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Ⅰ 旅立ちまでのプロローグ
――100年前――
「ジャンシアヌ・フォイユ。君との婚約は破棄させてもらうよ」
予想はついていた。
だけど衆人環視のなかで告げられると、流石に心臓が大きく跳ねるように痛みを訴えてくる。
ここは王城、豪華絢爛なダンスホール。
今の今までわたしの周りには友人の令嬢たちがいたものの、婚約者の一言によってさーっと波が引いたように離れていった。
浮いたように孤立してしまったわたしは、立ち上がり、婚約者と対峙する。
この国の第一王子、ネニュファール・ユイット・グレーヌ。
どんな絵描きが挑んでも表現しきれない眉目秀麗な彼。
光り輝く黄金色の髪。菫色の瞳。
立っているだけで人々を惹きつけてやまない彼。
……今は、きつく鋭くわたしを睨んでいた。
幼なじみでもある彼がこんな表情をするなんて信じられなかった。
いつも穏やかで、微笑みを絶やさなくて。
友人の誕生日には贈り物を欠かさず、毎月、お茶会を主催しては人々をもてなしていた。
慈善事業にも熱心で、この国の未来は明るいと言われていた。
最近、そんな彼が悪い方に変わってしまったという噂がまことしやかに流れていた。
わたしも真偽を確かめようと近づいても避けられ、躱され続けていた。
そして、今。
彼に寄り添っている小柄な女性の名前は、たしかアコニ・グルナディエ。
男爵家の一人娘。蝶よ花よと育てられたと耳にしている。
わたしと違ってふわふわで、きらきらで。
守ってあげたくなるようなオーラを身にまとっている彼女は、今にも泣き出しそうな表情でじっとわたしのことを見つめていた。
「アコニから話は聞いている。君は彼女を迫害していたそうだな。己の立場を利用し、弱き者を貶めるような者を王家に迎え入れることはできない」
事実無根です。
会話したことすらないというのに、どうしてそれが事実だと?
訴えたいものの、うまく唇が動かない。
それどころか、勝手に言葉が紡がれた。
「……かしこまりました。謹んでお受けいたします」
今、わたしは、何て?
ダンスホールに、波のように広がる動揺。その中心で、わたしがいちばん狼狽えていた。
それでも言葉は止まらない。
「これまでのご厚遇、心より感謝申し上げます」
わたしを動かしている力がある――?
一体、誰が、何のために。
「……ッ!?」
不意に王子の菫色の瞳を見つめて、全身が粟立った。
菫色のなかに蜘蛛の巣のような模様が浮かんでいたのだ。
瞬時に悟る。
王子もわたしも、操られているのだと。
ここで無理に逆らわない方がいい。一度受け入れて、体勢を立て直そう。
「失礼いたします」
黒いドレスをつまみ、できる限り優雅に頭を下げた。
公爵令嬢としての威厳とせめてもの矜持で、ダンスホールを後にする。
「……!」
ところが扉から一歩外に出た瞬間、左右から交差された槍で足止めされてしまった。
「ジャンシアヌ様。ネニュファール様の命により、あなたを幽閉させていただきます」
……やられた。
目に見えない敵は周到に用意してきたのだ、この日のために。
まるで蜘蛛の巣を、張り巡らすかのように。
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