少年十字軍 ~エティエンヌを待っていたもの~

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少年十字軍 ~エティエンヌを待っていたもの~

 ここは「神聖帝国」であるが、しばらくして「神聖ローマ帝国」を名乗ることとなる国である。  この世界の情勢は、13世紀頃の中世ヨーロッパにそっくりであるが、過去の地球なのかというと、さにあらず。  その証拠に、この世界には月が2つあった。  一つ目の月は前世でなじみのある月そのものであるが、もう一つは小さくて暗い。こちらは新円ではなく、歪んでおり、じゃがいものような形をしていた。  この世界はいわば異世界。  魔法が普通に存在し、森には摩訶不思議な魔獣が跋扈(ばっこ)するファンタジーな世界であった。     ◆  神聖帝国に地球から異世界転生してきた天才チートな男がいた。  彼の名はフリードリヒ・エルデ・フォン・ザクセン。  彼は、その前世からしてケンブリッジ大学博士課程主席卒業の天才量子力学者で他の学問にも精通しており、かつ、無差別級格闘技をも得意とするチートな男だった。  転生後も持ち前のチート能力を生かし、剣術などの武術、超能力や魔法を極めると、人外を含む娘たちとハーレム冒険パーティを作り、はては軍人となり破竹の昇進を遂げ、現在は神聖帝国のロートリンゲン大公の地位にあった。     ◆  第4回十字軍は、ビザンチン帝国の首都コンスタンティノポリスを攻め落としラテン帝国を築くなど、諸侯・騎士の領土拡大とその支援者であるヴェネツィア商人の商圏拡大を目的とし、極めて私利的な遠征となってしまい、聖地エルサレムへ向かうことはなかった。  このため、ローマ教皇インノケンティウスⅢ世は、新たな十字軍を編成するためにヨーロッパ各地に説教師を派遣し兵員を募るよう命じた。  十字軍の主体は諸侯や騎士が中心であったが、説教師に煽られた熱心な信仰者など民間人も参加することが多かった。  そのような民間十字軍のひとつに少年十字軍がある。  北フランスの少年エティエンヌが「神の手紙」を神から手渡され聖地回復をするようお告げがあったと説いて回り、それに感化された少年少女らが集まり結成されたもので、大人の庶民も多く含んだ民衆十字軍であった。  最終的には少年少女を中心に2万前後集まった。  マルセイユへと出発した彼らだったが、聖地へ向かうための船がなかったのはもちろんのこと、満足な遠征費すら持ち合わせていなかったため、極めて酷い食糧事情だった。  そこへイタリア商人を名乗る男が接近して来た。 「エティエンヌ殿。(それがし)、少年十字軍の強い信仰心に心を動かされました。つきましては、聖地エルサレムまで向かう船を無償で提供いたしましょう」 「ご厚意に心から感謝いたします。きっと神もおよろこびのことでしょう」  無償で提供された7隻の船に乗り、少年十字軍の兵士たちはエルサレムへと向けて出発した。しかし、7隻の船のうち、2隻の船がサルディニア島付近で難破してしまう。 「これは神が与えられた試練です。皆さん。これにめげることなく聖地を目指しましょう」  少年十字軍の兵士たちの信仰心は深かった。  悲劇はアレクサンドリアで起こった。アレクサンドリアでは奴隷商人が待ち構えていたのである。  無償で船を提供したイタリア商人を名乗る男は、最初からそのつもりで船を提供したのであった。 「サルディニアで2隻難破しちまったのは計算違いだった。損しちまったぜ」 「けっ。欲深い男だ。5隻分の奴隷の代金でも十分おつりがくるぜ」  奴隷商人は男の欲深さに(あき)れたが、その話に乗った奴隷商人も人のことを責められたものではない。     ◆  ある日。フリードリヒは、愛妾である熾天使(セラフィム)のミカエルに突然言われた。 「旦那様よ。神からの伝言だ」 「何だというのだ。突然に?」 「アレクサンドリアで少年十字軍の少年少女たちが奴隷商人に捕らえられた。これを助けよとのことだ」 「なぜ私なのだ?」 「さあな。だが普段我々をこきつかっているのだ。それくらいの代償をはらってもバチは当たるまい」  ──確かに天使たちを今まで使い回したツケを払えと言われればぐうの音もでないが… 「しかし、神はなぜそのような状態になるまで放置しておいたのだ?」 「さあ。神の深謀遠慮(しんぼうえんりょ)は我々の考えの及ぶところではない」 「そんなものかね…」  ──やはりヤハウェの行動原理はさっぱり理解できない。     ◆  既に捕まっているというのだから、すぐにでも行動を起こさねばならない。  タンバヤ情報部に調べさせたところ少年十字軍はエティエンヌというフランスの少年に扇動された民衆十字軍で、出発時の数は2万人ほどいたという。 「2万とは多いな…」  アレクサンドリアからだと常識的には海路で運ぶことになるが、ロートリンゲンには海がないため、船を持っていない。  ──しょうがない。ジェノヴァ共和国に頼むか…  フリードリヒはジェノヴァ共和国行政長官(ポデスタ)のフランソワ・グリマルディに船の調達を依頼した。  ──代金はしっかり請求されるだろうな…     ◆  今回は戦争ではなく、相手は奴隷商人だ。暗黒騎士団(ドンクレリッター)全軍が出動するまでもない。 「そうだなあ。今回は神の依頼だから天使軍団だけで行くか。それで十分だろう。ミヒャエル。どう思う?」 「十分だ。人族ごときに後れをとる我らではない」  ──確かに。なんだったらミカエルとガブリエルだけでもいいくらいかもしれない。  時間もないのでジェノヴァへはテレポーテーションで向かう。  現地では、フランソワ・グリマルディが待ち構えていた。 「グリマルディ卿。今回のご協力に感謝する」 「なんの。婿殿の頼みとあらば万難を排して事に当たるまで」 「まあ十字軍の救出に協力したとなればローマ教皇の覚えもめでたくなるだろう。良い点数稼ぎになるな」 「これは痛いところを突かれましたな。だが、代金は負けられませぬぞ」 「もちろんだ。そんなケチなことは言わない」  とりあえず借り受けた5隻の大型の船でアレクサンドリアへ向かう。  この時代は当然に帆船しかないが、風魔法を使ってトップスピードで急行する。  周りに風も吹いていないのに異常な早さで航行する船を目撃したジェノヴァの人々は「やはりロートリンゲン公は神に祝福されているのだ」と(ささや)きあった。  アレクサンドリアには一昼夜でたどり着いた。当時としては異例の速さである。  さて、問題の少年十字軍がどこにいるかだが… 「ミヒャエル。居場所はわかるか?」 「さあ。(にわ)かにはわからぬ。天使たちに探させようか?」 「いや。まずは私が探ってみる」  そう言うとフリードリヒは魔法の杖に(またが)り、アレクサンドリア上空を飛翔(ひしょう)した。  千里眼(クレヤボヤンス)で少年少女の集団がいないか探っていく。  いた。港の隅の方に5隻の船があり。その中にまだ詰め込まれている。さすがにこの数だと(さば)くのに時間がかかるのだろう。  だが、この時代奴隷というものは違法ではない。立派な財産である。これを取り上げるとなれば、それなりの口実がいる。  ──とりあえず舌先三寸で交渉してみるか…  天使軍団を引き連れて奴隷商人のもとへ向かう。  大勢の天使が降り立つ姿を見て、奴隷商人は何ごとかと飛び出してきた。 「我々は神の使いだ。少年十字軍の兵士たちの身柄を返してもらおうか」 「何をバカなことを。奴らはちゃんと代金を支払って俺が買ったんだ。文句は言わせない」 「彼らは(だま)されて売り飛ばされたのだ。代金ならば(だま)した本人に請求するがよかろう」 「つべこべと屁理屈を並べやがって…。めんどくせえ。おめえらやっちまえ!」  奴隷商は控えていた配下のゴロツキどもに命令した。 「愚か者め。神の使いに逆らうとは…」 「やつらを()らしめてやりなさい!」  ミカエルが天使たちに命じる。  騒ぎを聞きつけて奴隷の見張りに付いていた者たちも駆けつけて来た。総勢2百人といったところか。  天使といっても上級の天使は悪魔とも対等に戦える戦闘力をもっている。決着はあっという間に付いた。  天使なので相手を殺すことまではやらないが、打ちのめされたゴロツキたちがあちこちで痛みにこらえきれずに(うめ)き声をあげている。  フリードリヒはオリハルコン制の剣を抜くと、奴隷商の首筋に突き付けた。 「これで決着はついたな。命が惜しければ少年十字軍を開放しろ」 「わ、わかった…。おいおまえら奴隷どもを開放しろ」  ゴロツキ連中のうち、まだ動ける者がヨロヨロと船に向かっていく。 「おい。おまえら外に出ろ。開放してやる」  少年少女たちは一瞬キョトンとして意味がわからない様子だった。外に出てもおどおどしている。 「我々は神の声を聴いて君たちを助けに来た者だ。安心して付いて来てくれ」とフリードリヒはが呼びかけ、助けがきたとようやく理解したようだ。 「あちらに船が用意してあるから乗り移ってくれ。それから食べ物も用意してあるから自由に食べてくれ」  どうも満足な食事を与えられていなかったらしく、食べ物の話をしたら歓声があがった。  皆、我先にと船へと向かっていく。  フリードリヒのもとに1人の少年がやってきた。 「あのう。僕はエティエンヌといいます」 「君が十字軍のリーダーか?」 「そうです。私は神の手紙をもらいました。聖地に向かわねばなりません。協力していただけますか?」  ──こんな目に遭っているのにまだ神の手紙か…何と奇特な… 「その神の手紙を見せてもらえるかな?」 「あなたには助けられたから特別に見せてあげます」  少年が差しだした手紙を見てみる。  紙の質も悪いし、筆跡も悪い。明らかにあまり教養のない者が書いたものだ。 「この筆跡を見たまえ。これは神が作ったものではないな。おそらくあまり格の高くない説教師がでっち上げたものだ。君は(だま)されたんだよ」 「そ、そんな…僕はどうしたら…」  エティエンヌの目から大粒の涙が(こぼ)れ落ちる。  フリードリヒはエティエンヌを抱きかかえると頭を()でて(なぐさ)めてあげる。 「君は悪くない。偽物の神の手紙を作った説教師が悪いのだ」 「でも、皆を巻き込んでしまいました…」 「こうやって助かったんだからいいじゃないか。若いうちは何事も経験になる。今回のこともちょっとした冒険の旅だと思えばいいさ」 「わかりました。ありがとうございます」  エティエンヌはそのまま大声をだして泣き出してしまった。  ──気が済むまで泣くがいいさ。     ◆  フリードリヒが用意した船でマルセイユへ帰還する。  あらかじめ知らせを出しておいたので、近くの者は家族が迎えに来ていた。再会した家族は抱き合って喜んでいる。  エティエンヌを含め、北フランスなど遠くから来た者については路銀を持たせて送り出した。  ──なんだかんだいって結構な出費になってしまったな。だが、いちおうハッピーエンドではあるから、まあいいか。  その後、フランスの庶民層を中心に、フリードリヒは神や大天使の加護を受けた善行の人だと尊敬を集めることになった。  その分、フランスの国王や諸侯は一体何をしていたんだと株を下げた。  ちなみにローマ教皇イノケンティウスⅢ世からは、お褒めの言葉は一切なく、逆に「アレクサンドリアまで行ったのなら、なぜ聖地エルサレムへ向かわなかったのだ」と責められる始末であった。  まったくとんでもないくそ(じじい)である。 (これを老害と言わずして何であろう)とフリードリヒは思った。
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