閉ざされた世界

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 いったいどれぐらい時は流れたのだろうか。  暗い日々を送っていた俺のもとに、鳴ることを忘れていたスマートフォンが震えながらその存在を訴えた。  一瞬、なんの音かといぶかしく思った俺だったが、すぐに思い出す。  電話だ。音を頼りにスマートフォンを見つけ出す。  なぜか冷蔵庫に保管されていた。  画面を見ると非通知の着信だ。  恐る恐る通話ボタンをタップする。 「あなたにも順番が回ってきました。運命のラストチャンス。そのご案内になります」  無機質で抑揚のない声が聞こえてきた。名前は名乗らず、機械の自動音声案内のような一本調子で、準備ができた人から順番に案内している、特別なプロジェクトであるため詳細は言えないと前置きしたうえで、内容について話しはじめた。 「一度だけ過去に戻ることができます。あなたが戻りたい過去の場面。人生でもっとも楽しかった日。もう一度体験したいと願う日に。生きていれば一度くらい、そうした日があるでしょう。その一日に一度だけ帰ることができます」  信じられない。俺は半信半疑で電話の声に耳をそば立てた。 「ただし」と声は釘を刺す。やはりな、と思った。そんなうまい話があるわけない。 「いくらだ?」  鬱屈した日々を送る人間にあてた新手の詐欺だろう。暇なので少し構ってやることにした。 「お金はいりません」  意外なことを言うものだ。 「じゃあ、なにが欲しいんだ?」  声がうわずるのがわかった。もしかするともう一度、菜々子と優菜に会えるかもしれない。そういう淡い気持ちが胸の内に揺らぎはじめた。 「欲しいものはありません。あなただって、もうおわかりじゃありませんか? このまま閉じこもったまま終わっていいんですか?」  逆に訊き返された。 「ラストチャンスって言ったな」 「そうです」  俺は声の主の言う意味がおぼろげにわかるような気がした。 「だったら戻りたい」 「承知しました。ただし……。過去に戻っても歴史を変えることはできません。その日の様子をあなたは姿を変えて見るだけです」  ああ、信じられない。ずっと欲していた。まさに願ってもない話だ。たとえどんな姿だろうと関係ない。どうしても戻りたい過去がある。  俺は一も二もなく、「お願いします」と声を絞り出した。  ほんのわずかでいい。戻りたい日は決まっている。二日酔いでひとり家に残った、あの日だ。
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