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 準備が整うと、こやけちゃんは食事を始めた。  とてもお腹が空いてたようで、まるで飢えた動物のように口に物がガツガツ運ばれていく。ちゃんと噛んでるのか心配になったけど、噎せることもなくきちんと飲み込んでるみたい。  あっという間にお皿は空になった。空になった皿は、「鳥が食べたの?」と聞きたい程度には散らかってたし、何かを引き摺って隠したかのような茶色い跡が残っていた。  テーブルマナーというものをこの子は知らないみたい。こやけちゃんの横で景壱はロールケーキを食べていた。こちらは芸術品のように綺麗な食べ方をしてる。  ご主人様と使用人って感じがするわね、こうやって見ると。 「ご馳走様でした! とても美味しかったです!」 「あ、ありがとう」  こやけちゃんは、にぱぁっと音がしそうなほどの笑顔で言うと、食器を流しに持って行った。そして、戻って来て椅子に座るとこう言った。 「菜季さんは、あの人達のことは心配ではないのですか? ほら、おばあさまと――誰でしたっけ?」 「にーちゃんのお母さんやろ」 「そうです。弐色さんのお母様のことです」  あたしはこやけちゃんに言われて思い出した。何で忘れてたのかしら。あの二人は大怪我していたから、手当てをしなきゃいけなかったのに。 景壱はノートパソコンをあたしに見せてくれた。液晶画面には、おばあちゃんの家のリビングが映ってた。どうして? 「どうしてリビングが映っているの?」 「知りたい? それを知るにはそれなりの代価が必要に――」 「知りたいに決まってるでしょ!」 「……あなたのような人間は初めてやね」 「ふふん。凄いでしょう! 主人の悪趣味もたまには役に立つのですよ!」  こやけちゃんは胸を張って誇らしげに言う。景壱は隣で眉間に手を当てて首を振っていた。  あたしには不安しかないんだけど。それはそうと、リビングがどうなっているか見ないと――リビングに二人の姿はあった。お互いに怪我の手当てをしている。良かった。 「ねえ、これ、声は聞こえないの?」 「主人なら音も出せるはずです!」 「はあ。聞こえるようにするのは良いけど、あなたは真実を受け止める覚悟があるの?」 「どういう意味?」 「真実を知るには、それなりの代価が必要になる。その代価は人によってはまちまちなんやけど、あなたの場合はとても苦しいことになるかもしれない。それでも良いなら、俺は音が出るようにしてあげる」 「良いわ。音を出して」 「……よく考えたほうが良いと思うけど?」 「良いからさっさと音を出してよ」 「ご主人様。菜季さんは貴方が思うような人間ではないようでございますよ」 「ククッ、面白いな。それじゃあ、どうぞ」  景壱がキーボードを弾くと、音が聞こえるようになった。おばあちゃんと葛乃さんの会話が聞こえる。 「あの子、知っていて渡したんだわ」 「菜季ちゃんにそんなことできちゃるんかねぇ?」 「最初にお守りの話をしなかったことが怪しいの。帰って来てすぐに報告しなかったもの」 「まあ、弐色のお守りを暴走させちゃってるくらいやものね……」 「今だって、あたし達の手当てもしないで消えちゃうくらい。とどめをさすほどのチカラは無かったから、やっぱり――」 「先生。見られちゃってるようやわ」  ここで映像が乱れて画面が真っ暗になった。  おばあちゃんってあんな顔する人だった? まるで別人のようだった。あたし、おばあちゃんに嫌われた。そのうえ、わざと襲わせたみたいになってる。どうしよう。  あたしが顔を上げると、こやけちゃんは不思議なものを見たような顔をしてから、景壱の肩に乗っているタオルを奪って、あたしの顔をぐしゃぐしゃに拭いた。 「痛い! 痛いわよ!」 「泣いているのです」 「……そりゃあ、涙だって出るわよ。大好きなおばあちゃんにあんなこと言われたんだし」  こやけちゃんからタオルを受け取って、あたしは顔に押し当てる。  もう後悔ばかりしてるわ。あたしは何でこんなに責められているのよ。だって、あのお守り――お守り? 「ねえ、景壱。お守りについて何か知らないの?」 「俺に『知らないか』を尋ねるなんてな。もちろん知ってる」 「じゃあ、弐色さんが葛乃さんからのお守りを受け取ったらどうなるかも知ってるわよね?」 「それをあなたは知りたいの? 今さっき、真実を少し知っただけで泣くようなあなたが」 「もったいぶらないで教えなさいよ!」 「それなら教えてあげる。あなたは一度答えを聞いてるはずやけれど。質問の答えは簡単。…………死ぬ」 「え? 本当に死ぬの?」 「にーちゃんは死ぬ。それだけ」 「どう死ぬかはわからないのですよ」  永心さんが取ってくれて良かった。  でも、あたしはあの人から受け取ったお守りでこうなった。あたしが戻り橋で声を出して、息をしたから。  ああもう、あたしって何でこんなにバカなんだろう! いっそ死んじゃいたいわ!  突き刺さるような視線を感じて、タオルを外すと、景壱と目が合った。  何処までも透き通った綺麗な碧い瞳。まるで星がきらきら輝いているかのようなきらめきも感じるけど、明らかにさっきと様子が違う。  なんだかあたしの内面を見通しそうなほど、目が透き通って見える。  怖くなったあたしはこやけちゃんを見る。  こやけちゃんの目は燃え上がるような赤い色をしてる。こっちは何も変わりないみたいだけど、景壱の目は怖い。 「菜季さん。駄目ですよ。今、死にたいって思ったでしょう?」  あたしの考えていることがわかるの?  脚が震えて立ち上がれない。  逃げるなんてできない。  目から涙が流れ続けるし、歯もカチカチ鳴るくらいに震えてる。  怖い。どうしよう。怖い。 「そんなに怯えなくても、私達はお客様を捕って喰いやしませんよ」 「自業自得ってところやと思うけれど」  トポトポ……。紅茶がティーカップに注がれる。  たったそれだけのことなのに、あたしには世にも恐ろしいものが注がれているように感じた。  タオルで涙を拭う。怖いなら、目を閉じれば良い。怖い物は見なきゃ良いんだ。  ことり、と食器を置く音がした。薄目で見ると、ティーカップがあたしの前に置かれている。良い香りがする。これ、紅茶じゃなくて、ハーブティーなのかしら。 「これは、カモミールとルイボスを混ぜたリラックス効果のあるハーブティー。これでも飲んで落ち着いて。ここにあなたを傷つけるものはいないから」 「ここは夕焼けの里。永久(とわ)の安らぎをお約束する素敵な里。ここでは誰も傷つかないのですよ」  こやけちゃんは歌うように言った。  あたしは促されるままティーカップを取り、ハーブティーを口に含む。飲んだ途端に身体の震えも止まり、歯のカチカチも止まった。  景壱の目は相変わらず透明度が高くて怖いけど、見ることはできるようになった。 「こやけ。そろそろお風呂入らな冷める」 「そうですね! 菜季さんも一緒に入りますか?」 「あ、あたしは遠慮しておくわ……」 「そうですか。それでは行ってきます」 「菜季はこっち。ついて来て」 「え、ええ」  キッチンとリビングが繋がっていた部屋を出て、階段を上って、突き当りを右。傘形のプレートがついた部屋。プレートにはご丁寧に名前が書かれていた。  部屋の中は、なんだか変だった。本棚の上にまで本が乗っている。あたしには届きそうにない。うっかり倒したら本に埋まって死んでしまいそう。そんな部屋の中央にはガラステーブルがあって、奥には、デスクトップパソコンが設置された勉強机……だと思う。形がそうだもの。その横にベッドがあった。  景壱はアンティーク調の肘掛付き回転椅子に座った。同時にパソコンの電源も入れたみたい。  あたしはとりあえず、ベッドに座ってみた。 「ああそっか。男の部屋に入ったことないんやね」 「あるわよ。弟だけど」 「…………」 「な、何よ? 何か言いなさいよ」 「うん。うん。わからないみたいやから教えてあげる。無知ってのは怖いからな」 「何なの?」 「あなたって強気な時と弱気な時の差が激しいな。とても人間味があって見てて面白い。それなら、教えてあげる。男は、本能的に無垢な象徴である処女が好きなもの。真っ新な子宮を自分の精液で満たしたい欲は必ずある。わかったら、さっさとベッドから下りてくれる?」  あたしは黙ってベッドから下りて、少し距離をとって絨毯に座った。  これからどうしようかしら。おばあちゃんのところにはもう戻れないわよね。実家にもきっと連絡がいってるはず。どうしよう。 「さっき言い忘れてた。夜食美味しかった。ありがとぉ」 「ど、どういたしまし、て……」  やっぱり目が怖いわ。何なのかしらこの違和感。凄く綺麗な目をしているのに、冷たくて感情が無いように見える。  あたしの不安が伝わったのか景壱は首を傾げた。彼は椅子に座ってるから、床に座ってるあたしは必然的に見下される。立っても見下されるんだけど。  あたしが何も言わずに俯いていると、カタカタ……単調な音が聞こえた。パソコンのキーボードを弾いている音。景壱の視線はパソコンの画面に向かっている。  あたし、いつまでここに居れば良いのかしら。でも帰るところはもう無い。  あたしは殺人未遂ってことで話をつけられていると思う。死んじゃえば楽になるの?  でも、あたしは何も悪くないのよ。だって、知らなかったんだもの。 「そう。あなたは悪くない。あなたは知らなかったもの」  景壱はパソコンに視線を向けたまま言葉を続ける。 「あなたは何も悪くない。悪いのは、あなたに何も教えなかった人達。あなたが知っていれば、あなたは、こんなに苦しむことは無かった。独りぼっちになることは無かった。あの森が禁足地だと知らなかった幼稚園の先生達も悪い。知っていれば、あの場所へ近付くこともなかった。タケちゃんも川で溺れ死ぬこともなかった。あなたが責任を押し付けられて職を失うこともなかった。呪いのお守りを渡されることもなかった。全ては、知らなかったことが悪い。無知というのは残酷やね。だが、あなたは知っていたから、ここに来てしまった。ここは、知らないものに道を開かない。ここは、知っているものだけが訪れることのできる救済の地だから」  歌うように言葉を続けた景壱は椅子から立ち上がると、あたしの前で目線を合わせるために座った。  その瞳は、さっきまでと全然違って見えた。太陽光を浴びて、キラキラ反射する海のように輝いて見えた。  怖くない。もう、何も怖くないわ。なんだろう、わからないんだけど、目を見ていると――安らぐ。  部屋のドアが開いて、オレンジ色が視界に入った。こやけちゃんが景壱に抱き着いている。頭にはタオルが乗っていて、ほんのり顔が赤い。 「ご主人様! 私、お風呂に入っていて思ったのです。お願いを聞いて欲しいのです!」 「お願い?」 「私、ペットを飼いたいのです」 「ペットか。情操教育には良さそうやな」 「人間を飼いたいのです。良いでしょう?」  こやけちゃんは景壱から離れて、あたしに抱き着きながら言う。  もしかして、飼いたい人間ってあたしのこと? こやけちゃんを見ると、目を輝かせて楽しそうな表情をしていた。景壱は少し悩んだような仕種をした後、溜息を吐いた。 「ちゃんと世話する? 嫌になって殺処分しない?」 「毎日お散歩にも連れて行きます!」 「うんうん。ちょっと心配やけど、殺処分しないって約束してくれたら良いかな。俺も人間を飼ってみたいと思っていたところやし。世話するのは嫌やけど」 「絶対殺処分しません!」 「それなら、飼っても良い。飼育書作っとこ……」 「やった! これからよろしくお願いしますね。菜季さん!」 「え。え。ちょっと、待ってよ! あたしは――」 「まさか、私のペットになるのが嫌だって言うのですか?」  驚くほどに感情の無いような冷徹な声で、言い放たれた。  そんなの勝手すぎる。あたしの意見も聞いて欲しい。とは思うけど、あたしに居場所なんて無いんだから、ここに居たほうが良いのかもしれない。  あたしは首を横に振る。  すると、こやけちゃんは嬉しそうに微笑みながら、赤いリボンを取り出した。  ちょうちょ結びの形のまま安全ピンで留められている。小さい子供が頑張って作ったような感じがして、あたしはちょっと笑った。 「これを肌身離さず身に着けてくださいませ。これは、貴女が私の所有物(モノ)であるという証なのでございます。今から部屋を準備してあげますね!」 「部屋?」 「はい! 菜季さんは私のペットという名のお友達なのです! こっちです。ついてきてください!」  あたしはこやけちゃんに手首を掴まれ、そのまま景壱の部屋から出た。 部屋を出る間際、振り向くと景壱が少し笑っていた。あら、あんな顔もできるのね。 「ご主人様――景壱君に何もされませんでしたか?」 「え?」 「彼は、人間の感性で言うと、見た目は『綺麗なお人形』のような方なのですが、人間から皮を剥がして、太鼓を作ったり、本の装丁をしたりするような方です。彼の部屋の本棚に人皮装丁本が何冊かあるはずです。言えば見せてもらえますよ。そして、貴女の部屋はここなのです」  皮を剥がして太鼓や本を作るってどんな神経してるのよ。想像しただけで全身が震えた。見た目からそんなことをするようには見えなかった。「ストーカーみたいな性格」というのは何となくわかったけど。  こやけちゃんは部屋のドアを開いて、あたしを迎え入れた。部屋の中は何処までも静まり返っているように感じた。  窓にはレースのカーテンがかかっていて、月の光が微かに入ってる。床にはカーペットが敷かれていた。ベッドにはぬいぐるみが並んで置いてある。まさしく女の子の部屋という感じ。 「この部屋を好きに使ってください。空き部屋なのです」 「空き部屋なのにこんなに家具があるの?」 「はい。私への貢物を合わせたらこんなことになったのです。ちょうど良かったのです」 「はあ」 「次に屋敷内を簡単に説明しますので、来てください」  こやけちゃんに再び腕を掴まれて、引き摺られるように後をついていく。お手洗いの場所やお風呂の場所、その他色々を案内された。  この子達は人間となんら変わりない生活を送ってるみたい。  こやけちゃんの部屋は景壱の部屋の斜め前。襖の部屋。ここだけ和室らしい。あたしの部屋はこやけちゃんの部屋の隣。いつの間にか、ドアプレートがかかっていた。 「景壱君がプレートを作ってくれましたね。可愛いたぬきさんです」 「たぬきなのこれ?」 「たぬきです」  何でたぬきにされたんだろう。いまいち理解できない。そこは感性の違いなのかしら。 「ところで菜季さん。血の香りがしますよ。お手洗いに行った方が良いです。ついでにお風呂に入れば良いです。着替えなら用意してあげます。さっさと行くのです」 「え、ええと」 「さっさと行くのです!」 「はい!」  あたしはこやけちゃんに言われるがまま、まずはお手洗いに向かった。  ……何でわかったのかしら。あたしは少し痛む腰を押さえながら景壱が言っていたことを思いだした。右にあるのよね。戸を開くと、確かに生理用品が整頓されて入っていた。しかもなんだか種類が多い。どうしてこんなにあるのか聞きたい気もするけど、聞くのもなんだか怖い。  そのままお風呂場へ入る。脱衣所には洗濯機とからっぽのカゴが置いてある。汚れたものはそのまま洗濯機に入れるみたいね。カゴは物干しへ洗い物を運ぶ用みたい。その横にはタオルと服と下着が置いてあった。こやけちゃんが準備してくれたのかしら。下着まで……って思って見ると、ちゃんとあたしのバストサイズのブラジャーだった。いつの間に準備したの? というか何で知って……あ、あの子か。あたしは妙に納得しながら溜息を吐いた。  浴室はほのかに温かかった。あたしは頭と身体を洗ってから湯船に浸かる。  余分なスペースはほとんどないのに、窮屈な感じはしなかった。天井が高くて、大きめの窓がついてるからかしら。窓から月光が降り注いでいる。何処にいても月が見えるなんて変な家。もう驚くのも面倒になってきた。  浴室を出て、身体を拭き、準備してもらった服を着る。ぴったりだわ。髪をドライヤーで乾かして、ついでに洗濯機を回しておいた。近所に家らしい家も見えなかったし、今回しておけば明日の朝にすぐ干せて良いわ。……何であたしもう馴染んでるのかしら。  お風呂場を出て、階段を上ると、こやけちゃんがいた。待っててくれたのかしら。 「ありがとう。良いお湯だったわ」 「夕焼けの里のお風呂は天然温泉なのですよ。美人の湯なのです。お肌すべすべなのです」 「へえ。凄いわね」 「私はもう寝るのです。明日は朝食をお願いします」 「わかったわ」 「それと、忠告しておきましょう。拝み屋は嘘吐きですよ。気をつけてください」 「え。それってどういう――」 「おやすみなさい」  あたしの話を最後まで聞かず、こやけちゃんは部屋に入ってしまった。  何でこのタイミングで拝み屋の話をしたの? 拝み屋って……弐色さんのことよね?  あたしはモヤモヤした気持ちを抱えながら、自室へ入り、そのまま泥のように眠った。
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