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トマトの味
停電前に園長先生が作ってあった夕飯をいただいた。ご飯とシジミのお味噌汁とゴーヤチャンプル。この夏、グリーンカーテンとして植えていたゴーヤが大量に実り、3日に一度は食べているのだとか。
「台風の前に収穫しておいて良かったわ」
ダイニングテーブルではなく、まあるい「ちゃぶ台」。似た物が祖母の家にあったなぁと、懐かしく思う。
その中央にランタンを置いて、園長先生と向かい合って食べる。住職さんは、先に済ませて床に就いたそうだ。
「そうそう、トマトも召し上がって」
「あ、お構いなく。十分ですから」
言うが早いか園長先生は腰を上げ、台所でトントンとスライスを始めた。
「いいの、いいの。笹倉先生は、マヨネーズ派? お砂糖派?」
「あの……それじゃあ、お砂糖を」
実家でも、家庭菜園のトマトが三度の食卓に上った。トマトの砂糖がけは、祖母も母も好物で、私の大好物でもある。
「まぁまぁ。嬉しいわ、私もなのよー」
トマトのお皿と砂糖入れをお盆に乗せてきて、園長先生はクシャリと破顔する。
「息子に、年なんだから甘い物は控えなさい、なんて言われるのだけれど、トマトにお砂糖は譲れないわぁ」
園長先生はたっぷり大盛りで、私はそれよりやや少な目だけど中盛り程度で、赤い輪切りに白い粉を降らす。紅白のコントラストは、水分に溶けて、すぐに赤一色に戻る。でも、これはもうトロリと甘いデザートの味。
「瑞々しい! 美味しいですね!」
少し青臭い家庭菜園の味。スライスしていても、武骨で歪な元の形が伺える。気取らない円さは、作り手の優しさに似て、甘さと共に胸の奥がホロリと解れる。
一人暮らしを始めてからは、実家に帰っていない。仕事帰りに近所のスーパーで買うトマトは、形の良い規格品ばかり。お上品な均一の味に物足りなさを感じていた。
「あら、嬉しい! 笹倉先生がそんなにお好きなら、来年は一緒に収穫しましょう」
来年――産休の先生が戻るのは、約5ヶ月後。雪の季節真っ只中の予定だ。その約束が果たせるのかどうかは、雇用主次第だけど、期待してもいいのだろうか。私は、曖昧な笑顔で「そうですね」とだけ返した。
食後は、洗い物を申し出た。他人の家の勝手が分からなくても、このくらいなら手伝える。
「奥の座敷に布団を出しておきましたから、お風呂使ってね」
「ああっ、反ってすみません!」
力仕事をさせてしまった。気の利かなさに、申し訳なくなる。
「いいのよ。そんなに気を遣わないで」
小さくなった私の背をポンポンと撫でると、彼女は私を台所から追い払った。ランタンを借りて、バスルームでシャワーを浴び、布団に入ったのは23時を回っていた。台風の勢いはいよいよ激しくなり、光源を失った室内では、闇さえも捻じ切られまいとうねっているようだ。そんな喧騒の最中にあっても、日勤の通常の疲労に、延長保育と気疲れと……複合的なダメージが一気に押し寄せて、私はあっという間に眠りに落ちた。
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