44人が本棚に入れています
本棚に追加
外に出ると、空はすっかり暗くなっていた。
羽音と足音が近づいてきて、シュカがわたしの肩に乗る。
シアはリアの足元にすり寄った。
「さて、行こうか」
「どこに?」
「気づかなかったのかい」
馬鹿にするようでもなく、リアがきょとんとする。
「この村は変だ。黒パンは酸味が強いから薄くスライスするのは当然として、こんなにさびれているのに商人から大量に食物を買うことができるなんておかしい。赤ワインだって香りだけで上質だと判ったよ」
「味も上質だった……」
まろやかなのに魅惑的。フルーティーなのに、重厚。
何本でも飲める赤ワインだと力説しようとしたら、見事にスルーされてしまった。
「しかも、クリザンテム氏もミュゲも、きれいな服を着ていた。それだけじゃない。髪や肌の状態がいいということは、栄養状態がいいということだ」
「短い時間でそこまで考えてたの」
「8歳まで物乞いをしていたからね」
観察するのは趣味なんだ、とリアは笑った。
「さらには、こんな僻地なのに、頻繁に商人が訪れるなんて」
「なるほどねぇ。言われてみればそうかもしれない。でも、どうするつもり?」
リアがわたしの使い魔たちへ顔を向けた。
「シュカ、シア。この村に、おかしな場所はなかったかい?」
『たとえば~?』
「人の流れが集中しているところとか? 変なにおいがしているとか、違和感のある音とか、光とか」
『一箇所、心当たりがある』
ふわっとシュカがわたしの肩から離れた。
『大きな山に不自然な扉があった。夕刻になるとぞろぞろと人間が出てきて、まばらに散って行った』
「そこになにか、村の中心産業があるということ?」
「流石、飲み込みが早い」
ぽん、っとリアがわたしの頭に手を置く。
「ちょっと!? 人を子どもみたいに」
「シュカ。案内してくれないか」
『承知』
「無視かーい」
空飛ぶシュカを先頭に歩き出す。
しばらく無言でいたけれど、沈黙に耐え切れず尋ねてみた。
「……知的好奇心?」
「も、あるけれど。気になったことがもうひとつあって」
煉瓦造りの家々を抜けると、あっという間に闇が深く濃くなる。
同時に山へ向かうような道になっていく。あまり元気には見えないものの、道の両脇には木も生えていた。
「ミュゲの言葉。両親のように死んでしまうかもしれない、って言ったのをクリザンテム氏が制したとき。子どもが死を理解していないからっていうには厳しすぎる口調だった。それに」
シュカが高く昇り、大きく旋回する。
『ジャン。リア。あそこだ』
リアが言葉を区切って、立ち止まった。つられてわたしも立ち止まる。
木の陰に隠れるようにしてシュカの示した先を窺う。
「鉱山……?」
「なるほど、この奥に村の秘密があるんだな」
リアが両腕を組む。
明らかに、扉。大人の背の高さくらいのところに、灯りが点っていて、人が立っていた。
目を凝らして見る。
筋肉隆々のいかつい男のようだ。手には立派な槍を持っている。
「それに、もしミュゲがこの村を出たい理由がそこにあるのなら、協力したいって思わないかい」
「……もしかして、自分と重ねてる?」
「どうだろう。なんにせよ、選択肢があるというのは幸福なことだから」
リアがそっとわたしに手を伸ばして、いきなり抱き寄せてきた。
「僕は、ジャンシアヌが迎えに来てくれるなんて思っていなかった。その時点で幸福になれたよ」
耳元で囁かれる、低いのに甘い音。
不意打ちすぎて胸がいっぱいになって――息が苦しい。
かつてのこと。
王子に近づくと、いつも華やかな花の香りがしていたものだ。
リアからは、夕食に出てきたトマトスープの香りと染みついた土のにおいがする。
落ち着くにおい。だけど、心臓は早鐘を打つ。声を受けた耳が、熱い。
「リア、ちょっと。やめて、よ……」
なんとか声を振り絞れたのは、彼が力を緩めたからだ。
「……リア?」
どさ。
違う。緩めたんじゃ、ない。
力が急に抜けて、わたしにもたれかかってくるリア。受け止めきれず、一緒に倒れてしまう。
幸いにもわたしを避けて横に転がってくれたおかげで潰されることはなかった。
「どうしたの? リア?」
急いで起き上がってリアの肩を揺さぶった。
額に玉のような汗。瞳を閉じて、眉間に皺を寄せている。
『ジャン。足だ』
「っ!?」
シュカに促されてズボンを捲り、息を呑む。
右足が、くるぶしから膝にかけて、暗闇でも判るくらいに黒ずんでいたのだ。
『これは、呪いだね~』
「呪い?」
『本人の話していた通りだ。これは恐らく、グルナディエの呪い』
途端に動悸が激しくなる。
ほんとうに、呪いを解かない限り、あと2年の命だというの?
罠でもなんでもなく。
リアの言葉が、真実だと……?
未だに疑っている自分と信じたい自分がせめぎ合っている。
それでも、口から出た言葉は。
「魔法で応急処置することはできない、かな」
無理だとは分かっている。材料もなく呪いを解くのは、よほど高位の魔女でないとできない。魔法の修行をある意味サボってきた自分に歯がゆくなる。
『どうだろう~。痛みを和らげるくらいじゃない~?』
がさ。
物音がして、顔を上げる。
「薬ならあるわ」
「……ミュゲ……」
ふわりと揺れる、ワンピース。現れたのは家にいるはずのミュゲだった。
両腕を組んで、ふんと鼻を鳴らす。
「勘違いしないで。後をつけてきたんじゃないわ。あたしは、勘が鋭いのが自慢なの」
ミュゲの口調ではっきりと理解できた。
やはり、山の入り口は、村人にとって見られたくないものなのだ。
「ここにいたら村の人たちに何をされるか分からないから、あたしが村を案内していたら道を間違えたことにしてあげる。だから、早く帰りましょう」
魔女なんだから魔法でリアを運べるわよね、とミュゲは付け加えた。
最初のコメントを投稿しよう!