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Ⅱ 実りのない村
「この村から王国入りするのが、最も簡単で安全な方法なんだ」
そう説明するリアに、わたしは溜め息で応じた。
「あらかじめ調べていたってこと?」
「勿論。どうやって王都入りするかはこの旅において重要だからね」
「確信犯め」
「その通り。これは、10年計画だから」
横を歩くリアがわたしへ顔を向けてウインクしてきた。
前世の記憶があると打ち明けてきてから、ますます言動が王子に寄ってきている。10年間も隠し通してきたなんて、呆れを通り越して感心するけれど。
――まず足を踏み入れたのは、最果ての国とグルナディエ王国との国境にある小さな村だった。
空は重たい雲に覆われて、灰色。
目の前に広がる色は茶色が多く、農作物や家畜を育てているようには見えなかった。
『さびれた村だな』
『人が見当たらないね~』
「この村に少し滞在して、村人を装って王都へ向かうよ」
リアは呑気な様子で背伸びをした。
紅い襟の白シャツにダークネイビーのベスト。
黒いズボンはストレッチの効いたもので、足元は履きなれた革のブーツ。
わたしは知っている。
ダークネイビーのベストは彼のお気に入りで、ここぞというときに着ていることを。
対するわたしは今や着るものにこだわりがなく、ハイネックで長袖の黒い黒いワンピースとショートブーツ。完全に普段着というか、これしか持っていない。
「大きな街へ行ったらジャンの服を買わなきゃね。真っ黒すぎて、かえって目立つ」
「なんで今服のことを考えているって思った訳?」
「ジャンのことなら大体分かるよ」
リアの手のひらががわたしの背中に触れる。
「ネニュファールも、マグノリアも」
「……へぇ」
ざらざらとした返事しかできない。
わたしはまだ、どうやってリアに接したらいいのか迷い続けている。
【ネニュファール・ユイット・グレーヌはジャンシアヌ・フォイユを最後まで愛していた】
信じられないでいるから。
彼の発言のすべてを受け入れてはいけないと、頭のどこかで考えているから。
胸が詰まりそうになって、話題を変える。
「それにしても、風が乾いている。シュカの言うようにさびれて見えるのは、この風のせいね」
しゃがんで、土を少し掬う。
さらさらとしていて握ってもまとまらない。
「曇っているわりに降水量も少なそう」
シュカがわたしの肩に乗ると、シアもしゃがんだままのわたしにすり寄ってくる。
使い魔の烏と猫は魔女にとってなくてはならない存在。
修行を始めるときに師匠から与えられ、ひとり立ちしてからも傍にいてくれるのだ。彼らのおかげで、長い年月を孤独に感じることはなかった。
『土の元気がないな』
「そうね」
そのとき、幼い子どもの大声が遠くから響いてきた。
「もういい加減に諦めたら?!」
立ち上がって軽くスカートの土埃を払う。
「村人かな」
リアが声のした方へ体を向けていた。
その背中に声をかける。
「とりあえず、行ってみようか」
「そうだね」
声のした方向へ歩いて行くと、畑のように整えられた地面の隅で、老人と少女が向かい合っていた。
「皆、言っているのよ。おじいちゃまがボケて、畑仕事を始めたって」
背中の丸まった白髪の老人が祖父で、一方的にまくしたてているのが孫娘のようだ。
「しかも、ボケた理由はパパとママが死んだせいだって話しているの。ねぇ、お願い。恥ずかしいから、畑仕事なんてもうやめて。どうせ芽なんて生えっこないわ」
少女は祖父の手にしていた農具を奪おうと手を伸ばす。
ところが、黙って聞いていた老人は、農具を後ろへ隠した。
「作物は実る。儂もボケてはおらん。言いたい奴には、言わせておけ」
力強い態度に、少女が一瞬怯む。なおも言い返そうと口を開いたときだった。
リアがすたすたと歩いて行き、ふたりの間に割って入った。
「突然すみません。この村では、作物が育たないんですか?」
「ちょっと、リア?」
慌ててリアの横に立つ。
いきなり現れたわたしたちに、ふたりがぽかんとした表情になる。
「ごめんなさい。わたしたちは旅の者です。この村に立ち寄ったばかりで、たまたま声が聞こえてきたので」
「旅人さん、残念だったわね。この村には人をもてなすような場所も心意気もないわ」
テラコッタ色のツインテールが躍るように揺れたのは、少女が両腕を組んでわたしたちを見上げたから。
くすくすとリアが笑う。
「心意気もないんですか?」
「そうよ。見ての通り辛気臭い村なの」
ふんっ、と少女が鼻を鳴らす。
「お嬢さん、お名前は?」
「人に名前を訊くときは、まず自分から名乗るべきじゃない?」
「失礼しました。僕はマグノリア。リアって呼んで」
「あたしはミュゲよ」
大きな瞳がわたしにも向けられる。
「わたしはジャン。はじめまして、ミュゲ」
「リアにジャンね。烏と猫も一緒なの? ふしぎな旅人さん」
「大事な相棒です」
へぇ、と興味なさげにミュゲが相槌を打った。
リアが膝を折って、ミュゲに視線を合わせる。
「最初の質問の答えを。作物は、この村で育たないのかい?」
「雨も降らないし、陽も射さない。土に栄養がないって、生きてた頃にパパが教えてくれたわ。この村で農業をするのはばかのすることだ、って」
「なんだと!」
ばか、という言葉に反応して老人が声を荒げた。
怒られると思っていなかったのか、ミュゲは縮こまって何故だかリアの後ろに隠れる。
「だって、皆言ってるもの。おじいちゃまは恥ずかしくないの?」
「恥ずかしくなど、ない。必ず作物は実る。実らせてみせる」
割って入ったせいで間に立つことになってしまったリアは、わざとらしく肩を竦めてみせた。
「ねぇ、ジャン」
「その顔はなに」
悔しいけれど、わたしもわたしで解ってしまった。
リアの言いたいこと。
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