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第十ニ話 聖女から悪女へ②(※アルノー視点)
あの日から、オリーヴィアは俺を避けているようだった。
彼女にしてみれば、一時の気の迷いで俺と関係を持ってしまった事を後悔しているのだろうか。オリーヴィアは、ギルベルトの本性を恐れており、むしろ他の女と浮気をしてくれている方が良いとすら考えていたように思える。
俺に純潔を奪ってほしいと懇願したのは、夫への当て付けなのか?
いや、そんなはずはない……オリーヴィアが俺に対して好意を持っていたことは幼い頃から知っている。そのように俺はあの娘を手懐けたのだ。
もしかすると俺の魂胆に気付いて恐れを抱いているのか?
――――それならばまずい。
だが、そう思わせるような行動は控えていたはずだ。それをどうやってオリーヴィアに確認する?
彼女を監視すべきだろうか。
クラウスに言わせれば、下僕を惑わす魔性はアルフレッド譲りなのだろうと嘲笑うだろう。
なんにせよ俺は、オリーヴィアが俺を突き放す事に苛立ちを感じ、不安を覚えていた。
復讐の手駒として考えていた娘が俺に牙を向いた事で、焦燥感に狩られていると言うのか。
むしろ、彼女が俺を突き放してくれた事で、無用な雑念が取り払われ復讐に集中することが出来るじゃないか。
それから何故か彼女は、ユーディトに媚を売り初めた。
初めからオリーヴィアに好意的だった奴は、鼻の下を伸ばし、家族やメイドたちが不審に思うほどオリーヴィアを可愛がっている。
人の世界では、息子の妻を寝取って妻とする男もいると聞くが、オリーヴィアも年老いたリーデンブルク辺境伯の妻の座を狙っていると言うのか。
いや、彼女は貴族の財産など興味がないだろう。俺は誰よりもオリーヴィアをよく知っている。
だからこそ、彼女の不可解な行動に頭を悩ませていた。
俺は復讐にしろ彼女を逃すにしろオリーヴィアを失う事にいつの間にか恐怖心を感じている。その想いは、あの夜交わってから強くなり無視できないものへと変わっていた。
『気にしなくていいわ、アルノー。貴方には関係ない事よ』
何度も俺の中で繰り返される悪夢のような言葉。リーデンブルクとシュタウフェンベルクは俺の人生の一部だ、関係ないはずがない。いっそオリーヴィアに話してやろうか、あのユーディトがどれほど卑劣で残虐な男かと言うことを。
お前の父は、我が姉や母を犯したのだとぶつけてやりたくなる。
だが、彼女にはなんの関係のない事だ。
怒りと愛しさで、心がバラバラになってしまいそうで、俺は初めて復讐を忘れられた気がする。
✤✤✤
オリーヴィアと話せない日々が続き、俺は悶々としていた。
その間にも、解放軍『獣の炎』が騎士団と辺境伯の目を欺き力をつけている。
そんなある日、俺は庭先で黒いドレスに身を包んだオリーヴィアを見かけた。
庭の奥には、ユーディトのアトリエが構えられており、あの男と逢瀬をするために向かっているのかと思うと、追いかけて問い詰めたくなる。
だが彼女は神妙な顔付きで、普段より表情がこわばり緊張感が漂っていた。オリーヴィアに気付かれないように、俺は後を付けた。
案の定、オリーヴィアはユーディトのアトリエへと向い扉を中から開けられると人目を気にする素振りをして室内へと入った。
やはり、あの薄汚い男と寝ると言うのか。
それとも何か人目を忍んで落ち合わなければいけないような秘密を抱えているのか。例えば解放軍の活動を知り、リーデンブルク辺境伯に密告するとか……。
くだらない妄想だ。『愛してる』と俺に告げたオリーヴィアの瞳に嘘はなかった。
俺は呼吸を殺してアトリエへと向かうと、人に見られぬように身を屈め裏側に周り座り込む。
中の様子を伺う為に黒豹になって木に登ると、その身を低くして木の葉に隠れ小さな扉から二人の様子を見下ろした。
ユーディトは、機嫌良く大笑いをしながら談笑している。オリーヴィアの声は聞こえないが、リーデンブルク辺境伯の相手をしているようにときおり頷いていた。
この日を待っていたかのように、老いぼれたユーディトは義娘に迫ろうとしたが、やんわりと彼女に押しのけられる。
オリーヴィアが奥の部屋へと引っ込むと、ワイングラスを二つ用意して彼に差し出した。あれはあの男が好むワインで、上機嫌になってそれを受け取ると、これから先の行為を楽しむための景気づけをするように、一気にワインを飲み干す。
「ぐっ……うぁぁ……!」
しばらくすると、リーデンブルク辺境伯は自分の喉を掻きむしるようにして倒れ込んだ。
俺は目を見開き腰を抜かして震えているオリーヴィアの元へと向かった。
いったいどういう事だ?
あの苦しみようは、まるで毒を盛られたような反応で尋常ではない。
執事の姿に戻ると、俺はドンドンと扉を叩いた
「お嬢様、ここを開けて下さい! お嬢様!」
「っ……あ、アルノー! どうしてここに……」
オリーヴィアはアトリエの小さな鉄格子の窓から青ざめた顔を覗かせると、俺がいる事に驚いたように目を見開いた。
俺を見るなり、困惑と共にその頬に涙を流すと頭を振る。
「開けられないわ、アルノー。私はリーデンブルク辺境伯を殺したの。お願いだから、ここを離れて貴方は自由になって。私はまだやらなけばならない事があるの」
「オリーヴィア……何を……」
俺は馬鹿だ。
オリーヴィアはもう、何も知らない子供などでは無かった。俺は少しでも彼女の愛を疑ったことを恥じて歯を食いしばった。
オリーヴィアが俺に敵意を向けたり、嘘をついたり、ましてや裏切るようなことなど今まで一度もなかったではないか。
厳格な両親の元、幼い時から孤独の城の中で唯一、心を許せる存在は俺しかいなかったことを良く知っていたのに。
彼女をこの場所から連れ出さなければ、反逆罪として幽閉され、処刑されるだろう。
俺から離れたオリーヴィアが部屋の奥へと向かうのを見ると、なおさら激しく扉を叩く。
獣人の力を使えば、やすやすとこの扉をぶち破れるかも知れないと思い、肉体を変化させようとしたが、俺は背後に気配を感じて振り返った。
そこには数人の騎士とギルベルト、そして後妻のアルマがいる。さしずめ浮気現場を取り押さえようとしたのだろう。
「アルノーそこで何をしている? 君も私の妻を追ってやってきたのかい。実は最近この城で良からぬ噂があってね、その現場を抑えられそうなんだ……そこにいるんだろう?」
「いいえ、ギルベルト様。ここには何方もおられないようです」
俺は平静さを装い、ギルベルト達を追い返そうとした。彼女だけは引き渡すつもりはない、殺気さえも漂わせて扉の前に立った。
ギルベルトはため息を付いて、肩をすくめる。
「君の忠誠心は見上げたものだが、早くどけ。私の妻の不貞を暴き、この城から追い出す」
「お前は獣人だけど優秀だから気に入っていますのよ。きちんと言う事を聞けばリーデンブルクの城で奴隷として雇ってあげましょう」
俺が口を開こうとした瞬間、アトリエの扉が開き喪服のような黒いドレスに黒いベールを被ったオリーヴィアが現れた。
床には毒殺され泡を吹いたユーディトが転がり、思わず騎士達が槍を構え、ギルベルトとアルマは目を見開いた。
「お嬢様!」
「お前、いったい何を……父上!」
「ユーディト様、な、なんてこと、人殺し!」
オリーヴィアは青ざめた顔をベールで隠すと何かを決意した強い眼差しで二人を見るとわずかに微笑んだ。おそらくこれが最初で最後の彼女の演技だろう。
「――――私、オリーヴィア・オストライヒ・シュタウフェンベルクは、父上であるアルフレッドの命を受け、リーデンブルク辺境伯の命を奪いました。無能なあなた方にこの領地を治めさせるわけにはいきません」
「――――なんだと?」
アルフレッド・シュタウフェンベルクの名前が出ると、親子の顔色が変わった。
リーデンブルク辺境伯の重税は人間たちを苦しめている事はこの親子にも伝わっているはずだ。解放軍の首謀者をアルベルトがするようには思えないが、政略結婚する前は『プロメテウス』後の隣国との戦争で一時期、両家の関係が冷え切った事があると聞いた。
アルフレッドは、ユーディトに不満を持っていた。
最近では、騎士団長のギルベルトが反乱分子を刈り取っているものの、無駄な金がかかりすぎていると、アルフレッドが遠回しに皮肉を言っていたとうんざりとしていたのを思い出した。
オリーヴィアの嘘も、ギルベルトとアルマにとって、あながち身に覚えがない訳ではない。
「反逆者め! お前は聖女のふりをした恐ろしい魔女だ! この女を捕らえて幽閉しろ。アルフレッドと共に処刑台に連れて行ってやる」
「させんぞ! オリーヴィアは渡さん!」
その瞬間、俺は黒豹に変わるとオリーヴィアを捕えようとした騎士に威嚇するように吠えた。
男たちは牛ほどの大きさのある俺に怯え、近付く事をためらっているようだった。
彼女を守る様に前進し、彼女を背に乗せこの城から抜け出そうと考えたが、腹部にチクリとした痛みが走り全身の力が抜けた。
俺の目に映ったのは、捕獲するための麻酔針を仕込んだ銃を向けたギルベルトと、泣きながらすがりつくオリーヴィアの姿だった。
「アルノー!」
――――オリーヴィア。
――――お前は、命をかけて俺のすべてを背負い込むつもりだったのだな。
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