Ⅰ 旅立ちまでのプロローグ

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――10年前―― 「ん……」  やわらかな朝の陽ざしに、ゆっくりと瞳を開ける。  同時に認識する。一瞬前まで目の前に広がっていた光景はかつての現実。  つまり、夢だと。 「……今さら、夢に見るなんて思わなかった……」  頬に違和感を覚えて指で触れる。おそらくは、涙が乾いた跡。  ベッドに沈み込んだ体は重たく、起き上がるにはもう少し時間が要りそうだ。  タオルケットにくるまり直して体を横に向ける。  夢を見るだけで体力を消耗するなんて何十年ぶりだろう。  すべてを失い、国を追われたわたし。  ()()うの(てい)で辿り着いたのは【最果ての国】と呼ばれる場所だった。  紆余曲折を経てわたしはシャルドンという魔女に弟子入りした。そして不老の体を得て、今に至る。  最初の頃は大魔女となって王国へ戻り、真実を明らかにし、復讐を果たそうと意気込んでいた。  ところが何故か行動に移すことができず、未だに最果ての国で暮らしている。 「……もしかして王子が転生したとか? ……ッ?!」  がばっ!  自分で呟いておきながらその可能性にびっくりして上体を起こしてしまう。 『ジャン?』  勢いに驚いたのか、鳥かごから使い魔の烏が声をかけてきた。 「おはよう、シュカ。びっくりさせてごめん」 『ジャンが挙動不審なのは今に始まったことじゃないから問題ない』  烏のシュカは常に冷静。主人のわたしに対しても容赦がない。 「まぁ、それもそうだけど。シアは?」 『知らない』  シアというのはもう1匹の使い魔。黒猫のことだ。 「シュカ。ちょっと気になることがあって占いをしようと思うんだけど、手伝ってくれる?」 『承知』  ベッドから抜け出して、寝間着から着替える。黒いハイネックでロングスリーブのワンピースはくるぶし丈。  それから、腰元まで伸びた銀色の髪の毛はゆるく三つ編みする。  シュカを鳥かごから出すと、軽く羽ばたいてからわたしの肩に止まった。 『しかし、苦手な水魔法を練ってまで占うとは。余程のことだな』  わたしの魔法属性は、土。  かつては【しろがねの令嬢】と呼ばれていたわたし。  今では【土の魔女】の異名を持っている。 「うん、まぁね」  シャルドンの元を離れて独り立ちをしたわたしの館は小ぢんまりとしていて、占い専用の部屋はない。  研究室兼アトリエの壺に水を張り、棚と壁の隙間から取り出したガラス板を載せる。 『えっ? ジャンが朝から酒を飲んでないだって~?』  呑気にあくびをしながら入ってきたのは黒猫のシア。  シアもシアで、主人に対して不敬発言が甚だしいけれど仕方ない。 『しかも水占いなんて、一体どうしちゃったの~?』  シアがわたしの左足にすり寄った。 「……夢を、見たから」 『夢?』 「わたしが魔女になるきっかけの」 『ふぅん』  尋ねておいて興味なさそうな返答をしてくるのはシアらしいといえば、シアらしい。  若干埃をかぶっている水見盤は、表面を軽く払ってからガラス板の上に。  壺の前に立ち、魔法の針で親指を刺す。  ぷつ。  指の腹に、赤い血が盛り上がる。 「ルヴァンシュ、ルヴァンシュ」  ぽとり。  水見盤の中央に血を垂らして、両手を翳した。 「ジャンシアヌ・フォイユが水に問う。ネニュファール・ユイット・グレーヌの魂はこの地上のどこかに転生したの?」  ゆらり、ガラス板の下で水が大きく静かに揺れた。 「えっ……?」  そして映し出されたのは……王子とは決して似ても似つかない、ぼろきれを身にまとった少年の姿だった。  痩せっぽちで、両手に何かを抱えて、ふらふらと歩いている。  ……物乞い? まさか。  だけど、水占いは確かに少年を中心に映している。 『へぇ。これが?』 『少年ってことは転生したのか~』  瞬きしている間に、少年の姿はふわっと消え去った。  わたしは気づくと拳を握りしめていた。 「シュカ。シア。行くよ」 『どこに~?』  今さら未練がある訳ではない。  ただ、気になった。  第一王子の転生した姿が物乞い?  真実を自分の目で確かめたくなったのだ。 「()()()()()()()()へ」 ・ ・ ・  決めてしまえば早いものだ。  わたしは竹箒を手に、屋根の上に立っていた。 「行くよ」 『了解~』  ふわっ。  魔女が空を飛ぶための道具といえば、竹箒。  一度乗り方を覚えてしまえば久しぶりでもなんとかなる。  空はあっけらかんと青く、風はほどよく心地いい。  たまには空を飛ぶのもいいものだ。  シアはわたしの左肩に乗って。  シュカは自らの翼で飛んでいく。 『グルナディエ王国ね~。グルナディエ一族に乗っ取られた、かつてのグレーヌ王国だっけ~?』 「言い方が悪い。第一王子とアコニ・グルナディエの間に男児が生まれた後、グレーヌ王家側の人間が全員不審な死を遂げただけ」 『それを乗っ取られたっていうのだ』  ふっ、と口元に笑みが浮かんでしまうのは何故だろう。  もう随分と昔のことだ。  今さら気になって姿を見に行くなんて、わたしもまだまだ精神の修行が足りていない。 『ジャンにとっては里帰りか』 「わたしの故郷はグレーヌ王国。グルナディエ王国なんて、知らない」  そして。  故郷から最果ての国へ辿り着くのは年単位だったけれど、空を飛べる今。  陽が沈む前にグルナディエ王国へ着いてしまった。
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