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「成美(なるみ)、なにしてんの」
同棲している貴仁(たかひと)が網戸越しにいぶかしげな視線を向けてきた。
たしかに、洗濯物の干されていないベランダにしゃがみこんで、ごそごそと作業をしている私は不審に思えただろう。
「迎え火焚こうと思って」
私はベランダの地べたにお皿を置いて、丸めた新聞紙の上にオガラをたてかけていた。その横には精霊馬として、割り箸を切って刺しただけのキュウリの馬とナスの牛を置いている。
こんなところまでやって来てくれるのかと不安だったが、私は丁寧に作業を進めた。
具体的なやり方を教わったことなどない。どこぞの誰かが書いたブログをスマホを画面に表示させ、あのころのサナギみたいに丸まった背中と照らし合わせながら、あの手元はこんな感じだったのかな、と想像を膨らませた。
一応火事にならないように、小脇にペットボトルに水を入れておいている。
「ふーん、成美んちって仏教だっけ」
生粋の横浜育ち東京暮らしの貴仁には、こういうのがたぶんテレビ越しの出来事でしかないのだろう。貴仁に悪気はみじんもなく、そこに何もとげを差し込まない、いい意味の子供っぽさは一緒にいて落ち着く。彼じゃなければ発言の節々にさげすみを感じ取ってしまっていただろう。
おばあちゃんを迎えないといけないなんて子供じみた考えはない。おばあちゃんは死んだのだ。だけど、おばあちゃんが帰ってこない事実と儀式をしないことは、あまり関係がないのかもしれないな、と思う。
おばあちゃんの住んでいた家は売りに出されたと聞いた。買い取った誰かもやって、帰ってくる場所が二つになったら悪いなと思う。
私の住むこの場所は帰ってくる場所なんかじゃない。行き先としても選ばれない。でもそれは、私が迎え火を焚かない理由にはならないような気がする。
きっとおばあちゃんはどこに住んでいたとしても、あののどかな時間軸を生み出せた。
そして私はこういう牧歌的な営みが純粋に好きなのだ。
「よしできた。ライター貸して」
なんとか、それっぽい形になった。あとは新聞紙に火をつければいい。
「持ってないよ。おれたばこ辞めたじゃん。成美に怒られて」
ここ数ヶ月、貴仁はたばこを吸っていない。チェーンスモーカーだった彼が、たばこをやめたのはちょっとしたボヤ騒ぎが起こったからだ。騒ぎといっても私たちの暮らす2DKの中だけでおさまったのだが。
カーペットには、貴仁が寝たばこをしたことによってできた、隕石が落ちたように焦げた穴がまだ空いている。特にどちらともなく修復も買換えもしていない。
「ライターも捨てたの?」
「だって使わないでしょ。あったら吸いたくなるかもしんないし」
私は確かに怒った。けれど辞めることを強要はしなかったはずだ。
でもそういえば、貴仁は誰に言われるでもなく買い置きしていた2カートンをその次の日の燃えるゴミに出していた。ライターが残っている方がおかしいのかもしれない。
彼はそういう極端な反省の方法しか知らないのだろう。
「税金もどんどん高くなるしやめようと思ってたからちょうどいい」
強がりで意地っ張りなところもある彼はそんな自分の性分を知ってたか知らずか、後戻りできない方法を選んだのかもしれない。
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