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2X20年の東京――
私は、都市開発公社で整備課の課長補佐をしている。
今回のミッションを完了すれば、課長の椅子に手が届くかも知れなかったのだ。
この居住地区に車で着き、長いトンネルを通る。
そして長い坂を上り終えた私は、一つ息をついてから、来た道を振り返った。
夕方の日差しによって出来た影が、無人のアスファルトに伸びている。
無意識に、額の汗をぬぐってから、
「汗ばむなんて‥‥オレも、まだまだかな‥‥?」
1年ほど前から不通になったバス停の横から、薄よごれた路地に入る。
ここに来るのは半年ぶりだが、迷いはしない。
古びた瓦ぶきの屋根が並ぶ平屋住宅の奥――その一軒の窓の、カーテンが開いている。
ガタガタと引っかかる、年季の入った引き戸を開けると、モノラルなニュースの音声が、据えた臭いに混じって聞こえてくる。
『天皇皇后両陛下は本日、五十年ぶりとなる、月面基地ご訪問へ‥‥』
「田村さーん、こんにちわー。いらっしゃいますよねー?」
声をかけながら、バッグを置いて上がり込んだ。
ふすまの向こうで老人が1人、テレビを見ながら腕を組んでいた。
「あー、やっぱり、いらっしゃったんですね。都市開発公社、整備部課長の‥‥」
「ワシはな、お前さんのような人に、頼る気はないんじゃ」
ここから決まって沈黙の時間帯となる。
通い始めた頃は、三十分ほども彼の背中とテレビ画面を交互に見ていたような気がする。
ニュースが切り替わるタイミングで、振り向いてくれるようになったぶん、最近の私は期待感を持っていた。
が、田村さんは、また背中を向けた。
借り上げた白髪が、その性格を物語っているようだった。
「そうは言ってもですね、町まで買い物に行くのも大変でしょう。
去年から、バスも不通になりましたし‥‥
お隣さんも、引っ越されましたからね‥‥」
隣家に住んでいた佐東さん夫婦は面倒見がよく、独り身の田村さんのために買い物を手伝ってくれていたのだ。
そんな佐東さんも去年、国が用意した新天地に移住した。
いま思えば、その時がタイミングだったのだ。
この居住区は、まもなく寿命を迎える。
そのために国が、ほとんど同じ居住形態の新天地を用意したのだ。
それなのに彼は、何故か移住を承認しないのだ。
まさか田村さんが、これほど頑固だとは思わなかった。
私が溜め息をつきながら、端末を手にしようとした時だった。
「ワシも別にお前さんを困らせたい訳じゃない。天皇陛下も無事に月面基地へ到着された。ワシもどうしても‥‥とは言わん。が、せめてもう三日、待ってくれないか?‥‥別れを言いたいんだ」
「え? それは、誰にですか?」
「ワシの元にじゃよ」
「えっ? どういう事ですか?」
彼が指差す方を見ると、隣の部屋に誰かが倒れていた。
「えっ、それは‥‥どなた‥‥ですか?」
「ワシの元。田村雄三という元物理学博士だ。
彼は若い頃から機械いじりが好きで、ロボットなんぞを作ったりしておった。
そして物理学博士になり、アンドロイドに興味を持った。
ワシは、そんな彼が数か月前に完成させたアンドロイドなんじゃよ。
それから間もなく、彼は老衰で亡くなった。
この家の地下に研究所があるのさ。
だから、ワシの元の葬式をしてからということなんじゃよ」
私は、あまりにも意外な展開に、言葉を失った。
‥‥が‥‥
「あの‥‥ですね、生きている人間以外の転居はダメなんですよ‥‥」
「やっぱりそうか。なら話は早い。さっさとやってくれ」
アンドロイドの田村老人は、苦笑しながら言った。
私は、一呼吸いれてから端末を手にすると、転送先を変更してボタンを押した。
他界していた田村老人とアンドロイドの田村老人は、姿を消した。
そのシステム的なことは分からないが、これで一応の決着がついたのだった。
ちなみに転送先は国立処理センターで、生きている人間以外の「無縁物」は、全て処理されることになっている。
「しかし、私を待っていたものが、田村老人のアンドロイドだったとは‥‥今まで送った人達の詳細も、調べる必要があるかもな‥‥」
私は、ようやく無人になった家屋を後にした。
真っ赤な夕焼けが、ついに無人となった居住地区を照らしていた。
――おしまい――
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