第九話 オリーヴィアの涙②

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第九話 オリーヴィアの涙②

 アルノーはどうして私の首元に『証』を付けたのでしょう。昔から彼は必要なこと以外は、自分の気持ちを表に出す事はありません。  熱にうなされたようなあの瞳は、私の知るどのアルノーでも無く、胸が締め付けられるように切ない感情を宿していたように思えます。  外気にさらされ、体温が奪われていくはずの私の体を大きなアルノーの手の平が流れ落ちていくと、心も体も暖かくなります。  私は黒猫の体毛のように柔らかいアルノーの黒髪に指先を絡めて抱きしめました。  肌に落ちる唇と、柔らかな舌先が冷たい肌を伝う度に愛しさと熱が帯びていくようで……私の意識は雲の上のよう。  アルノーの指先はいつもとは異なり、私に触れるのは初めてかのように、まるで壊れ物を扱うような丁寧な手付きで、愛撫をしました。 「……お嬢様……ここにいる使用人は私だけです。遠慮なさらずに」 「恥ずかしいわ、アルノー……ずっと貴方に触れてほしかったの」  二人だけの秘密は、この城に来てからは行われる事も無く、最愛の人と仮初(かりそめ)でも結ばれる幸せに体が自然と反応しているようでした。  もっと乱暴にしても良いのにアルノーは私を丁寧に扱います。   「お嬢様、痛いようでしたら仰って下さい」 「いいえ……大丈夫。口付けをしてアルノー」 「かしこまりました」  汗ばんだ彼の大きな背中に腕を回し互いに呼吸が楽になるまで、抱きしめ合っていました。  揺らめく暖炉の火を眺めながら、この夜が永遠になって、私たちを閉じ込めてくれればいいのにと……願わずにはいられませんでした。 ✤✤✤  ギルベルト様が、必要以上に私や使用人がこの離れに近づく事を禁じられていたのをいい事に、私とアルノーはもう一度、どちらともなく愛し合ってしまいました。  ここには近付かないようにきつく申し付ける理由は、結婚前から関係のある愛人を時々呼び寄せ、しばらく滞在させていることが原因だと、メイドの噂話を聞いて存じていました。  ベッドに寝そべり、目を閉じて眠るアルノーは私と不適切な関係を結んでもその高貴さは失われません。  彼はヘイミル王の忘れ形見、獣人(オノレ)の王となるべきはずだった存在なのですから。  私はベッドの上に座りながら、柔らかな彼の黒髪に触れました。  私の純潔を奪ったのは、彼が考えた復讐のシナリオの一部だったとしても、私の決意は揺るぎないもの。 「アルノー、貴方が望むなら私は」  この人が望むならば、たとえ私の命が奪われても良いのです。  けれどその前にやるべきことがあります。  私はアルフレッド・シュタウフェンベルクの娘。生まれながらにして呪われた血を引くのだから、きっと……悪女にだってなれる事でしょう。  これは両家が犯した許されざる罪。  アルノーがその手を血で染める必要なんて無いのです。 「オリーヴィア様、泣いているのですか?」 「……っ、アルノー……違うわ」 「体が冷えますよ……こちらに」  アルノーが強引に私の体を引き寄せると背後から抱きしめてくれました。獣人(オノレ)の体温は人間よりも高く、冷え始めた私の体を温めてくれます。  その腕に甘えながら、私は視界が揺れるのを感じました。  ――――どうか、優しくしないでアルノー。  優しい腕に包まれると、わずかな希望を抱いて、心に芽生えた恐ろしい決心が揺らぐのだから。  もし、貴方が私をアルフレッド・シュタウフェンベルクの娘ではなく、リーデンブルクに嫁いだ復讐の道具ではなく、私という存在を愛してくれるなら、他の未来があるのでしょうか。
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