儀式

1/1

0人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
わしらの地域には、昔から伝わる「お迎え」という儀式がある。 我が子が15歳になったら家を追い出し、10年後にまた迎えるというものだ。もし子どもが複数いるようなら、その内一人だけにさせれば良い。大抵は長男長女がその儀式を担うことがほとんどで、子どもはどんなことがあっても途中で帰ってきてはならず、それを破った家には不幸が訪れると言われていた。 わしらの家には息子が一人しかいなかった。歳をとってからようやくできた子で、それはもう大切に大切に育ててきた。 そんな我が子を追い出さなくてはならない日の前日、わしと家内は息子が産まれてくれた日と同じくらい涙を流した。彼が心配で心配で仕方がなかったのだ。 「お迎え」のために追い出された子どもたちは、自分で衣食住をやりくりしなければならない。うちの息子は無事にやっていけるのだろうか。ひもじい思いをしたり、悪いやつにそそのかされたりしないだろうか。何より、自分達ももう歳だった。10年後彼が無事に戻ってきたとき、きちんと「お迎え」を果たせるのだろうか。 わしらは地域の伝統に従い、15歳の誕生日を迎えた大切な一人息子を追い出した。息子はわしらの涙に気づかないふりをしながら、しっかりとした足取りで歩いて行った。儀式については子どもも小さな頃から言い聞かせられているため、覚悟を決めている。息子の大きくなった背中を目だけで追いながら、わしも家内もわんわん泣いた。 きっとわしらの息子なら、10年後無事に帰ってきてくれる。そう信じるほかはなかった。 それから5年後、わしらの地域は100年に一度と言われる大台風に巻き込まれてしまった。三日三晩ひどい暴風雨が続き、誰も経験したことのない大災害。その日の日暮れ後、ついにわしらの家も半分吹き飛ばされてしまった。 夫婦共々そのまま風に煽られ、すぐ近くにある崖までよろよろと転がされていった。とてもじゃないが抵抗できない。崖が背後に迫っている。雨がバケツをひっくり返したような勢いで身体を打ち、目も開けられない。家内は一体どこにいってしまったのか。不安が胸をよぎる。そしてそんな想いさえ呆気なく吹き飛ばすような暴風。 ふいに身体がふわりと浮き、バランスを崩してよろけると下げた踵の足場が崩れた。いつの間にか崖だった。声も出せず恐怖を感じることすら間に合わず、とっさに下を見るとかろうじて岩が突き出ているところに家内が身を細くして張り付いていた。 「あなた•••!」 自分もそこに落ちたらあの岩はただでは済まない。むしろそんな狭いところに運良く落ちるわけがない——。 そのとき、何かが手を握った。 助けが来た、わしはそう思った。意識が遠のく中、救急隊らしき方はずっとわしに何かを叫んでいてくれていた。滝のような雨で何も見えなかった。あまり力強くはないものの、必死に腕を掴まれ、気づくと引っ張り上げられていた。わしが崖の上に這い上がったことを確認すると、救助の方はまだ崖下にいる家内へ手を伸ばした。家内に向かって叫び続けているようだったが、もう聞き取る気力もなかった。幸い、わしよりも力はないが軽かった家内は早々に引き上げられた。そのとき、ゴロゴロと恐ろしい地鳴りと共に何か大きいものがこちらに勢いよく向かってきていた気がしたが、もう何もわからなかった。 気が付くと、二人揃って残った家の一部に丁寧に寝かされていた。驚いたのは、近くに血痕があったもののわしらのどちらも怪我をしていなかったこと、それから昨夜落ちかけた崖の近くに巨大な岩が山から転がってきていたこと。暴風雨はほとんど弱まっており、わしらはなんとか残った家の一部でやり過ごした。 どうかどうか、今どこかにいる大切な息子も、なんとか無事でいてくれることを心から願った。 数日の後、化け物のような台風はようやく去って行き空には虹が出た。地域の家々は倒壊していたが、住民の誰一人として欠けることはなかった。山も川も畑も大災害がひどい爪痕を残していたが、少しずつ少しずつ、地域の皆で協力し合い復興していった。1年、3年、5年経つと、すっかり家々が元通りになり、川の周りや家の周りには都会の協力をもって防災工事が行われた。 息子を追い出してから昨日で5年が終わり、あっという間に今日が「お迎え」の日となった。わしらは1日も息子のことを忘れることはなく、必ず帰ってくると信じ続けた。大分歳はとったもののなんとか夫婦共々このときまでいられたことを、神様に感謝した。 「お迎え」の日、迎える側は真っ白な衣装に身を包み、ご馳走を用意して盛大に迎える。玄関にはみかんを長い串に20個刺したものを2本両脇に置き、敷居には水を撒く。 こうして「お迎え」の準備が大方整った後、1人の男がわしらの家の前に立った。肌は日焼けして黒く、身体中傷だらけだった。顔もゴツゴツとしており、鼻と口の位置がなんだかバランス悪くズレている気がする。歯もいくつかないようだった。 「お父さん、お母さん、ただいま」 わしらはそれはもう驚いた。驚いて驚いて、その男から目を離すことができなかった。なんとその男は、自分達が10年前に儀式に沿って追い出した息子だと言うのだ。 わしと家内は彼から少し離れたところで、用心深く観察をした。体つきもがっしりとしており、筋肉隆々で、顔だけでなく声も変わっていた。彼は喉が潰れたような声を出した。 「本当にわしらの息子なのかね?」 彼は眉毛を八の字にし、微笑みを浮かべた。 「はい、父さん。ただいま戻りました」 わしらは信じられなかった。 「その身体はわしらの息子とは随分と違うのだが」 「ある日から、守りたい人のために毎日毎日鍛錬をして身体を鍛え上げました」 「その声はわしらの息子とは随分と違うのだが」 「ある日、人に大声で声をかけ続けなければならない状況があり、喉を潰してしまいました」 「その顔はわしらの息子とは随分と違うのだが」 「ある日、避けられない出来事により大怪我をおい、手術をしました」 わしと家内は顔を見合わせた。どう考えても息子には見えない。たとえ10年でもこんなにも変わるはずがなかった。この男は一体誰なのだ。 なおも微笑み続ける男に我々は恐怖を感じ、ついに追い返してやった。男はこの世の全ての悲しみを背負ったような表情で、わしらに背を向けて出て行った。 その夜遅くまで待ってもわしらの息子は帰ってこなかった。なに、まだ今日は5年と1日目だ。少しの差はあるさ。明日、きっと帰ってくるだろう。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加