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夏休み中止のお知らせが「夏休み公式ホームページ」に掲載された。海に山に川にせっかくのレジャーを楽しみにしていた子供たちががっかりした。いくら社会情勢とはいえ「燦燦と夏の太陽が降り注ぐ南国にかまくら遊びは可哀想だろう」
鎌倉のご当地ヒーロー湘南江の島仮面が立ち上がった。
「湘南江の島に冬はないぞ。はーっはっは!」
南国江の島仮面は夏休み公式ホームページを倒すために太陽の王国宮崎へ旅立った。しかし夏休み公式ホームページは子供たちの健やかな成長と健全なる精神の育成を願って夏休みの中止を決定したのだ。
正義の侮辱は許さない。
夏休み公式ホームページ事務局は表現の自由戦士、フェミニスト集団、PTA父兄一同、ご長寿クラブ、大阪のおばちゃんたちを総動員して湘南江の島仮面を待ち受ける。
バアン!夏休み公式ホームページ事務局の扉が蹴り壊された。
「湘南江の島仮面参上!子供たちの笑顔を曇らせる大人達よ。お前達に日の目はない。子供たちに見せられる最後の夏の日までせいぜいがんばれよ」
それを受けて事務局メンバーはガウンを脱いだ。
フェミニスト集団の新たな姿を見た。
「なんの権限があってお前が邪魔するんだよ!俺たちがヒーローなんだ!」
「お前らこそヒーローなんて名乗るなよ!」
ご当地ヒーローは言い返した。
「お前らが俺様をヒーローって呼ぶんだよ!」
これが湘南江の島仮面の真実だった。自己顕示欲丸出しだ。
夏休みの閉まりかけのホームページは湘南江の島を映し取った。
『夏休み中止のおしらせ!』
さわやかなフォントがかえって暑苦しい。
江の島仮面に幻滅した。そんなツイートが流れはじめた。しかし公式HPの敵は他にいない。子供たちは、この夏休みの最後の一日を忘れないよう、今までの「お前のヒーロー」という呼び方に耐えなくてはならないと分かって、新日本プロレス選手を「お前のヒーロー」と呼ぶことに。
「俺は『俺』のヒーローだけど、決してヒーローなんかじゃない!」
「ヒーローでありたい俺の夢はファイアーエムブレムだ!」」
江の島仮面は勝手なことをいいだした。
しかし湘南江の島には「湘南のヒーロー」が他にいた。
「おい!」
事務局にトレーラーが横付けし、筋肉質の男たちが降り立った。
そのなかのチャンピオン咽頭鬼猪野木がマイクを奪った。
お父さんたち、お母さんたち、そしてね!新日本プロレスの「俺のヒーロー」、ここまで来たよ!
湘南のヒーローの中にはフェミニスト集団の仲間もついていた!俺たちだけの秘密を解き放つために!お前たちと一緒にフェミニスト連合軍(自称、フェミニストの集団)として、『俺たち』だけの特別プロレスをやりたい、お前たちだけのプロレスをやりたいと願って、これまでずっと練習を続けてきたんだ、もう誰も俺たちに口を開かないでくれ!
お前たちに俺たちがやっていたことは見せても何も感じさせない『俺たちのための特別プロレス』をしようぜ、お前たちのプロレスが俺に感じさせるプロレスだったらどう思う?
そのマイクパフォーマンスが江の島仮面を熱くした。
猪野木からマイクを譲り受ける。
湘南江の島にはファミリープロレスが待っている。しかし、家族のためのプロレスが待っているわけじゃない、俺のヒーローたちが闘うんだ、俺たちのために闘うんだ!待っていろよ!絶対に、あのヒーロー(南の島の「お前たち」)を倒して俺たちのプロレスは終わるぜ!
そう言って団体戦開始を宣言した。
「黙って聞いてりゃ調子に乗りやがってザマス!」
フェミニスト集団はうんざりだ。仲間だの友情だの結束だの助け合いだの思いやりだの絆だの、どれもこれも大人の偽善だ。子供たちを都合よく管理したいために規律や結束を教育しているのだ。
従順に一から十まで言うことを聴いてくれれば楽ちんだ。そうやって操縦しやすい大人に育ってくれれば社会はずいぶんと風通しがよくなって生きやすくなる。犯罪も貧困もなくなるだろう。
そのような一方的で身勝手な価値観を植え付けられて子供は純粋さを捨て社会に幻滅し大人の階段をあがっていく。しかし世の中はきれいごとが通じるとは限らない。割り切れない、腑に落ちないそんな苦い経験を何度も味わった末にピュアな作品や風景に心をあらわれ童心に帰る。
悟りを開いた、目からうろこが落ちた、生き方が変わった。すっかり垢ぬけた大人たちでさえ翌日はパワハラ上司にシバキ倒されたり傍若無人なクレーマーにボロカスに言われてせっかく澄んだ心がささくれていく。そのような清濁併せ吞む依存症社会に中毒した人々が夏休み公式ホームページ事務局を立ち上げた。その経緯を湘南江の島仮面は知らないからたちが悪い。
「かかってこい!ポリコレおばはん」
湘南江の島仮面が煽った。サンサンと太陽を背に散々な目に遭った人々の影が舞う。それから三分もしないうちに夏休み公式ホームページ事務局は爆発炎上した。
「た…たすけて」
めらめらと溶け堕ちていくガラス窓に事務局員の苦悶の表情がいくつも浮かぶ。
「あーもしもし?湘南江の島消防署ですか?」
湘南江の島仮面は被害者ヅラをして消防車の出動を要請した。
「これはひどい…」
現場を見るなり署員は絶句した。
新学期が始まって一週間。
「お疲れ様です。それでそこからこうなりました」
電話で署員の言葉を聞いて湘南江の島仮面は顔をしかめた。
「え、なになに?聞きたいことがある? 俺もう…、そういえば何か夏休み公式ナンチャラという所で事故が起きたって…」
震え声ではぐらかす。仮面が冷汗でボトボトだ。
「それでお電話が繋がってまして実は…先日の火事で火傷を負った事務局の…」
「!!!!!!!!!」
心臓に稲妻が走った。
湘南江の島仮面は「あー、うん…」と話して電話が終わった。
「どうした?」
咽頭鬼猪野木がバスタオルを投げる。
「あー、そうそう。実は、湘南江の島消防署に不審なエンブレムが届いたんだって?」
「んー。まぁネットの噂は否定しない」
「それでお知らせがあって。それに何か事件があったとか。ちょっとした事件らしいんだけど?」
「NPO法人の本部がいろいろ粘着されているって聞いてる」
「その犯人は?」
「わからん。わからないんだ」
「わからんってもしかして、被害者の中に犯人がいるんじゃないの?」
控室にセコンドが呼びに来た。「出番ですよー」
猪野木は湘南江の島仮面に「ちょっと待ってくれるかな?」と聞こえないように耳打ちする。
「今話した、多分だけれど」
「あ!わかった!」
湘南江の島仮面は、電話をつないだ時に湘南江の島を思い出して「そうそう、そのお嬢ちゃんところに…」と言葉を濁した。
猪野木ごしにコンクリートの壁を凝視する。
そこには夏休み公式ホームページ事務局のウェブページが映っていた。
おかっぱ頭の女の子が口元を血で濡らしている。
「ぐはあっ」
湘南江の島仮面が控室で倒れた。江の島消防署が駆けつけたとき彼は息も絶え絶えに言った。
「そう、わかったと言われるとわかる。被害者に紛れるように出る正体不明の犯人。それが、お嬢ちゃんだ」
それが最後の言葉になった。カッと開いた瞳孔は壁を見つめていた。
……
「と、このような経緯がありましてね。お値段はぐっと下げさせていただいております」
「不動産王の治郎吉」江の島支店長は汗をふきふき説明した。
焼け焦げて柱と梁だけになった事務局跡。遺体が綺麗に片づけられたというが瓦礫はそのままだ。
土地の権利は数奇な運命を経て湘南の某ペーパーカンパニーの名義になっている。
不動産王の治郎吉はこのような瑕疵物件を高値で転売していた。
「出るんですか?」
借り手の男はそっと耳打ちした。
「出るんですよ。死んだ事務局関係者と湘南江の島仮面がね…」
支店長は声を潜めた。
「どっ、どういう風に」
男は興味津々だ。職業がユーチューバーだからだ。事故物件に居住して実況中継を生業にしている。
「こういう風にね!」
不動産王の治郎吉支店長の顔がどろりと溶けた。
「ひいっ!もっともっと」
借り手はマゾヒストらしく嬉しそうに怖がる。しかしひいっ!と白目を剥いた。そのまま後ろに転倒しゴシャーっと脳漿を散らした。
たちまちダーッと鮮血が地面に広がる。しかし支店長は微動だにしない。
「お前で13人目だ。ここの物件を興味本位で借りに来た奴は。だがそれはお前の自己正義だからな」
遺体の横に壊れたドローンが横たわっている。アウェープロ製カメラが搭載されており、サブモニターにテロップの滝が流れている。
「どうしたー?」「音声途切れたけど?」「中継サーバーダウン?」「主、死んだの?」「熱中症?」
視聴者が次から次へとコメントを書き込んでいた。
「公式にはお前の熱中症死として処理されるだろう。お前はありもしないパブリックエネミーを探し求め
さまよい歩いて自然の摂理に負けて死んでいくんだ。湘南に人間の正義などありはしない。あるのは自然の恵みだ」
そういうと支店長はゆらゆらとかき消すようにいなくなった。
後書き
なお、かかる事件を生涯を費やして綿密に検証した某暇人と好事家によれば湘南江の島仮の正体は家庭問題に悩んだ男の末路であったという。不公平感が歪んだ正義を募らせて何の罪もないNPO法人に向いたということらしい。彼はけむしを飼育していた。同じ毛嫌いされる者同士、響きあう何かがあったのだろうか
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