第十四話 原罪を越えるもの②(※アルノー視点)

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第十四話 原罪を越えるもの②(※アルノー視点)

 ユーディトが暗殺されてから、リーデンブルク家の家長はギルベルトが継ぐ事になった。その日のうちに、オリーヴィアとの結婚を解消し、かねてより愛人だった貴族の女を正式に邸へと招き入れたようだ。  いずれ、その女が正妻となるのだろう。  ギルベルトは以前より提案していた獣人(オノレ)を正式に人族の財産としてとり扱い、今まで以上に自由を制限する政策を銘打った。  その影には、さらなる重税に対する人々の不満の矛先(ほこさき)獣人(オノレ)に向ける意図があったのだろう。  ギルベルトの愚かさは貴族ゆえか親譲りなのか、ユーディトから息子の代に変わり、少しは今の生活が楽になるかも知れないと、わずかな希望を抱いていた民の心を打ち砕くには十分だった。  獣人(オノレ)を奴隷にできるような者達は、金持ちか娼館の主のような人間に限られている。  リーデンブルク辺境伯の領地を支える農夫達が獣人(オノレ)を買うにはどれたけ金が必要なのかなど、知りもしない。    獣人(オノレ)に対して、人は様々な感情を持ち合わせている。別の種族への畏怖(いふ)、蔑み、憧れ、哀れみ……など。  どの感情も、今の俺にはどうでも良く互いに利害が一致(いっち)さえすればそれで良かった。  ――――敵を討ち、オリーヴィアを必ず助け出す。  すでに『獣の炎』は水面下で計画を進め、解放軍の武器は行き届いていた。そして街の外には貧素な武器を持った農民たちが集まっている。彼らだけでは失敗する可能性は高いが、獣人(オノレ)達がそれに加勢するのだ。王都から加勢が来る前にここを完全制圧する。 「ディートリヒ様」  クラウスの言葉に、俺はうなずいた。  懐かしい父上の鎧を身に纏った俺は体を駆け巡る獣の感覚を呼び起こし、同胞たちを振り返った。 「――――その爪も牙も我々は狩りのためだけに使う。だが、今同胞たちよ……創世の時代より受け継がれしこの大地を取り返すのだ! 我らは今日自由になる。獣も人も――――リーデンブルク辺境伯を討つ」  そう言うと俺はこの街中に届くほどの獣人(オノレ)の王の雄叫びをあげた。その合図は囚われている、我が同胞達の耳にも届くだろう。王の雄叫びの合図は、古より獣人達の本能に刻まれていると父上から聞いたことがあった。  鎖を噛みちぎり、小さき者は逃げ出し、男も女も捕らえられていた檻で暴れ初めて、不当な扱いをしてきた主を食い殺して解放軍に加わった。  驚いた人間達は家に立て籠もり、騒ぎに気づいた憲兵達が反撃を開始する。解放軍と獣人達は容赦なく襲いかかり牙を向いた。 「敵は騎士団とリーデンブルク辺境伯だ! 女子供には手を出すな!」  俺は同じ過ちを繰り返さないためにそう叫ぶと、騎士をなぎ倒し、城へと向かう。人の姿と獣の姿を使い分けながら、俺は最後の宿敵となるギルベルトがいるリーデンブルク城へと向かった。執事となって城の構造を熟知していた俺は、クラウスと獣人達、そして解放軍と共に城門を突破していた。 「襲撃だーーー!」  叫んだ守衛の喉に弓矢が刺さり絶命する。  街には火の手があがり、すでに異様な気配に気付いたギルベルトは鎧をつけ『未来の妻』と母親を守るために脱出させると、城壁から敵に向けて炎の矢を射るように命令した。  それを避ける者、討たれて負傷する者たちを通り抜けるようにして、獣人と解放軍達は入り乱れ互いに剣と牙で応戦する。  我が国が奇襲されたあの夜、一部の獣人達を除いて寝静まっていた。彼らが土地を明け渡すのようにとの欲求を拒否してから間も無い出来事だったそうだ。  交渉が決裂し、一度はこちらの意思を飲んだように思えた国と辺境伯だが、もとより平和的に解決するつもりなど無かったのだろう。  獣人達を弱らせる為の毒矢や麻酔矢を使用し無抵抗のまま惨殺される者が大半をしめていた。    だが、今の我らは寝込みを襲われたあの時とは違う。人より何倍もの能力を持った獣人達は、騎士達を投げ飛ばし首に噛みつき素手で体を引きちぎれるほど強い。  古来より人族が我々を恐れたのはその超人的な力を隠し持っていたからだ。  群れのリーダーができた獣人(オノレ)の集団の結束力は強く、獣の本能を引き出すことができる。  その中で、黄金の鎧とマントをはためかせた騎士が解放軍と獣人の首をはねるのを目撃すると、俺は剣を持つ手に力を込めた。 「ギルベルト!」  俺は名前を叫ぶと黄金の獅子と呼ばれた男へと駆け寄り剣を振り下ろす。危機一髪で避けたギルベルトが、ぎょっとした様子で俺を見た。 「お前はアルノー! はははっ、……獣人(オノレ)の生命力はゴキブリ並だな。雇ってやった恩も忘れて解放軍(レジスタンス)に加わるとは、この愚かな裏切り者め!」 「愚か者はどちらだ、ギルベルト。貴様のような一族がこの地を支配する事が間違っている。ここは我々の土地だ」  夜闇の中で炎に彩られ、剣がぶつかり合う音が響き渡った。ギリギリと擦れ合う音が二人の間で火花が散ると、ギルベルトはニヤリと口端に笑みを浮かべて言った。   「フン……愛する(オリーヴィア)のためか? あの女は、お前から俺の父へと鞍替えした毒婦(ばいた)だぞ。今頃、金を渡した看守の慰め者になっているだろう……プライドの高いあの女の泣き顔は酒の(さかな)になる。お前の首をはねたら、オリーヴィアの目の前に置いてやり泣きながら処刑される元妻を眺めよう」 「貴様……っ! オリーヴィアに何かあればお前の命が地獄に落ちても許しはせん!」  どこまでも腐った男だ。  俺は怒りと焦りで頭が真っ白になる。オリーヴィアを利用しようとした俺であっても、吐き気を感じるほど救いようのないギルベルト。  だが、この男は曲がりなりにも騎士として戦場を駆け抜けた男だ。俺が怒りで判断力が鈍ることを想定して挑発し、剣を弾き飛ばすと腹を蹴り倒した。 「お前は負け犬だ、アルノー。獣人(オノレ)達に未来などありはしない。私はこの反乱を抑え込み、歴史に名を刻む。私には女神エルザの加護があるからな!」  斬りかかるギルベルトの攻撃を避けると俺は黒豹の姿になった。この姿を見せる時はオリーヴィアの命の灯をこの俺が消す時だと思っていたが、今は違う――――。  暗闇の中で金色の目を光らせる俺に、ギルベルトは一瞬怯んだ。  生死をさまよう中、ヘイミル王から獣人(オノレ)の王として継承された時、俺は同時に先代から王としての魔力を引き継ぎ俺の姿は熊ほどの大きさを持つ黒豹になった。  父上はこの優れた力を持ちながら、敵の策略にはまって愛する家族と民を失ったが、俺はそうはならない。 「――――女神エルザはお前の醜さを見抜いているぞ。――――我が名はディートリヒ1世。滅びの国ヘイミル王の忘れ形見。獣人(オノレ)の民を開放し、愛する人を取り戻すためにきた」 「ヘイミル王の……し、しかし、父上は滅びの王の血は全て絶やしたと仰っていた」 「少しでもおかしいと思わなかったのか? 黒豹の姿に変わる事ができるのは王族だけだ!」  ギルベルトは唇を噛むと、襲いかかってきた。俺は躊躇(ちゅうちょ)無く飛びかかると手首に噛みつき、絶叫したギルベルトの首元に喰らいつくと絶命させる。  リーデンブルク辺境伯が崩れ落ちると、主を失った騎士達の士気は弱まり逃げ惑い始めた。解放軍と農民、そして獣人達の勝利の雄叫びを聞きながら俺は人の姿になった。 「俺はオリーヴィアの元へと急ぐ。あとは頼んだぞ」  うなずくクラウスを確認すると俺は、人の姿になると馬に乗ってオリーヴィアが幽閉されている塔へと向かった。  ――――どうか、間に合ってくれ。  あの男が薄汚いもくろみで、彼女の肉体と魂が傷つけられないていない事を祈るしかない。  炎がくすぶる貴族たちの館を通り過ぎ、屍になった騎士と同胞の亡骸を飛び越え、城下町の外れの処刑所と天高くそびえ立つ塔まで走らせた。俺は、早る気持ちを抑えられず何度もその言葉を呟いた。   「オリーヴィア……!」    長い間、彼女の一途な想いから目を逸らしていた。そして自分の想いからも逃げて蓋をしていた。  あの穏やかな日差しの中で、揺り籠に揺られるオリーヴィアと初めて出会った時から、俺の運命は決まっていたのだろう。  憎しみと怒りに染まった俺の指先を捕らえ、無垢な瞳で微笑んだオリーヴィアが、俺の理性を繋ぎ止めてくれた。  走馬灯のように流れる、幼い頃からの彼女との優しい思い出が胸を締め付ける。  憎しみも怒りも消し去るようなあの柔らかな笑顔が、俺が失った全ての感情を空っぽの器にそっと取り戻してくれているように。
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