な生命力と回復力で死を免れたクレイヴァーは妹を預け、復讐と警告のための旅に出る。  同胞を無惨な目に合わせたやつらを、子供だろうが女だろうがクレイヴァーは野放しにする気はなかった。 見つけ出して必ず復讐を果たすと両親の墓の前で誓った。  大陸を旅し、海を渡り、アドラステアという国へ向かう。  クレイヴァーが長から聞いていた話よればこの島の森深く、かつて獣の一族と親しくしていたソラニアの末裔が住んでいるはずだ。 同じソラニアの末裔ならクレイヴァーの嗅覚を研ぎ澄ませば、あるいは何か似たような気配を感じるかもしれない。 見つけて警告をしなくては、彼らにも危険が迫っているかもしれない。そこにやつらも現れるかもしれない。
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