歴史趣味の者の手記

1/1
前へ
/3ページ
次へ

歴史趣味の者の手記

鍛冶町にはかつて美しい渚があった。 実に残念だ。 有名な詩が詠まれた渚はいまや跡形もなく、鍛冶場ばかりの町は煙たい。 ただ、良い点があるとすれば、この地の住民には迎えいれる気質があるということだろうか。 いや、そのせいでこのような灰色の町になってしまったのだから、良い点と言えるのかはわからない。 最初に迎えいれられたのは、吟遊詩人だったとか。 千年前。一文無しで浮浪者のようだったその者を助けたところ、美しい渚にちなんだ詩がつくられた。 詩は遠方まで広まり、渚はほうぼうからの物見(ものみ)の者でにぎわい、離宮まで建てられたらしい。 その恩恵から、この地の住民はを大切にしてきた。 国賊をかくまったこともあった。 なんでも、とにかくおむかえすることが第一であったからだ。 おかげで、討伐軍にこの地は焼かれたものの、住民はこの軍をもおむかえしたために(ゆる)された。 その後、焼け跡に鍛冶場をはじめとした工場(こうば)が乱立。 どんなものも迎えいれる精神ゆえであった。 こうして百年前。美しかった渚は造船所や港のために埋め立てられ、消えた。 いまや、渚の面影だけでなく、離宮や事変の史跡がない。 住民はおむかえ精神を遺したが、史跡を遺すことにはなんとも思わなかったらしい。 歴史を趣味で調べる者としては、残念である。 だが、住民のおむかえ精神のおかげで、この国は救われている。 この地に鍛冶場が集まったことで、鉄鋼製品の技術が高まり、世界から注目されている。 そして、この町の働き口はだれにでもある。他の地でのあぶれ者たちはここにたどり着き迎えいれられ、荒くれ者も汗水流して改心するらしい。 おかげで、王国内の平和が保たれているのは、ありがたいことだ。
/3ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加