2257人が本棚に入れています
本棚に追加
今日は早番だった。夕方五時半頃会社の更衣室を出て、その足でスーパーに向かう。そこで散々悩んで、結局いつも通りの献立にしようと考えが纏った。
こんな日にご馳走を作るなんて、まるでお祝い事かもしくは最後の晩餐みたいだと思ったからだ。
「ただいま」
「お帰りなさい」
午後七時過ぎ、蒼が仕事を終え帰宅する。彼が手にしている荷物は、いつもの通勤カバンたったひとつだけ。
私も同じように微笑み、傷だらけの手に気付かれないようさっと後ろに隠す。
思えばいつも、こうだった。私はこの十年間ずっと、彼に何かを隠してきた。
素直に自身の感情を曝け出すことから逃げて、自分も蒼も傷付けて。
(…終わらせなくちゃ)
涙など見せるなと心を叩きつけながら、出来上がった料理をテーブルに並べていく。
二人向かい合って食卓を囲み、今日あった出来事を報告する。時折笑みも溢れ、まるで何事もなかったかのように穏やかに時間は流れていった。
食べ終わり、片付けを済ませ、私達はソファではなくダイニングテーブルに座る。蒼の前にコーヒーの入ったマグカップを置くと、彼は小さな声で「ありがとう」と呟いた。
「離れてから、ずっと考えてたの。私にはもう、蒼の隣に居る資格なんかないんじゃないかって。あんなことをして凄く傷付けたし、それを今までずっと隠してた。自分だけが傷付いたような気になって、捨てられる妄想ばかりして。私と居ると、蒼は嫌なことを忘れられない。だから離れるべきだって」
考えても考えても、六年前から正しい答えなんて一度も導き出せたことはなかった。私はいつも間違えてばかりで、狡くて弱い人間だ。
「…俺も、そんな風に考えた。どんな理由があれ、六年前に犯した罪は消えないし、茜にあんな行動をさせたのも原因は俺だ。何もかも、発端は俺なんだ。それを棚に上げて、茜をとられるんじゃないかって盗聴器まで仕掛けて監視して縛って。改めて考えると本当に最低過ぎて、許して欲しいなんて絶対に言えない」
カップから白い湯気がくゆり、私から彼の姿を隠す。
(ずっと、こんな風だったのかな)
心が曇って、大切なものが見えなかった。必死に伸ばした私の手はいつだって、空を切っていたのに。それに気が付かないまま、この関係を自分が守っている気になっていた。
私達は、似た者同士過ぎる。
このままではまた、同じことを繰り返すだけだ。
お互いの為には、離れた方がきっといい。
「……っ」
頭ではちゃんとそう、理解しているのに。
“離婚しよう”
どうしても、そのひと言が出てこない。
最初のコメントを投稿しよう!