第十一話 聖女から悪女へ①

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第十一話 聖女から悪女へ①

 私は毎朝、貞淑(ていしゅく)な妻を装う為に薄化粧(うすげしょう)をして、慎ましく過ごしておりました。  シュタウフェンベルク家の家族、そしてリーデンブルク家の人々を恐れるように、素顔を隠すように。  けれども、今日から被る仮面は私の心の奥に宿る、アルノーへの愛を隠す為のもので、何と心強いものでしょうか。  私はレースの美しいドレスに着替え、メイドが用意してくれたイヤリングを耳につけると、私はギルベルト様の待つ食堂(ダイニング)へも向かいました。  何時もと変わらないアルノー、そして深酒の後をお隠しになったギルベルト様がいらっしゃいました。 「オリーヴィア。遅かったね」 「おまたせ致しまして申し訳ありませんわ、ギルベルト様」 「あの後、君とアルノーの事が気がかりで仕方なかったんだよ。飲みすぎてしまって、申し訳ないね。しかし、彼が夫婦の話に割り込んでくるとは思わなかったよ。――――」 「ええ。体調が優れませんでしたから……。昨日はどうやらようですし、ゆっくり休めましたわ」  私の言葉に、ギルベルト様は居心地の悪そうな表情を浮かべました。私がこのように夫としての不貞を、皮肉めいて言及(げんきゅう)した事は一度もありません。  私はいつものように笑顔を浮かべ、昨日とは別の仮面を被ったのです。  それから、私とギルベルト様の仲はますます冷え切っていきました。  別棟に愛人を住まわせ騎士団の任務が終えると、真っ先に寵愛(ちょうあい)する彼女の所へと向かいます。  もちろん、私には指一本触れる事はありません。このままでは、いずれ愛人との間に嫡男ができ、私はギルベルト様から離婚(りこん)を告げられてしまうのも時間の問題でしょう。  ――――けれど、私にはある計画がありました。  かつては、女神エルザの忠実な大鷲(おおわし)と呼ばれたリーデンブルク辺境伯も、歳を重ねるにつれて自身の肉体的な衰えを感じられているようでした。  美しいお義母様は、性に対しても自由奔放(ほんぽう)な方で、私が薄々感じていたように、ギルベルト様と歳の変わらない若い愛人がいらっしゃったようです。  その鬱憤(うっぷん)を晴らすように、お義母様がめったにお越しにならないお庭で可憐な花を愛で絵筆を走らせたり、アトリエに籠もって絵を描く事を楽しんでおられました。  獣人(オノレ)に対して、あれほど酷い仕打ちをした人には思えないほどに、才能と教養をお持ちでしたが、それが恐ろしくもあります。  私は、涙を浮かべながらハンカチを目元に当てると庭へ入っていき、ベンチに座りました。 「おお、オリーヴィア。此処(ここ)に来るとはまた珍しい事だな……あの気味の悪い獣人(オノレ)は連れて来ておらぬだろうな?」 「申し訳ありません、お義父様……私、一人になりたくて庭に来ましたの。アルノーはおりませんわ」 「……ふむ。浮かない顔をしているようだが泣いているのか? ギルベルトとまた何かあったのか?」  お義父様に聞かれると、私はさらに涙を堪えるようにして両手で顔を覆います。  リーデンブルク辺境伯は、何かと私を気にかけており、それが息子の妻を気遣うものとは異なるものだと言う事を、うすうす肌で感じておりました。 「ええ……お義父様。ギルベルト様の事で悩んでおりますの。ギルベルト様がずっと別棟に籠もられて私たちの寝室にお戻りにならないのです」 「――――ダニエラ嬢か。愚息(ぐそく)の女癖の悪さも伴侶(はんりょ)を迎えれば治るものと思っていたが、いったい誰に似たのやら。私の方から、もう一度ギルベルトに話そう」  隣に座ったお義父様は、ギルベルト様の浮気に呆れたように言うと、私を元気づけるかのように手を握ってこられました。  いつもならば、お義父様に触れられるような事があっても、やんわりと手を引っ込めてしまうのですが、私はリーデンブルク辺境伯の手を握り返したのです。  それには、さすがに驚いたようで私を伺うようにしながら視線を向けました。 「全て不器用な私が悪いのです、お義父様……。このままでは、リーデンブルク家の跡継ぎを生むことが出来ません。それならばいっそ……ギルベルト様のを嫡男に迎えるほかありませんわ」  お義父様の喉が音を立てました。  ギルベルト様は一人息子で次男(スペア)はいらっしゃいません。  もちろん、愛人もいらっしゃらないのです。  それから導かれる意味する言葉は一つで、察したようにお義父様の目の色が変わりました。ですが直ぐに私の要望(ようぼう)に答えるには、世間体(せけんてい)が悪いと考えたようです。 「ふむ……。オリーヴィア、考えておこう……これも息子のため、ひいてはリーデンブルクの存続のためだ。――――そうだな。この作品が終われば、お前を描こう」  私は頷き微笑みました。  リーデンブルク辺境伯は、慎重(しんちょう)な方で呼び鈴を鳴らさない限り、誰も寄り付かないアトリエに私を呼び、逢瀬(おうせ)を重ねようと言うのでしょう。  お義父様は初夜の騒動から、私とギルベルト様との間に、まだ一度も肉体関係が無い事を知らないようでした。  私がギルベルト様との行為を完全に拒んでいると言う事を口にする事は、夫として屈辱的で尊厳を傷つけられるものかも知れません。   「お待ちしておりますわ、お義父様」  私の誘惑に、リーデンブルク辺境伯が答えるのか不安ではありましたが、成功したようです。  庭先で話した時から、前にもましてお義父様は私を気に掛けるようになり、たびたび高額な装飾品の贈り物などして気を引くような素振りをしました。  それとも、私の気が変わってしまう事を恐れての行動でしょうか。  私はそれを素直に喜び、お義父様を喜ばせました。世間体を気にすると言っても、欲望には忠実な方なのでしょう。  刺々しさが消え、華やかな心の変化に身近な人々は察します。そのような言動を、やはりギルベルト様やお義母様は少々不審に思われていたようです。  これで彼らの、アルノーに対する疑惑の眼差しを逸らす事が出来たのかも知れません。  私も、出来るだけ彼に接することはやめ、わざと遠ざけるようにあしらいました。  ある日、アルノーは私を呼び止め嗜めるように両肩を抱きました。  執事がそんな無礼な行動をすれば、周りにどう思われるか、その考えが及ばないほど憤りを感じているようで、私は嬉しくもあり、また悲しくもありました。 「どういうおつもりですか、オリーヴィア様。私を避け、リーデンブルク辺境伯と親子の絆を深めていらっしゃるようですが……ギルベルト様も奥様が不審に思われているようですよ」 「何を言っているの、アルノー。お義父様は私を可愛がって下さっているだけだわ」 「……ですが」 「気にしなくていいわ、アルノー。貴方には関係ない事よ」  アルノーの瞳からは戸惑いと怒りが感じられました。  彼からすれば奇妙な行動でしょう。  結ばれてから、一度も彼に触れておらず、二人きりになることを避けたのです。  心を弄ばれたと傷付いてしまったのかも知れません。やはり、シュタウフェンベルク家の娘だと罵られ、私を殺したいと思うほど憎んでも良いのです。  私はこれから、恐ろしい事をするのだからアルノー、貴方はどうかその罪を背負わないで。 「……分かりました、お嬢様」  それだけ言うと、冷たく突き放すように歩きだす彼の背中を見送り、涙が溢れそうになるのを私は必死にこらえました。  泣くのは最期の時で良いのだから、今は弱気になることは許されないのです。 ✤✤✤  私は、遠乗りをすると言って嘘をつくとローブを深く被り街へと急ぎます。  できるだけ人に見られ無いようにして、私は裏路地を歩き、目的地の場所へと向かいます。  オフィーリア大陸には、それぞれの街に大抵魔女と呼ばれるような存在がいます。彼女たちは薬草に詳しく、美容や健康のために薬を調合し時には『まじない』をして、身分問わず頼られるような存在でありました。  敬虔な女神エルザの信徒であっても、それは例外ではありません。  不可思議な模様の看板を見つけると、私は緊張を感じながら、恐る恐る店に入りました。  怪しげな薬草やトカゲがぶら下がり、見たこともないような器具や骸骨が並んで、とても恐ろしく、不気味に感じられました。  店の奥には腰の曲がった白髪頭のお婆さんが、微笑むとしわがれた声で出迎えてくれます。 「いらっしゃい、お嬢さん。あんたが欲しいものはこれだろう?」 「――――どうしてわかったの? まだ何も言っていないのに」 「――――夢に見たのさ。あたしゃ、大きな出来事が起こるときに未来が視える。一滴でよく効くよ」 「ありがとうございます」  黒い小瓶を手にすると、私は多めにお金を支払いました。私は、手が震えるのを抑え再び馬に乗ると、偽りの家族の元へと戻ります。  庭園の美しい花たちの絵画をかきあげたリーデンブルク辺境伯が、近々私をアトリエに呼びつける事でしょう。  その時こそ、運命の時です。  ‘’リーデンブルク辺境伯の暗殺‘’  
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