Ⅰ 旅立ちまでのプロローグ

2/6
前へ
/35ページ
次へ
 地下牢への幽閉。  城の地下に、窓のない閉ざされた空間があることは知っていた。  だけど、まさか自分がそこに閉じ込められるなんて思ってもみなかった。  足枷をはめられ自由を奪われたわたしは、おそらくそれらしい理由をつけて処刑されるのだろう。  もはやこうなってはどうすることもできない。 「しろがねの令嬢なんて呼ばれていたのが、嘘みたいだわ……」  独り言も自嘲ばかり。  名前の由来となった銀色の髪は艶を失い、肌もがさがさに荒れていた。  それでも。 『ジャンシアヌ。今年も見事な睡蓮が咲いたから、観に行こう』  瞼を閉じれば優しかった頃の王子を、笑顔を、思い出す。 『君の冷静さにはいつでも助けられている。これまでも、これからも』  婚約破棄を告げたときの王子は、正気ではなかった。  瞳に浮かんだ蜘蛛の巣のような模様……。  どう考えても犯人はアコニ・グルナディエだ。  グルナディエ家は呪術の研究をしていると耳にしたことがある。どうやって王子を呪いにかけたのかは分からないけれど、言葉巧みに近づいて絡めとっていったのだろう。  だけど、だからこそ。  打つ手なし。  今のわたしには、少しでも穏やかに死を迎える努力をするしかなかった。 「……?」  ところが。  冷たい壁に背中を預けてじっとしていたら、大きな足音が段々近づいてきた。 「ジャンシアヌ様! 助けに来ました!」 「……イリス……?」  息を切らせながら地下へ飛び込んできたのは、乳兄弟のイリス青年だった。  手にしていた鍵の束で扉を開け、わたしに近づくと膝をつく。  そして足枷までも外してくれた。じゃらり、と枷が床に落ちて転がる。  イリスは躊躇うことなくわたしの両肩に手を置いた。  忘れかけていた他人の体温に、思わず鼻の奥が痛む。 「今の時間帯、門番は私が懇意にしている者です。今なら逃げ出せます。さぁ、早く!」  琥珀色の髪は乱れているものの、同じ色の瞳は力強い光を湛えていた。  物静かで控えめな青年だと思っていたイリスの手は力強く、弱り切ったわたしにとってはとても温かなものだった。  そのまま手を引いて連れ出され、地下通路を進んでいく。 「この隠し通路から外に出ましょう」 「イリス。お父さまやお母さまは。お兄さまは、……」 「何も訊かないでください。ジャンシアヌ様が生き延びることこそ、フォイユ家に残された唯一の希望です」 「待ってちょうだい。イリス、いったい何が起きているというの?」  答える代わりに、イリスはわたしのことを抱きしめてきた。 「どうか、今だけはお許しください。……私はずっとジャンシアヌ様のはしばみ色の瞳が、まるで宝石のようだと見惚れていました」 「……イリス?」 「あなたは、私の希望でもあります。最初で最後のお願いです。どうか、生き延びてください」  地下通路を這うように登った先で、勢いよく体を押し出される。  よろめきながら立ち上がると、そこは小高い丘だった。  紺色。藍色。闇色の空。  月と星が静かに輝いている。  数日ぶりの外の空気を吸い込むと、待っていたかのように全身が震えた。 「だとしたらお願い。イリスも一緒に来て……イリス?」  振り返ると穴は閉ざされていた。最初から何も、なかったかのように。 「どうして」  足枷から解かれた足首がようやく痛みを訴えてきた。  力が抜けてその場に座り込む。  すると後方で、丘の下の方で、激しい警笛が鳴り響いていた。 「……どうして……」  一瞬前までは闇に包まれていた筈なのに、高く昇るのは火柱と煙。  わたしはそれが何なのかをよく知っていた。 「フォイユ家の館……」  それが、何を意味するのか。知っていた、わたしは。  アコニ嬢を迫害したことなんてない。  愛想のないわたしと違って愛くるしく、ある意味、王子とお似合いだとすら思っていた。  それなのに、どうして?  わたしがすべてを失わなければならかったのだろう……?
/35ページ

最初のコメントを投稿しよう!

44人が本棚に入れています
本棚に追加