第十三話 原罪を越えるもの①

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第十三話 原罪を越えるもの①

 あの場所に、アルノーがいるとは思いもしませんでした。  私が彼を遠ざけていたのは、リーデンブルク辺境伯を殺害し、彼へ疑惑が向かないようにするためです。  ――――なのに、どうして。どうして、ここに……何故、私を(かば)ってしまったの。  アルノーがどうなったのか、見届ける前に私は兵士に取り押さえられてしまいました。 「アルノーは関係ありませんわ、私を守ろうとしただけです!」 「主従愛か、美しいものだね。私は君とアルノーがてっきり浮気をしているのだと思っていたが、アルフレッドの暗殺者だったとはな」  私はもう、死を覚悟していました。  けれど、アルノーがどうなってしまうのか、それだけが気がかりで生きた心地がしません。  ヘイミル王と、母上、そしてご家族やお仲間を失ったアルノーの痛みは計り知れず、たとえ元凶であるリーデンブルク辺境伯を暗殺し、お父様を絞首台(こうしゅだい)に送ったとしても、気持ちは晴れる事は無いでしょう。  ユーディトの血は受け継がれ、新たな辺境伯が生まれるのですから。けれど私のようなか弱い存在であっても、肉親の犯した罪を私なりに償いたかったのです。  私は、ギルベルト様に両手を鎖で繋がれると政治犯などが幽閉(ゆうへい)される塔へと連れてゆかれる事になりました。  馬車ではなく、馬に引きずられるようにして歩かされ人々の好奇(こうき)な目に晒されながら私は歩み続けます。  道中、辺境伯を崇拝(すうはい)する『恩恵を受けた人々』には毒婦(どくふ)と罵られ『虐げられた人々』は無言のまま私に視線を送っていました。  重税に苦しむ人々は、英雄だったリーデンブルク辺境伯を尊敬しながらも絶望を味わった人々は、ギルベルト様に対してなにを思うのでしょうか。  歩き慣れない私の足には血豆ができ、引きずるようにして幽閉場所へと連れてゆかれます。私と同じように暗殺の首謀者(しゅぼうしゃ)として捕らえられた父上は、首に鎖を繋がれ逃げられないように、足にも重りが付けられておりました。 「何事だ! これは、何かの間違いに決まっている。戦友である私がリーデンブルク辺境伯を暗殺を企てるなどと、娘は乱心しておるのだ! オリーヴィア!」 「……いいえ、お父様! もう悪あがきはおやめ下さい。昔から、リーデンブルク辺境伯に愛想を尽かしていましたわ」  私はその言葉を封じるように叫ぶと、どよめきと共に小さな小石が投げられます。この時のお父様の見開かれ血走った目と、憎悪の表情は一生忘れることはできないでしょう。  けれど、私もいずれリーデンブルク辺境伯を殺めた罪と、お父様を陥れた罪を償うのです。  きっとギルベルト様に目撃されたのですから、裁判など行われることも無く私は処刑されることでしょう。  冷たい塔の上の独房に入れられ、兵士がその場から立ち去るとギルベルト様は小さな窓から私を見て、嘲笑いました。   「君は本当に愚かな女だよ。私に逆らわず妻として務めを果たしておけばもみ消してやることも出来たろうに。父上は頑固者でプライドが高く、私にとっても扱いにくい人だったからね、都合が良かった」 「……貴方のお父様なのに……」 「そうだな。けれど……いつまでもリーデンブルクの当主としていられたんじゃ、私は不自由なままだよ。君ほどの身分なら幽閉期間は長いだろう。君は美しく貞淑に見え、看守(かんしゅ)達にとっては最高の獲物だ……辱められるだろうな。処刑までの間、ときどき会いに来てやろう。もちろん、処刑のときにも見届けてやるさ」  どちらが愚かなのでしょう。  ギルベルト様がこんなにもおぞましく、醜い心を持っているとは思いませんでした。  お父様が暗殺された事を、好機だと考えているだなんて。私は口を閉じるとこれから先起こるかもしれない恐ろしい屈辱(くつじょく)を思い、体が震えるのを感じました。  あの夜アルノーとの繋がり感じられたのは夢のようで、処刑までの間、この冷たい暗闇の中で心の支えとなるはず。  私がこの世に生まれ落ちてから最も幸せな記憶となる事でしょう。  けれど、考えてしまうのです。  いまや私は罪人で、ただ死を待つだけの身。  きっと女神エルザの誓いを破った私の願いなど、天は叶えて下さらない。  けれど、もう一度だけアルノーに会いたい。  アルノーに会いたいの。 ✤✤✤  麻酔で朦朧(もうろう)とした俺を兵士たちは何度も蹴り続けた。口の中に鉄の味がし、意識を失うと、幻聴なのか遠くで笑い声とともに去っていく足音が聞こえた。  俺はいつの間にか、夏のオフィーリア大陸の青々と茂る草原の中一人で立っていて、風が吹き抜け俺の髪を揺らした。  自分の両手を見ると、まだ剣を持つには幼すぎる手をしている。  夢を見ているのか?  それとも俺は死んだのか。  前方には懐かしき父の姿がそこにあって胸が締め付けられるような、懐かしさを感じた。  復讐に失敗した罪悪感が、子供の頃の幻覚を見せているのだろうか。  偉大な若かりし日の獣人(オノレ)の王、ヘイミルは漆黒の鎧に獣の皮を靡かせていた。  俺は父の元へと歩み寄り、貴方や母上、そして仲間の復讐を遂げられず俺の代わりにオリーヴィアが……そうだ、オリーヴィア。  彼女は俺のためにその手を血で染めた。   『父上!』 『ディートリヒ』  ディートリヒ、懐かしい名前だ。  ヘイミル王の第一王子。人族によって滅ぼされた最後の獣人族(オノレ)末裔(まつえい)の真名だ。復讐の為に捨てたその名はアルノーとして生きていたぶん、まるで他人のような響きをしている。  クラウスにも、その名で呼ぶことを禁じた。  俺の魂は復讐心に穢れ、偉大な父上には及ばず、とうてい王としての器など無いと思っていたからだ。   『俺は……貴方と母上、そして仲間の復讐をすることが出来なかった……俺はオリーヴィアを』 『ディートリヒ、復讐ではなく王として還るのだ。我々の教えを覚えているのならば、愛する者を救え。そして導くのだ』    ――――滅びの王よ、獣人の王として帰還(きかん)せよ。    俺はオリーヴィアを愛している。  父上、母上、姉上、貴方達が求めるものは復讐では無かったのだな。  父の後ろに懐かしい人々の姿が見えた。 「アルノー様! 気が付いたぞ……大丈夫だ」   除きこむ鳩の獣人であるクラウス、そして数人の獣人たちが心配そうに見ていた。どの顔も見たことがあるような者達だ。  辺境伯の騎士ではない、人族の武装した解放軍(レジスタンス)の姿も見える。俺はどうやらあれから、彼らによって『獣の炎』の隠れ家に連れてこられたようだ。  体中に包帯が巻かれているが、獣人(オノレ)の体質的にしばらくすると回復していく。  おそらくあの兵士たちは身近に獣人がおらず、俺達が恐るべき回復能力を持つことを知らなかったのだろう。リンチし、放置すれば死ぬと思っていたはずだ。   「クラウス。お前たちが助けてくれたのか、すまない」 「間に合って良かったです。傷はほぼ回復しておりますが危ない所でした。しかし……あの虫も殺せないようなオリーヴィアが、リーデンブルク辺境伯を殺害するとは。これでアルフレッドも処刑される事になるでしょう。ギルベルトは……」 「ギルベルトが辺境伯でも絶望的だな。あの男は獣人達を目の敵にして、解放軍のメンバーをしらみつぶしに探している。重税も引き続き行うだろう」  クラウスの言葉に答えるように、人族の男が答えた。どうやらギルベルトは、貴族の間でもてはやされていても、庶民の間では評判はあまり良くなかったらしい。  俺は体を起こすと鋭い視線を彼らに向けた。 「――――解放軍を集めろ。リーデンブルク家がある限り、獣人も民も虐げられたままだ。そしてオリーヴィアを救出する」 「オリーヴィア? なぜ……アルフレッドの手先となった娘ですよ」 「違う。彼女は俺のためにユーディトを殺して俺のために死のうとしている。彼女は……我が妻となる(ひと)だ。この、ディートリヒのな」  俺はゆっくりと立ち上がると体に力が漲るのがわかった。  あの夢は王としての継承なのか。  かつて地上に生まれた獣人族(オノレ)は神々より己の姿を獣に変える魔力(ちから)を授けられたという。その中でも最も思慮(しりょ)深く力のある一族が王になり、後からやってきた人族が生きるために必要な火を分け与えた。  獣人族は、互いに分け与える事で友となる。  俺は復讐に燃える執事ではなく、王として彼女を迎えねばならない。  そして、捕らえられ虐げられた仲間達を開放する。 「……! ディートリヒ様……亡き王の鎧は我が同胞が大切に保管しております」 「…………」  俺は頷いた。  オリーヴィア、待っていてくれ。  
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