第六話 エルザの金獅子と花嫁

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第六話 エルザの金獅子と花嫁

 降り積もる雪がだんどんと少なくなってくるとスラティナにも短い春の訪れを感じます。  この国では雪解けのころに結婚し、穏やかな春に互いの愛を育むことが、夫婦にとってもっとも最良だと、古来より信じられているのです。  お父様もお母様も、その伝統を重んじてリーデンブルク家の『エルザの金獅子』ギルベルト様との結婚の日取りをお決めになりました。  純白のドレスに、美しい白のヴェールで顔を隠した私の心は、この曇り空と同じように浮かないものでした。  豊穣の女神エルザの像に向かって、新郎新婦がそれぞれ反対側から歩み寄ると、聖なる泉の水に浸された指輪を交換し、永遠の愛を誓うのです。  赤い絨毯(じゅうたん)の両側には両家に縁のある人々が並び、花嫁と花婿に向かって祈りを捧げ見守る厳粛(げんしゅく)な雰囲気に緊張が高まりました。  付き添い人はおらず、互いに出会うまで両者はされた小道をゆっくりと歩き、伴侶の元まで辿り着くのです。雪がまたちらちら空から降り始めて私は視線を彷徨(さまよ)わせました。  結婚を祝う人々に紛れて、私を見守るアルノーの姿を、探し求めて直ぐにその過ちに気が付きました。  獣人(オノレ)である彼が参列することは許されず、せいぜい見つからないように木の陰で私を見守るしかないのですから。  あるいは、もうシュタウフェンベルク家から離れてリーデンブルクの家に到着している頃かも知れません。  抗えない運命に、リーデンブルク家に嫁ぐ決心を固めたはずなのに、私は未来への不安で一杯なのです。  そんな不安を押し殺して、永遠の愛を誓う伴侶の元へ辿り着くと、ギルベルト様は女神像の前で私の手を優しく取り、観客に見せるように、にこやかに微笑みます。  申し分ない結婚だと言うのに、こんなふうに心の底で悩んでしまうことは、創造主を(あざむ)き、ギルベルト様を傷付ける行為だと、罪悪感にかられました。  私はなんて聞き分けのない子どもなのでしょう。 「綺麗だよ、オリーヴィア」 「ギルベルト様」  リーデンブルク家の紋章が刻まれた剣を腰に携えたギルベルト様の、豪華で雄々しい鎧姿に淑女や伯爵夫人達は、思わずため息を漏らしていました。   エルザの巫女が見守る中、まずは新郎が聖なる泉の水に浸された指輪を取り、促されるようにして私が指輪を取ると、誓いの言葉が交わされます。  互いの指に(ちぎり)の指輪がはめられると、レースのヴェールが上げられ、白い吐息を吐きながら冷たい永遠の愛を誓う口づけを交わしました。  ――――アルノーとは違う、唇。 『どうして私とは結婚できないの、アルノー』 『それは……。私とオリーヴィアお嬢様とは身分が違います。それに、私は人間ではなく獣人(オノレ)です。この国では許されない決まりなのですよ』  私が十四才になったころ、アルノーは執事としてお父様や城の雑務に追われ、私との時間が減った事を不満に感じて、私はアルノーに我儘を言いました。  思春期の私はアルノーとずっと一緒にいたくて、口にしたのですが……その時の困惑した彼の顔がおかしくて、今でも忘れることが出来ません。 『どうして……獣人と人族は結婚できないの? 私が獣人(オノレ)になったらできるのかしら……』 『――――私には分かりかねます』  今思えば、残酷な子供の質問です。  本来なら敬わなければいけない恩人である彼らを、人族は野蛮な獣だと蔑んで迫害しているのですから。  それでも、私はこの瞬間にもこの永遠の口づけの相手がどうしてアルノーではないのかと考えていました。どうして創造主エルザは、人と獣人(オノレ)を分けられたのでしょう。  違和感と、居心地の悪さに私は唇を離されると見つめ合う事もなくギルベルト様の腕に腕を絡めました。  招かれた貴族達の祝福を受けながら、リーデンブルク家に向かう豪華な馬車まで歩むと、ギルベルト様にエスコートされながら乗り込みます。  小さな馬車の扉から、結婚式に参列した人々に向かって微笑みねぎらうと、それを合図に雪の降る広場でで参列者はそれぞれ手に持ったベルをいっせいに鳴らしました。  新郎新婦の、新しい門出を祝うための伝統の祝福のベル。  その音を聞きながら馬車は、私の新たな住まいであるリーデンブルク城を目指します。お父様とお母様は終始誇らしげな顔で、役目を終えた私は肩の力が抜けるように思いでした。  すでにシュタウフェンベルク家の遺産は持参金(じさんきん)として持たされ、有能な執事も私の財産として認められ、私はリーデンブルクの者となるのです。 「――――辛気臭い女だな」 「え……?」    唐突に冷たい言葉をかけられ、私は前方に座るギルベルト様を思わず見つめます。彼は馬車の中で気怠そうにしながら、木々の間に見える雪を眺めていて、一瞬私の聴き違いではないかとも思えました。 「晴れやかな日に浮かない顔をして、女ならこんな時こそ華やかに微笑めば良いだろう」  その言葉は私の聞き間違いでも何でも無く、ギルベルト様は悪態をつきます。 「君は口数も少なく、面白みの無い女だ。まぁいい……ベラベラ喋る煩い女より、妻としては物静かな方が客人の印象も良くなる。君の役目は、リーデンブルク家の嫡男(ちゃくなん)を産むことだ……その後は好きにしていい。義母から聞いているだろうが、私は淑女達の憧れの的でね」 「……は、はい。申し訳……ありませんわ」  ギルベルト様は、今まで見たことが無いような薄笑いを浮かべていて、私は言われた言葉をうまく飲み込めず、反射的に謝罪をしてしまいました。  萎縮(いしゅく)するように私が下を向いていると、ギルベルト様は鼻で笑います。 「――――君も人生を楽しめよ。美人で貞淑な辺境伯夫人は騎士どもに大人気さ。彼らは君主の美しい妻にも忠誠を誓うものだ。いくらでも君の愛人を作れるだろう……だが、獣人(オノレ)だけは許さん。万が一、兄弟に半獣などが生まれれば、リーデンブルク家の恥になるからな」 「…………」  私は青ざめました。  私のアルノーへ対する想いを、ギルベルト様は少なからず感じ取り、釘を刺したように思えたのです。  貴族同士の政略結婚で、ギルベルト様も数多くの令嬢の中から、リーデンブルク家に相応しい妻を娶りたかったのでしょう。逆らわぬように躾られた私ならば、彼らにとっては都合の良い花嫁なのかも知れません。  私も、ギルベルト様に特別な思いがあるわけではありませんが、それでも結婚した瞬間に放たれる言葉とは思えないほど、冷たい仕打ちでした。  シュタウフェンベルク家の呪縛から解き放たれたかと思えましたが、次に待っているのはギルベルト様の呪縛。  アルノーに(さと)され、決意をするまでの間、ギルベルト様と結婚すれば、私もそれなりに幸せな日々を過ごせるかも知れないという、思いでいたのです。けれど、そんな淡い夢も砕かれたような瞬間でした。 「オリーヴィア、夫への返事はないのか?」 「は……い」  ギルベルト様は私の返事を欲するように、顎を掴むと自分の方に顔を引き寄せました。掠れるような返事が聞こえると、満足そうに微笑み、何を思ったのかウェディングドレスの裾に手を伸ばして、私の太ももに触れました。  その瞬間に悪寒が走ってアルノーには感じなかった、まるで飢えた獣のような理性を失ったような爛々とした瞳に恐怖を感じました。  太ももから、内股に触れて下着に触れようとしたギルベルト様の手を思わず制しました。 「いっ……いゃっ……! ギルベルト様、こ、このような所では」 「何も知らないかと思っていたが、少しは知識はあるようだな。まぁ……君の慌てた様子を見れたのは面白い……ここでは恥ずかしいか。初夜に無口な君がどんな反応をするのか楽しみだよ」  スカートの中から、ギルベルト様の手が離れると私は安堵したように胸を撫で下ろしました。アルノーに太ももを触れられると、あんなにも心地よく体が熱くなるのに、私が夫に感じたのは体が冷えるような恐怖でした。  ですが、私とは対象的にギルベルト様はなぜかとても愉快そうで、満足されているようでした。  私は初夜の事を考えると、恐ろしくてアルノーとの秘密の遊びを思い浮かべるしか、乗り越える術は無いような気がしました。夫との営み、嫡男を生むことそれが妻の務めだと必死に言い聞かせながら。     ✤✤✤  リーデンブルク家に到着すると、すでにアルノーを含めて三人の執事と家令、そしてメイド達が並んでいました。お義父様とお義母様は後から遅れて来られるのでしょう。  馬車での出来事など、何事も無かったかのようにギルベルト様は私をエスコートし、大きな城の玄関まで歩いていきます。  アルノーは私を見つめると、目を細めるようにして頷き、互いの視線だけで束の間の会話を交わしたのです。 (私を綺麗だと言ってくれるのなら……貴方の言葉と声で今この瞬間に聞きたいわ。もう、私は心が折れてしまいそうなの、アルノー)  私は情けなく心のなかで泣き言を呟いてしまいました。妻として、夫人として大人にならなければいけないというのに。
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