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ーー
「もしもし?いや、大丈夫。うん…うん、そっか。ようやく決着着いて良かったな、お疲れ。え、俺?いや、今のところは。うん…そっち帰ると結婚しろってうっせえからなぁ。まぁ、時間あったらな。お前も気を付けろよ」
今喫煙室に誰も居なくてよかったと、電話を切った後に思う。同じ外商部の瀬良さんなんかがこなか居たとしたら、大体ゲスな話になって家族からの電話なんか出られなかっただろうから。
大人しい奥さん捕まえて浮気三昧で楽しんでるみたいだけど、多分その内痛い目を見る筈だ。女は男が思う程馬鹿じゃないし、男は女が思う程賢くない。
騙せてると思ってるのは案外、自分だけだったりして。
今しがた電話をかけてきた俺の妹も、いわゆる“サレ妻”ってやつだった。元旦那がかなり姑息な男で、終盤まで頑なに浮気を認めなかった。いよいよ妹から捨てられると分かると、足元に縋りついて泣き喚いた。
弁護士と妹と一緒に俺も話し合いに同席したけど、みっともなさ過ぎて引いた。それだけ離婚が嫌なら、先から浮気すんなと吐き捨ててやった。
あのクソ男は外面が良く、妹は控えめな性分で当初はひたすら耐えていたらしい。心を壊す寸前で俺達家族に助けを求めた。
何でもっと早く言わなかったんだと妹を責めたが、アイツは「愛しているから信じたかった」と泣いていた。
有責にも関わらずあのクソ男は離婚を渋り妹に執着していたが、やっと諦めたらしい。不倫相手が社内の女だったらしく、どこかの地方に左遷され二度と会うこともないだろうと、電話越しでも分かるしっかりした声色で妹は言った。
結婚してからの妹は、俺から見て全く幸せそうには見えなかった。旦那に遠慮して、言いたいことも一人で飲み込んで、それでも「自分が選んだ人だから」と堪える。
物事にも人にも執着のない俺からしてみれば、妹の考えは馬鹿馬鹿しいとしか思えない。けれど同時に、そこまで誰かを愛することが出来るアイツを羨ましいとも思った。
ーー彼を愛してるの。邪魔しないで
ーー彼の為なら私、死ねるから
この間の飲み会以降、そう言って俺を睨めつけた三笹さんの表情が頭から離れない。あれがただ、純粋に夫を愛してる妻がする顔か?いや、絶対に違う。
幸せなら、ただ横槍を入れる俺が鬱陶しいだけなら、あんな辛そうな顔はしない。
入社当初から彼女は不思議で、一見ただ地味で真面目なだけに見えてその奥には何かが隠されているような危うさがあった。少なくとも、俺にはそう見えた。
好きだとか付き合いたいとか、そんな風に見たことはなかった。ただ何となく、気になっただけ。
旦那の隣で笑っている三笹さんを見てるとムカついて、既婚者を狙う馬鹿女にもムカついて、それを庇う蒼さんにもムカついた。
三笹さんは一見淡々としているようで、多分足元は必死にもがいている。最初はただの興味本位、次は妹と彼女を重ね、そして気が付けば彼女自身を思い出している。
ああいう自分と真逆の女には、深入りしない方がいい。価値観が似ていて、すぐに忘れられる適度な付き合いの方が楽だと、分かっている筈なのに。
気が付けば俺は何を食べていても、無意識に比べるようになっていた。
ーー三笹さんの弁当の方が美味かった
と。
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