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冷えていた蒼の指先に、段々と熱がこもっていく。彼が今どんな表情をしているのか、このぼやけた視界では分からなかった。
「六年前、あんなことになった時点で俺は言うべきだったんだ。別れようって。でもどうしても、それができなかった。もう二度と君に名前を呼んで貰えなくなると思ったら、身体が勝手に動いてた」
(…分かってる。私はちゃんと)
ちゃんと、愛されてたんだって。
私は彼のことを理解できるし、それは彼も同じ。どうしてこんな行動をしてしまったのか、よく分かっている。
離れたくなくて、捨てられたくなくて、忘れられたくなかった。私も蒼も、互いの“過去”になりたくなかった。愛し愛されていると、心で感じていた筈だったのに。
シンプルな感情が、一番難しい。
信じることは、海に飛び込むのと同じこと。
私は六年前、蒼から心を踏みにじられた。信じていた人に、私は裏切られた。
そして蒼もまた、三年前私に傷付けられた。信頼を取り戻すことに必死だった彼は、愛する妻から女を充てがわれた。
辛いのだと。苦しいのだと。
どちらかがたったひと言そう口にしていれば。
こうはならなかったのかもしれない。
「茜」
(ああ、やっぱり私は)
彼の声で名前を呼ばれるといつだって、
「愛してる」
こんなにも、幸せな気持ちになれる。
「蒼、蒼……っ」
「ごめん、愛してるんだ、ごめ、俺…っ」
「ふ、ぅ……っ」
「ごめん、ごめんなあ……っ」
蒼が乱暴に私の手を引いて、強く抱き締める。私もありったけの力で彼にしがみつきながら、声にならない声をあげて泣いた。
「私だって好きだよ、今でも大好きだよ!でも苦しいの、苦しくて、もうどうしたらいいのか分からない…っ」
「全部、全部俺が悪い。あの時俺が、俺が…っ」
どうしても、六年前のあの時の声が耳にこびりついて離れない。蒼の意思ではないのだと分かっていても、事実を受け入れられない。
責めたい訳ではない、謝ってほしい訳でもない。じゃあ一体どうしてほしいのかと聞かれても、分からないとしか答えられない。
あの日私が、部屋に行かなければよかったのか。会いたいなどと、思うべきではなかったのか。
結局は私が、全部悪いのだろうか。
「何もかも、俺が悪いんだ」
ほらやっぱり。
私達はとてもよく似ている。
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