4.主の計画

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4.主の計画

 主は、偉大なる光である。  光りすぎてその輪郭がわからないのだが、天を善と平和で満たす存在であることが誰にとっても確信できるのだから、不思議なものだ。  主の玉座へと伸びる白い階段には、先回りしたリファエルが控えており、切れ長の片目をもって天使らしい慈悲の眼差しを向けてきた。主の御前であるため、無闇に念話を交わすことはないが、シュリムエルは上官が労おうとしてくれていることを察する。 「神さま……」  少女は、下段から見上げた主に魅せられているようだった。  無理もない。輪郭が見えずとも、主だとわかるその神秘。無限の明るさにもかかわらず、苦痛を感じさせない光。大昔に使徒が見た光景を、アメリアはわずか9歳にして体験していた。 『ようこそ、人の子よ。天はあなたにとって、愛すべき場所だと感じられたか』  主の声は、まさに天から降りてくるように響き渡った。 「はいっ。とっても楽しく、神さまの愛を感じました」  シュリムエルは誇らしく思った。アメリアはまったくスれていない子どもだから、楽しませるハードルは低かったかもしれない。それでも、地獄の軍勢に勝利を収めるのとおよそ同等の達成感があった。  しかし、その栄光もつかの間だった。 「神さま……わたしは、本当に天へ招かれたんですか?」  固まるシュリムエル。見れば、リファエルの顔も驚愕に染まっている。  少女は、すっかりうつむいていた。  ──終わった……。  刹那の満足が萎んでいく。不意打ちだった。主と少女の会話を遮るわけにはいかず、流れを止める術はない。  結局、天使たちがどのような歓迎を企てても、こうなっていたのかもしれない。天使たちは、少女に振る舞いを指導するわけにもいかないのだから。主への態度を誤る者を天の国賓として招待すれば、それ自体が天の間違いとなる。 「わたしはここに来る前、お父さんとお母さんの車に近づいてくるトラックを見ました。とっても大きなトラックで……お父さんとお母さんが死んじゃったのに、わたしだけが生きのびたとは思えません。わたしは本当に、お客さんとして招かれたんですか?」 「──私も、同じように思っておりました。不敬を承知でお尋ねします。真実をお聞かせいただけないでしょうか」  アメリアに続いて飛んでくる、男の声。第二の衝撃。  シュリムエルが思わず振り向くと、彼は悠然と歩いてきた。  短く刈った、針金のような黒髪。知性を宿した凛々しい目つきに、彫りの深い顔。シュリムエルと同じくらい屈強な体躯に、その重みを感じさせない軽やかな身のこなし。  ロジャー・ウェルズ。ついに天軍を出し抜いた人間の元特殊部隊員であり、アメリアの父だった。 「お父さん!」  少女の表情が明るくなる。駆け寄っていいかどうか尋ねるようにシュリムエルを見上げてきたので、彼は力のない微笑みで応えた。主の御前だが、もはや気にすることもないだろう。  こうなった以上、シュリムエルとリファエルは堕天させられるか、主の怒りをもってソドムやゴモラのように焼かれるはずだ。体面にこだわる必要などない。  父親がアメリアを抱き上げ、静かに会釈を寄越す。シュリムエルは、ロジャーの作戦遂行力に感嘆しながら同じ動作を返し──忘れかけていたような疑問を思い出した。  この親子が言ったとおりだ。トラックとの正面衝突は、数々の戦場をくぐり抜けた父親を即死させるほど壮絶だった。後部座席にいたとはいえ、9歳の少女が無傷で済むだろうか?  仮にそんなことがあるとすれば……まさに奇跡だ。  そして、シュリムエルたちの小賢しい計略を見抜いているはずの主は、なんの異議も唱えずに申請を許可した──。  一連の要素が、ひとつの答えを形作る。シュリムエルは、自分の顔が少女を連れてきたときのように青ざめていくのを感じた。 『あなたがたは、今まさに、真実を見ている。天にあっては語る必要もないことだが、人の子が理解できるよう、改めて語ろう。──ただ3つのことだけが起きたのだ。少女アメリアは、両親とともに死んだ。そして、私が送った聖霊によって生き返った。最後に、なにが起こったのかを知らせるため、私が少女を招いた』  シュリムエルは、魂からなにから抜け落ちていくような気がした。リファエルも似た心地だろう。すべては主の計画の一部であり、査定部の手違いなど存在しなかったのだ。  シュリムエルは自らを呪った。そもそも、湖畔で取れた魚の数を部隊名にしてしまうほど壮大な主のお考えを、一介の天使が推し量ろうなどというのが浅はかなのだ。いや、153が神秘的な数字なのはわかるが。 『アメリア。あなたには力があるが、天へ迎えるには幼すぎる。地上へ戻り、自らに起きたことを伝え歩きなさい』 「でも……戻ったら、わたしは一人ぼっちです」 『安心しなさい。あなたは、天と地の双方で助けを得ることができる。私と、あなたの両親と──そして、二名の天使がついているのだから』  シュリムエルは、思わずリファエルと顔を見合わせた。  天から降ろされるのは想定内だ。しかし、なぜ主はまだ〝天使〟と仰るのか。 『シュリムエル、リファエル。人の子だけが試されていると思ってはいけない。あなたがたは、今日の出来事を天の誤りとして隠そうとした。一方で、あなたがたは人の子を悲しませずにここへ連れてくることにも成功した。私はあなたがたを堕とすべきかどうか、もう一度、試さねばならない。よって、地上への遠征を命じる。少女アメリアを護り、彼女を助けなさい』  シュリムエルは、再度リファエルと顔を見合わせ、ロジャーと視線を交わし、アメリアの顔が喜びに満ちていることを確認する。  肩の荷が降りたような、どこか晴れやかな気持ちで主に向き直ると、彼は「必ずや、成し遂げましょう」と頭を下げた。  どうやら、今度は自分たちが地上に迎えられるようだった──。
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