来訪

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「困っているの」  電話口で、友人が酷く困った声でそう言った。  彼女は近所に住む高校の同級生で、学生時代から現在に至るまでも、それほど親しかったわけではない。どちらかというと、少し苦手なタイプだったし、それは向こうも同じだと思っていた。  だから、そんな私に突然に電話をかけてきて、近状報告もそこそこに相談を持ち掛けるなど余程困っているのだろうと、そう思ってつい、家に行って話を聞くことに同意してしまったのだ。  どうしてこんなことになったのだろうか、暖かな陽光を背中に受けて、首を傾げながらチャイムを押すと、息を殺すような気配があちら側にする。呼び出しておいて居留守とはどういうことかと、もう一度、強めにチャイムを押し込む。別にそれで音の大きさや強さが変わるわけではないのに。  しばらくの沈黙の後で「はい?」と微かな声がした。 「私だけど」  声がきつくなるのをどうにか抑えて、無理に笑顔を作る。 「ああ! 入って入って!」  途端に明るい声が弾んで、扉の向こう側に、足音が近づいてくる。  がちゃりと鍵が開くと同時に、あの笑顔が私を迎え入れた。三日月の様に細められた目なのに、その奥は笑っていない。学生時代と変わらぬ幼い雰囲気で歓迎しながら、その視線が私の背後を探るように見渡しているのも、あの頃のまま。 「時間、早かった?」  手土産を差し出しながら時計を見るが、約束の時間通りだ。 「ああ、ごめんね。そうじゃないの」  どうぞ入って、とふわふわのスリッパを差し出して、リビングへと招き入れる。明るい日差しが入り込む、白と木目の想像通りの部屋は、愛らしい小物が溢れている。  これまたかわいらしいクマの柄のカップに淹れたカフェオレを差し出して、彼女は不意に真面目な顔で私の向かいに座った。 「急にごめんね。でも、他に相談できる人がいなくて」  彼女はちらりと壁の時計に目を向けて、意外に低い声でそう言った。頭の片隅で、もしや何か良からぬモノへの勧誘ではと警戒していた私は、その考えを押しやる。騙そうとするのなら、世間話の一つや、私の生活状態の探りくらい入れるだろう。 「お金なら……」 「違う違う」  はは、っと乾いた声で彼女が笑った。 「そういうんじゃないの。なんていうか、普通の人に言うと、馬鹿にされそうで」  上目に見る目が、暗に、あまり仲が良くない方が好都合だと告げてくる。今後の自分のイメージが崩れるような相談、という訳か。昔から、そういう所は計算高く、だから私は、あまり彼女が好きではなかったと思い出した。だが、来てしまったものは仕方がない。懐かしさに多少なりとも感傷を覚えてしまったのがいけないのだ。  大きく一つ溜息をつくと、彼女は口の端だけで笑って、実はね、と語り始める。 「毎日、同じ時間に、お迎えが来るの」 「え?」  私はぽかんと彼女を見つめる。 「お迎えって……」 「よくわかんない。でも『お迎えに来ました』って、知らない人がそういうのよ」 「なにそれ、怖い系の話? 枕元に立つってこと?」  やっぱり話が早くていい、と彼女はわずかに小馬鹿にしたような笑みを浮かべて私を褒める。 「普通に玄関に来るの。チャイムが鳴るからインターホンで確認するでしょ。そうすると、知らない人が笑顔で立ってて『お迎えに来ました』って」 「近所の家と間違えたんじゃない?」 「でも、毎日、同じ時間にだよ。普通、約束して来てるんだったら、誰も出なかったらおかしいって気が付くでしょ」 「それって、夜中の話?」 「ううん。今頃の時間」  彼女がまた時計を見上げる。  なるほど、だからさっき、すぐにインターホンに応えずに様子をうかがっていたのかと、合点がいった。 「一緒に確認してほしいってわけ」 「まあ、そうかな。彼氏に相談しても、毎日なんて大袈裟に言うなって」  肩を竦めて私の左手に視線を投げた。 「怖い人なの?」 「ううん、爽やか君だよ」 「彼氏さんじゃなくて」 「だから、毎日来るお迎えの人。爽やかな好青年なの」 「逆に怖いね」 「でしょう。だから、居留守を使ってるの」  ぱちぱちと瞬きをして、彼女は少し温くなったカフェオレを、ぐいと飲んだ。  確かに、奇妙な話だ。でも、それを私と一緒に確認してどうしようというのだろう。カフェオレは、濃い目の珈琲がほろ苦く、美味しかった。  沈黙が落ちて、二人でしばし見つめ合う。それで、と口を開きかけた私の言葉が零れる前に、ぴんぽん、と音が響いた。  びくり、と私は椅子から飛び上がる。彼女は慣れた様子で、玄関を振り返った。  ぴんぽん。  ゆっくりと彼女が立ち上がって、無言のまま、インターホンを確認する。覗き込むと、画面には、にこにこと笑顔を浮かべた青年が映っている。 『お迎えに来ました!』  爽やかな声が響いた。 「ほらね」  友人は私を振り向いて、にっこりと笑った。 「出てみてよ」 「え?」  笑っていない三日月形の目が、私を見て、玄関扉の方を向く。 『お迎えに来ました!』  声が、また響く。 「え、厭だよ」  だって、友人は一度も、このチャイムに応えたとは言っていない。  彼女がくすりと笑った。 「冗談だよ」  インターホンに背を向けて、彼女はすとん、と椅子に座った。 「あの人ね、近所の人もうちの玄関にいるのを見かけるらしいの。でも、ご近所さんが言うには、立っているのは、無表情な顔で俯いてるサラリーマンだって」  ぽつりと言って、彼女はカフェオレを飲み干した。  よく晴れた午後、私はベランダで、洗濯物を干していた。  あの日、チャイムが鳴らなくなってから、私は聞きたくもない友人の惚気話を無理に引き出し、夕飯の買い出しで通りが賑やかになるのを見計らって外に出た。  その後、何度か、彼女から電話がかかってきたが、一度も出ていない。ここ最近は連絡が来ないから、片が付いたのか、別の同級生を呼び出したかしたのだろう。  知ったことではない。  ぱん、と音を立ててバスタオルを広げ、日に当たるように吊り下げていく。  靴下が片方見つからず、洗濯機からもう一足を拾い上げた時、ぴんぽん、とチャイムが鳴った。思わず、手が停まる。  ぴんぽーん。  間延びした音に、はっとして、靴下を握ったままインターホンを覗いた。 『お迎えに来ました!』  画面には、爽やかな好青年が、笑顔を浮かべて立っている。  私はそっと画面を切ると、靴下をぎゅっと抱えてベランダに向かった。  ぴんぽん。  また、チャイムが鳴る。  私は聞かないふりをして、ベランダに出る。外は気持ちよく晴れた青空で、洗濯物がよく乾きそうだ。  片一方だけぶら下がっていた靴下の隣に、握りしめたもう一方を伸ばして並べる。  ぴんぽん。  遠く背中で聞こえたチャイムに、私はベランダから、ちらりと下を覗いた。  玄関先に立っていたのは、虚ろな目をしたあの友人だった。
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