お泊まり

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お泊まり

 延長保育の終了時間、18時が近づいてくると、胸ポケットの携帯が立て続けに鳴った。急いで向かっているけれど、少し遅れるという、保護者からの連絡だ。 「はぁ……やっと全員のお迎えが終わりましたね」 「ええ、ご苦労様。笹倉(ささくら)先生、今から帰宅するつもり?」  冠水したアンダーパスを避けて遠回りしたために、こんな時間になってしまった――夢萌ちゃんのパパは、何度も頭を下げて帰っていった。玄関でお見送りして、溜め息混じりに見上げれば、壁の時計は9時を回ろうとしている。 「え、あ、はい……」  そのつもりでいたけれど……玄関のガラスのドア越しに見える光景に、一瞬たじろいでしまう。暗闇を切り裂いて現れる大粒の雨が、バチバチとガラスを叩きつけている。もちろん、雷鳴も続いている。 「これから益々酷くなるのに、こんな中を帰せません。お夕飯食べて、うちに泊まって行きなさいね」  微笑みの中に、有無を言わさぬ優しい圧力がある。とはいえ、上司のお宅にお泊まりするなんて展開は考えてもいなくて。 「でも私、着替えもなにも」 「Tシャツとジャージは、ロッカーにあるでしょ?」  社交辞令半分で否定してみたものの、園長先生は見透かしたようにフフフと笑みを深めただけだ。そうだった。子ども達の粗相に巻き込まれた時のために、常にロッカーの中には着替え一式が眠っている。 「それに……この様子だと、明日は休園になるわね」  確かに、最接近は明日の早朝だと予想されている。園児と保護者さんの身の安全を考えれば、休園は至極妥当な判断だ。 「ありがとうございます。お世話になります」  退路を断たれて、頭を下げた。正直言うと、この暴風雨の中、愛車のハンドルを握り、無事にアパートまで帰りおおせる自信はなかった。 「フフフ。それじゃ、戸締まり確認してから、いらっしゃい。事務仕事は、明日にするのよ?」 「分かりました」  敵わない。降参だ。膨よかな笑顔で帰宅する彼女の背中に一礼すると、玄関の施錠をもう一度確認してから、職員室に戻った。懐中電灯を手に、私物を小脇に抱えて廊下を急ぐ。 「先生、うちの子を――」  職員室に施錠して、玄関脇を足早に通り過ぎた時、私を呼び止める声が聞こえた。若くて細い女性の声だ。 「えっ?」  延長保育の子どもは、全てお迎えの保護者さんと帰宅した。第一、ドアには鍵も掛けたのだし。きっと空耳。または、どこか隙間から吹き込んだ強い風の余韻だろう。
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