迎え火

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 私は毎年、8月14日から16日のお盆の間、おばあちゃんちに行っていた。  高校生までは自宅から家族みんなで。社会人になってからも東京から向かっている。お母さんたちとは現地集合だ。おばあちゃんは毎朝お経を唱えてたり、私が扇風機に座っていると、どこからかスイカやソーダ味のアイスをだしてくれたりしていた。  それでも、ちょうどお盆の時期だったからか、一番に思い出すおばあちゃんの姿は、庭で迎え火を焚いているサナギみたいに丸まった背中だった。私はその姿を、登っていく煙とともに軒先から眺めるのが好きだった。そばにはナスの牛とキュウリの馬が置かれていた。それらはお盆が明ける頃には、よぼよぼにしおれてしまう。  そんな田舎のおしつげがましくない丁寧な儀式を、私は幼いながらにけっこう気に入っていた。  上京してコンクリートジャングルで生活をしていると、季節感とか風物詩とかしみじみと感じる機会は一気になくなったし、なくなっていることにさえも最近まで気づかなかった。一過性の流行と大きな時代の流れに身を置いているだけだった。  だから田舎での時間軸はせわしく日々を送っている私にはたぶん必要なものだった。しかし、年号が代わって一年で新型コロナウイルスが世界的に蔓延した。  それまではおばあちゃんちへの帰省は毎年かかしたことはなかったのに。    おばあちゃんの訃報を聞いたのは、ひと月前だ。おばあちゃんに会ったのは、一昨年のお盆が最後ということになる。 おばあちゃんはずっとおばあちゃんだと思っていた私は、悲しみよりも先に、いままで経過した時間を認識して目まいを覚えた。私が生まれたときからおばあちゃんだったのだ。そこから四半世紀以上もの年月が流れている。大人になった私と同じ時間をおばあちゃんも過ごしていたという当たり前の事実がとても漠然とした果てしないものに思えた。   別におばあちゃんはコロナでなくなったわけではないし、病床不足で、というわけでもない。  ただ、このコロナ禍で最期を迎えるというのは後味のいいものではなかっただろう。 お葬式だって、身内だけだったと聞いた。私も東京にいたことから来席を自粛した。あのあたりにはおばあちゃんと親しい人が多かったのに、ご時世的に呼ぶのを拒んだのは、他でもない亡くなる前のおばあちゃんだった。  あんな田舎の過疎地域なのに、そういうところは真面目な人なのだ。昼間のニュース番組で流れる都会の若者に向けた「人の密集は避けましょう」なんて言葉を愚直に信じて律儀に守った。 それをお母さんから聞いて、私の心は鈍く痛んだ。
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