私立山桜香学院高等学校

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 六時限目の眠くなる古文の授業を受けた放課後、僕は共通棟の最上階にある生徒会室へむかった。男子女子の共通の生徒会で統合生徒会というのが正式名称だったがあまり使わない。   生徒会長以下、副生徒会長、書記、会計、補助若干名。補助は生徒会長が認めて生徒会の仕事の手伝いをさせている生徒のことだった。僕は補助で、1年生にして生徒会長に一本釣りされて書記となった瑞鶴のパシリだった。 「あ、いらっしゃい。今日は大入りよ」  3年生の生徒会長、白桐隼子が大きく伸びをして迎える。髪はやや長めのショートボブにしており、女子では背の高いほうだった。男子からは大人っぽい、色っぽいと言われている。よくとれば確かに物憂げな美人であるが、単純になんとなく退屈そうにしていることが多いからかもしれない。生徒会の仕事に対しては投げやりではなく、万事卒なくこなしている。下級生にとってはうるさく言わない、きわめて気さくな生徒会長で僕も助かっていた。 「や、ユーキ!」  レオラがいた。どうやら誰かに放課後、連れてこられたらしい。大きな湯呑みでお茶を飲んでいる。まるで日本人のようだった。生徒会室は余った家庭科教室なので広く、客を招くのに不自由しない。 「ミツルに案内されたんだ」 「学校の案内くらいしてあげないといけないと思ったの。佑亀ではもちろん女子校内は無理でしょう」  机に向かっていた瑞鶴が顔をあげた。 「ねえねえ、本当にサウナのあと外の冷水に飛び込むの? 素っ裸で?」 「ええ、まあ、そうです」 「いやー、それは凄いわ」  隼子は格好の話相手を見つけたらしく、色々とスオミのことを聞いている。 「生徒会長の家もサムライなんですか」 「そうね。でも佑亀君と瑞鶴さんのお二人よりは由緒正しくないのよ。日本の歴史、明治維新の説明からしないといけないんだけど……」 「たしか将軍の封建制から天皇と議会の立憲君主制になったのですよね。サツマのサイゴーやチョウシュのタカスギが改革軍を率いて、シンセングミなどのエリート部隊を持つ将軍と戦ったと本で読みました」 「そうそう。よく知っているわねえ」  僕は舌を巻いた。スオミの歴史などほとんど知らない。ロシアから独立した、ソ連と戦った、ずっと民主主義国くらいしかわからない。今度、ちょっと本でも読んでおくか。 「えー、その際、天馬藩は幕府側、将軍側だったの。ところが、我が白桐の御先祖は貧乏な神主……神官ね。なんだろう。いわゆるプリースト?だったけど脱藩、脱走、エスケープして明治政府側のキャプテンになったの。それで昔の藩主、そう領主を助けたわけよ。白桐は公爵になってスクールを創設して大地主となったんだけど、戦後……WWⅡ以後ね、全部ロストで、今や一族はプリーストや一介の公務員になりまして、細々と営業しているとさ」  英語を無理矢理混ぜた割と聞くに耐えない説明をしてみせる会長。  しかし一介の公務員というのは、多少謙遜に過ぎた。戦後、市長選に出ることは遠慮していたが、市会議員を必ず輩出し天馬市の重しになっていることは、僕でさえ知っていた。 「ノーブルな家系だから生徒会長になるんですね」 「ノーブルねえ。ま、なんとなく決まっちゃうんだけだけど」  山桜香学院では創立者の白桐の家系の者が生徒会長をつとめることに自然となっている。もちろんいない場合は選挙である。誰もおかしいとは思わない。民主的でないなどと言う者は極少数をのぞいていない。面倒くさい生徒会長をわざわざ引き受けるのだからありがたいものだ、としか思われていないのだった。白桐会長は堂々の直系で誰も文句はなかった。一年生時にいきなり生徒会長になったくらいだ。 「あ、そうだ。天馬市一の幸せ者よ。早速だけど、美しい許婚の手伝いをしてやってくれたまえ」 「はい」 赤くなったりしたら思う壺だった。今日の食堂での顛末はもう知れ渡っていることは間違いない。平静を装う。 「こっちよ」  会長にからかわれていることになれているのか、我が許婚の瑞鶴は全く気にする風もなく、長いテーブルの上に書類を広げている。夏の大会などで勝利した様々な運動部、ごくたまに文化部などに授与する賞状の目録だった。文章もなぜか生徒会が考えるのが慣習となっていた。例えば「強豪○○校相手に赫々たる勝利を収め心胆を寒からしめた」など、ちょっと時代がかっていた。ともかくも、勝者は思い切り讃える、というのが山桜花学院の伝統だった。  二人で表彰の原稿をチェックをする。今日はなかなか忙しいのか私語をするものは、いない。少し傾いた日が生徒会室に差し込んでいた。 「君、5ページと16ページが抜けているじゃないか」  3年の副生徒会長、鉄星鯉成が声をあげた。細面で美形、長身の副生徒会長は女子から絶大な人気を誇っている。真面目すぎるほど真面目で生徒会長をよく支えている。文武両道を絵に描いたような鉄星先輩は男子からはあまりの完璧超人ぶりが鼻につくのか好かれてはいないようだった。でも、と僕は思う。人の上に立つ人というのは、ああいう人でならないといけない。あれでこそだ。遥かな高み、ちょっと僕じゃ真似できない模範を示してくれている。 「冊子のコピーの間違いは4回目になる。いささか注意に欠けてはいないか」 「あ、ご、ゴメなさい」  鉄星先輩の前でかしこまっているのは、東南アジアのエラワン王国からの留学生、シームオーン・ジャンタナーだった。女子ではかなり背が高く生徒会長をしのぐほどだった。髪はベリーショートにしており、南国生まれ育ちらしく褐色の肌をしている。おっとりとしており誰からも好かれていた。1学期から留学しているが、いまだ慣れていないようで、日本語も不得手だった。なんとなくスローな、悪く言えばトロくさく思われているところがあるみたいだ。よくも悪くもおおらかで僕は嫌いじゃないけれど。 「このようなことで注意したくない。自分で改善案を考えて欲しい」 「ハイ」  もともと困ったような黒目がちの顔がますます困った顔になり、大柄なため、さらにしおらしく見える。 「まあいいじゃないの。お客の前でそんなに叱らないでも」 「私はジャンタナーさんにも生徒会の一員として、きちんと仕事をしていただきたいのです」  会長は欠伸をした。 「象ちゃんね。悪く思わないでやってよ。時間がたってから叱られるのはつらいもの。今のうちおっかない副会長に叱られておいてくださいな」  ジャンタナーの国、エラワンでは女の子でも悪霊を追い払うため、ワニ、水牛など強い動物の名や槍、剣などの武器の名をつけるという。不思議な縁で天馬も生き物の名前をつけると縁起がよいという伝統があった。だから僕の亀はもちろん、鶴に寅に隼に鯉とまるで動物園のようである。ジャンタナーは象=チャーンという渾名だったので早速、象ちゃんと渾名で親しまれていた。 「ご指導ありがとうゴゼマス」   ジャンタナーは神妙な顔をして、鉄星先輩に頭を下げた。 「世の中、機械の苦手な人もいるしさ。私も機械に嫌われているわ。この間なんてパソコンをフリーズさせちゃうし」  鉄星先輩は黙って席についた。これ以上言う気はないようだった。そして眼鏡を外した。 「でた、必殺クール眼鏡だ」  会長が囃したてた。眼鏡を外す仕草がたまらない、という女子が多いのだった。女子たちの大げさな姿が僕の頭によみがえった。笑いが広がった。鉄星先輩は無言でまた眼鏡をかけ直した。    ズドーンという衝撃音が響いた。僅かに窓が震えた。 「―・地震ですか?」  レオラが地のスオミ語で何か叫んだ。 「そろそろ合戦祭ねえ。今日は鉄砲隊かな」 「カッセンサイ?」 「そう。昔の戦争ゴッコ。いい歳こいた大人が夢中で戦争ゴッコをするの」 「ウォー? 演習ですか」 「いやいや、そういうわけでなくお祭りよ。フィステバル。昔の鎧とか着てやるわけ。TVで見たけどもヨーロッパにもあるじゃない。中世の騎士ゴッコみたいな」 「ああ、ウォー・ゲームのことですね」  合戦祭。天馬市最大の行事であり、このために市を挙げて半年間準備している。そう、いい年をして祭りのために生きているという男も少なくない。ともかく天馬中の男たちが入れ上げている祭なのだった。  もともと戦国時代の大合戦があり、その後、その合戦を模して武士から農民まで天馬のあらゆる人々を総動員した大軍事演習をするようになった。江戸時代には天馬藩は小藩なれど譜代として高い軍事力を持つことが許され、藩をあげての大演習は徳川将軍が観覧したこともあったという。明治維新後は祭りの色彩が強くなり、大正、昭和、戦争を挟んで受け継がれてきた。 「面白そうですね」 「みなうらやましいわ。我が白桐の家は判定役だから。あまり面白くはないけどね」  神官の白桐家はかつては合戦祭を取り仕切る家の一つに過ぎなかったが、明治維新の活躍後、名家となった後は、その筆頭となり、判定をつとめるようになった。 「ちなみに今年は凄いのよ。黒樫さんが初陣で総大将。本家当主の数年ぶりの出馬」  瑞鶴がほんの少しだけ笑みを浮かべる。 「対するは赤楠の殿。赤楠君の父上。赤楠君も初陣なのよ」  16歳を過ぎると天馬市の男は皆、合戦祭に参加するのが習わしだった。昔の慣習によると15歳で元服なのだが1年は見習いでおれ、ということらしく16歳にならないと参加は認められない。今じゃ、統一するため高校1年生もしくは中学卒業後ということになっている。また最近は女子でも合戦祭に加わる者も少なくなく、瑞鶴もその一人で黒樫家の当主として参戦する。そしてこの僕もまあ、馬鹿殿、じゃなくて若殿として出なければいけないんで今から気が重い。 「戦うのはアカクスとクロガシ、レッドVSブラックか。ヨークシャーとランカスターみたいなものかな」  「薔薇戦争ね。さすがね。そう思ってもらって構わないわ」  もともと赤楠と黒樫は戦国時代に度々干戈を交えた二大勢力だったが、赤楠に統合された。江戸時代は親族の家となったが、明治維新後は対等の家として再興された。時々、婚姻を重ねたが、長男長女が許婚となるのは実に200年ぶりくらいだという。 「うーん、運命的な感じがするわ。許婚同士の宿命の対決。ドラマチックでしょう」  会長は楽しそうだったが、僕は気が重かった。幼い頃から見ている合戦祭は確かに大事な天馬市の祭りで参加しなければならないことは分かっていた。観光の目玉の一つでもある。気が進まなくともやらねばならないことがあるのは、16歳にもなればわかる。でも僕は合戦祭が好きではなかった。父含め大の大人たちが熱中しているのを見ると、どうしても疑問符がポンと頭の上に浮かぶ。武道の試合ならまだしも、大勢で戦争ゴッコをして槍の突き合いに夢中になり、怪我をするほどのことだろうか? これってただの集団暴力ではないか。今ひとつ、わからない。その合戦祭に適当に「やられーたー」とか言って早めに退場する足軽ならまだしも、赤楠家の長男ということで一隊を率いる立場となる。これでも若殿なのだった。きちんとやりとげられるかどうか不安だった。これも気が進まない理由だった。 「おおそうだ。象ちゃんも加わるんだよね。留学生さんは面白いんじゃないかな。去年も我が校のクリスティ先生とかみんな参加したから。ラストサムライ! とか叫んでえらい楽しそうだったしねえ」 「いいなあ。私もやってみたいです」  げっ、本当ですか、レオラさん。 「留学生が二人いるんだから一人は赤楠君のところでどうよ」 「私は異存ありません。レオラさんを是非赤楠方にお加えください」  瑞鶴は頷いた。 「よしよし、面白い。私が父に言っておくわ。総大将のお父様に話がいくでしょう、赤楠君」 「あ、ならば、僕からも話しておきます。父はよく忘れるので」  僕は太平楽な父の顔を思い浮かべた。 「今回は面白い祭りになるんじゃない。見るだけの私としても楽しみだわ」  意味ありげに微笑む。 「本当に面白くなりそう」  会長はチェシャ猫のような笑みを浮かべた。  生徒会の仕事を終えると、部活がないので、そのまま直帰する。僕は赤楠家が必ず入らねばならない槍術部の他、茶道部と地理研究部に入っている。茶道部と地理研究部は、ほぼ幽霊だった。それなりにきちんと活動はしているが、人数が少なくて潰れそうな部活に名前だけ貸している。こういうことこそ、自分の役目だった。損な役回りはチョイチョイ引き受けなければならない。 元藩主の家柄のおかげで小さな頃から一目置かれて育った。 その境遇に甘えていてはいけない、と常々両親や祖父母から言われていた。 正論だった。自分自身を特別だとかエライだとか思い上がっている大人ほど惨めなものはないからだ。 ノブレス・オブリージュってほどじゃないけど。自分を特別に見せて目立とうとするより、周囲の人を引き立てる方が性に合っていると僭越ながら思っている。   今日は合戦祭の練習は無いし、習い事の馬術の稽古もない。帰りは、レオラ、瑞鶴、瑞鶴の親友の橙蘭鈴鹿と一緒だった。 瑞鶴の家はちょうど帰り道の途中なので瑞鶴とは別れる。鈴鹿はレオラのクラスメイトで隣の席だった。ちなみに弓道部に所属している。ショートカットにまとめていて見るからにスポーツ少女だった。  蜻蛉が水色の空をついっと飛んでいる。 「やっぱり、赤楠君だけね」 「え」 「最近、瑞鶴の嬉しそうな顔を見ていないから」 「そう?」 「許婚の顔くらいよく見ておけばいいのに。解消されちゃうよ」 「そうだ」  鈴鹿の言葉で無責任にもっともらしく頷くレオラ。うーん、しかし、昨今の雲行きだと解消されそうな気がする。 「でも驚いたな、日本は許婚だったのか。漫画のようだなあ」  レオラは感心しきりだった。 「ここだけだよ。そんな古臭いことやっているの。今は解消しちゃう方が多いみたい」  許婚の風習は昔から天馬市にあるものだった。 年齢の近い子供が生まれると親同士が決め、絵馬に二人の名前を書いて神社に奉納する。子供が息災に嫁を娶るまで、夫を持つ大人になるまで育つようにという願いが込められていた。 昔は本当に結婚しなければならなかったが、今はそうでもなかった。それでも旧家では相変わらず重視されているし、例えば大学や就職で都会に行って恋人ができるなどの例外はあるが、結局、ずるずる地元にいる、Uターンで帰ってきた結果、周囲から押されて、許婚だから、なんとなく一緒になるという場合もあった。 「スズカにもいるの?」 「え、あっ、ま、まあね。で、ででも、親が決めただけだからどうなるかわかんないよ」  鈴鹿にも許婚がいる。仲間の1人、緑松先輩だ。 「仲がいいよね」 「な、何言っているのよ、そ、そんなことないし。結婚とか有り得ないし」  鈴鹿は顔を赤くしている。 「まあ、先輩をよろしくね。僕もお世話になってるし」 「よろしくないもん」  プッと頬を膨らませる鈴鹿を見て僕は笑った。なんだかんだで、鈴鹿と緑松先輩はお似合いだと思った。
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