Ⅰ 旅立ちまでのプロローグ

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 リアへ向かって吹き出さずに済んでー! よかったー! 「げほっ、げほっ、……いきなり何を言い出すかと思えば」  目の端に溜まった涙を拭いながら言葉を返す。 「僕はネニュファールという名前の王子だった」 「落ち着いて、リア。自分が今何を言っているのか分かってる?」 「もちろん。僕は正気だよ」 「だとしたら、シュカやシアに何か吹き込まれた?」  冗談を言っているようには見えない真剣な表情のリア。  脇からシュカとシアが呆れたようにわたしを見てきた。 『そんな面白いこと、思いついたら速攻で実行している』 『シュカに同意。うーん、でもそんな気はしてたんだよね~』  シアがぴょんっとリアの左肩に乗る。そして頬をすり寄せると、リアがその顎を指で撫でた。  ごろごろと満足そうにシアが喉を鳴らす。 「はぁ!?」  この場でびっくりしているのがわたしだけだなんて。  解せない。解、せ、な、い。 「い、いつから……?」  まだ涙目のわたしにリアがハンカチを差し出してくる。  そういう気遣いも前世とそっくりだ。リアは悪くないけれど今このタイミングでそれをされると、理不尽とは分かっていてもむしょうに腹が立つ。 「ジャンに拾われる前日」 「って、最初からじゃん! どうしてずっと黙ってたの!!」  ばんっとテーブルを叩いてわたしは立ち上がった。  しかしリアは驚く様子がない。 「10年限定で面倒を見てくれるって言ったから。もうすぐ、その10年だから」 「言ってる意味が分からないんだけど?」  だけど、納得はできた。ほんの少しだけ。  だからわたしは10年前のあの日、前世の夢を見て。  水占いで王子の転生を知ることができたのだと……。 「10年間で、信頼を得ようと思ったんだ。前世の僕は()()()()()()()()()()()に酷いことをした。フォイユ一族に対しても」 「ジャンシアヌ、って」  それはリアへ告げたことのないわたしの本名だった。  シュカとシアに視線を流すと首を横に振られた。教えていない、という意思表示だ。  王子の名はともかく、わたしの名前は調べても出てくるものではない。  認めざるを得ない。リアの告白は、どうやら事実らしい。 「君の人生を狂わせたのは、ネニュファールだ」 「……」 「だけど、ひとつだけ訂正しておきたいことがある」  リアが身を乗り出してわたしの両手へ包むように触れる。  唐突さに、体が固まってしまう。 「ネニュファール・ユイット・グレーヌはジャンシアヌ・フォイユを最後まで()()()()()」 「は、はぁ?」  さらに突然の告白に声が裏返ってしまった。  愛していた、だって……?  ぱっ、とようやくリアはわたしから手を離し、椅子に座り直した。 「彼が婚約を破棄したのは、アコニ・グルナディエの呪いの所為なんだ」 「……やっぱり……、あっ」  あのとき瞳に浮かんでいた蜘蛛の巣は見間違いじゃなかった。  それを知ることができただけでも十分だったというのに、ふわっとリアが微笑む。まるで、わたしの反応に満足したかのように。 「さらに付け加えると、ネニュファールが死ぬときアコニはひとつ呪いをかけた。その生まれ変わりが20歳になったとき、不幸の底に落ちる呪いを」  こうも次々と告げられると反応ができない。  とりあえず、椅子に座り直した。  笑えない冗談にもほどがある。  ただ、アコニ嬢ならやりかねない話だとも思う。  20歳といえば、ネニュファールが亡くなった年齢でもある……。 「出会ったときに話していなかったことがもうひとつある。前世の記憶を得たとき、同時に僕はマグノリアとして生を受けて8年だと気づいた。つまり、あと2年。あと2年で呪いを解かないと、僕は前世以上に非業の死を遂げる」  わたしは、言葉を発する代わりに唾を飲み込む。  最果ての地にいても、第一王子の悲惨な末路は耳に入ってきた。  復讐しようとする気持ちが折れてしまった原因のひとつでもある。  もはや普段は忘れている痛みが、じくじくと蘇ってくる。小さく唇を噛んで、表情を見られないように俯いた。 「だからお願いがあるんだ。僕と一緒に、グルナディエ王国へ行ってくれないか? 呪いを解く唯一の方法が王国にあるんだ」 「唯一の、方法?」  反射的に顔を上げる。  深く頷くリア。  リアの言葉がどれだけ真実なのかは分からない。  だけど。  もし、その呪いを解けたら――積み重なってきたいろんな感情も、少しは昇華されるだろうか?  冷えた指先。やけに大きく聴こえる動悸。喉はどんどん、渇いていく。 「わたし……は……」  ところが真面目な雰囲気をぶち壊すかのように、シアがあくびをした。 『いいんじゃない~? この10年、のんびりしてた訳だし』 『今度はゆっくりと観光するのもよさそうだ』 「シュカ!? シア!?」 「決まりだね」 「ちょ、ちょっと?!」  歯を見せて笑うリアの表情は、王子とそっくりで。  前世も、今も。  そうやって微笑まれると、わたしは断れないのだった――。
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