がんばれ繊細さん

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 最悪な一日だった。電車に揺られながら吸い込んだ酸素をことごとくため息で吐き出す。久しぶりの休日に胸を躍らせていたのに。  はじめの映画館では前の席に座っていた二人組の女の子がひそひそと話をしていて集中できなかった。主演のいわゆるイケメン俳優のファンなのだろう。大きく映ったり相手役に甘い言葉を伝える度に顔を見合わせ声を押し殺しながら興奮を共有していた。もともと私は原作となった小説が好きで足を運んだのだが、キャストのイメージに寄せたせいか恋愛色が強まり本来の作品の持つ魅力が損なわれていたことも気分が下がる原因となった。  お昼は通勤時にずっと気になっていた喫茶店に足を踏み入れた。レトロな雰囲気の店内には爆音でジャズが流れる。それに伴い店主らしき老人の声も驚くほど大きい。頭がぐわんぐわんする。引き返そうかと思ったがさすがにそんな勇気はなかった。メニューを見るとお手頃な値段のパスタが十種類以上並ぶ。ひとつひとつじっくりと眺め大好きなクリームパスタの中でもきのこの入ったものを注文した。味は申し分なかったが具合が悪くなりそうな店だった。  その後はファストファッションを取り扱うチェーン店でセール品を漁った。お洒落に興味はないが、いつも同じような服で職場に行くわけにもいかず安くて上手く着回せるものを常に探している。使い勝手の良さそうなブラウスとスカートを見つけることはできたが、売り場を占拠する女子高生に邪魔されレジまで遠回りをする羽目になった。たどり着けたと思ったら店員の説明を聞かずに自分ルールでアプリを使うおばさんのせいで無駄に時間がかかり疲れ果ててしまった。  自分の行動が周りの人に迷惑をかけているかもしれないと、どうして考えが及ばないのか。いらだちが疑問へと変化する。  電車が止まりドアが開くとチャラそうな見た目の若い男性二人が大声で話しながら入ってきた。 「この前ナンパした女がマジ最悪でさぁ」 「またかよ。お前ほんと見る目なさ過ぎ」  吊り輪に体重をかけながら体を大きく揺らしけたけた笑う。  すぐに鞄からイヤホンを出し耳に突っ込む。お気に入りのロックバンドの曲を流し世界から意識を切り離す。  本当に最悪だ。どんな人と付き合ったかとか関係を持ったかで人の価値を量る人。私が一番苦手なタイプだ。今まで一度たりともモテたことのない私という存在が遠回しに見下されているような感覚になる。  別に彼らは悪くない。ただもし仲の良い人がそういう人で、私を見下すことで心を保っていたとしたら。そう思うと喉の奥がキュッと締まり言葉も息も詰まって涙が出そうになる。  今日起きたことだって、誰も悪くない。この世に生きる人間に、根本から邪悪な人なんてきっといない。感動を共有したい、好きな音楽を聴いてもらいたい、素敵な服を見つけたい、安く買い物を済ませたい。どれも自然な感情だ。それがほんの少しずつコントロールできなくなって大きなズレになっていく。  どうやら私はそのズレに敏感らしい。それを理解したところでなにもできないし変わらない。そんな厄介な自分自身と死ぬまで付き合っていくだけだ。  そんな自虐的な考えを巡らせているといつもの駅に着く。人の間をするりと抜けホームに降り立ち壁際に寄る。音楽を止めイヤホンをしまっていると茜から立て続けにメッセージが届く。  やっほー  元気にしてる?  ひさしぶりにご飯いこうよ  なんかいろいろ疲れちゃってさ  さおりから元気もらいたくて  都合のいい日おしえてー  飾り気はないがどこか安心する文面。高校の時から少しも変わらない。ここで返信するのも変だからとりあえず家に帰ろう。冷蔵庫にはお肉も野菜もあるはずだからどこにも寄らずに済む。そういえばビールを冷やしておいたんだった。頂き物のソーセージもある。  今日は確かに良くない日だったけれど、良いことは案外その辺に転がっているのかもしれない。きっと私は気づけるはず。だって些細なことに傷つくのなら、些細なことで幸せになることだってできるはずだから。
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