迎え火

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 私は確かに怒った。けれど辞めることを強要はしなかったはずだ。  でもそういえば、貴仁は誰に言われるでもなく買い置きしていた2カートンをその次の日の燃えるゴミに出していた。ライターが残っている方がおかしいのかもしれない。  彼はそういう極端な反省の方法しか知らないのだろう。 「税金もどんどん高くなるしやめようと思ってたからちょうどいい」  強がりで意地っ張りなところもある彼はそんな自分の性分を知ってたか知らずか、後戻りできない方法を選んだのかもしれない。 「感染者4989人だって」  スマホのネットニュースに流れていたのであろう記事の数字を彼が読み上げる。 「また増えたね」 「どうなるんだろうな」  貴仁は人ごとみたいに言う。でも人ごとみたいに言うしかないのだ。こんな大きな流れに、ちっぽけな私たちは逆らえない、それをお互いに分かっている。  SNSはせいいっぱい背伸びして、なんとか干渉としてる人たちであふれている。  政治に口出ししたり、なにかしらの基金を立ち上げたり、四六時中状況が変わるわけでもないのに誰かが誰かを否定し、攻撃している。  貴仁はそれを愚直に信じたりすることがない。正直者が馬鹿をみる、ということをごく自然に避けることができる。  おばあちゃんとは真逆だ。私は心を痛めなくて済む。だからこそ彼と一緒にいたら安心するのだろう。 「あ、マスクもうすぐなくなりそうなんだった」  50個入りの不織布マスクがあと数日でなくなりそうだった。498円の耳が痛くなるやつ。二人で使っているが3箱ぐらい一気に買ったのに。あれから二ヶ月とちょっとが経過したということか。 季節感のない今の暮らしの中では、マスクの減り具合で何日たったかの感覚が保たれているような気がする。 「あしたどっか行こうか」  彼がつぶやく。私は火を灯されないオガラをぼーっと眺めながら言葉を返した。 「マスク買いに?」 「まあそれも含めて。なんか息つまらない? 成美も帰省しないんだから、どっかでかけようよ。一日ぐらいいいでしょ」  もう何度目かも分からなくなった緊急事態宣言は明らかに中だるみを迎えている。私たちもお互い在宅ワークで、買い物ぐらいでしか外に出ないハリのない生活が続いている。  それでも、最期まで自粛を守ったおばあちゃんの姿が、実際に見たわけでもないのに私の脳にちらついた。  でも、「このご時世だしおとなしく家にいようよ」と言いかけた私を止めたのは、彼の貧乏ゆすりだった。顔は温厚なままなのに、挙動は明らかにタバコを我慢している人のそれだ。  ただ数ヶ月吸っていないというだけで、禁煙に成功したとは言えない。  そのまま私の無言は了承の意味にとられた。
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