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この町にはとても愛されているお婆さんがいた。100歳を越えても常に笑顔で誰とでも楽しそうに話し、そして社交的だった。
旦那につき合い、社会に貢献してきたお婆さんは常々こう思っていた。
『これだけ生きて来たのだし、機会があれば少しくらいわがままを言ってみようかしら。』
そしてそれは実践された。
「婆さん、迎えに来たぞ。」
男性が声をかけてきた。上下はスーツ姿だが、靴だけは歩きやすそうな運動靴をはいていた。
お婆さんは少しわがままを言ってみた。
「すみません、私は足腰がかなり弱くなっていまして、あまり歩きたく無いんです。」
「大丈夫、ほんのすぐそこ。そんなに時間はかからないよ。」
男はお婆さんの手を引いて歩かせようとしたが、お婆さんはその場に座り込みけして歩こうとはしなかった。
男は大きくため息をついてから、あきらめた様子でその場を立ち去った。
しばらく月日が流れた別の日、今度はスーツを着た女性が迎えにきた。
「お婆さん、迎えに来ました、前回は担当が気を利かせず申し訳ありません。今回は乗り物を用意してきました。利用者は年齢も近く、楽しくお話をしている間で目的地に着きますよ。さあどうぞ乗ってください。」
目の前にバスが止まる。中では数人の人たちが楽しそうにお喋りをしており、手招きをして中に誘ってくれる者もいた。
「すみません、私はどうもバスは苦手で。あの揺れと排気と座席が混ざったにおい、そして様々な人が混ざりあっている感じがどうも苦手で。」
お婆さんはバスには乗ろうとせず、結局バスはお婆さんを乗せぬまま走り去っていった。
それからさらに月日が経った。迎えにやってきたのは最初の男だった。
「さあ迎えに来たぞ、バスが苦手と聞いたから今回は考えてきた。なんと船だ、それも豪華客船。そして個室も用意した。これなら一人のんびりと、何ならベットで寝ている間に到着できるってわけだ。これほど楽なのもないだろう?」
男は自慢げに言う。しかしお婆さんは申し訳なさそうに答える。
「すみません、私は船も苦手でして。あの波独特の揺れが気分を悪くさせますし、地面以外を進んでいると思うと不安になってたまらないんです。」
男はお婆さんを安心させるべく様々なことを言うが、お婆さんの意見は変わらず船に乗り込もうとはしなかった。
それからしばらく、彼らの迎えは来なくなった。
病室でとあるインタビュアーが質問した。
「ズバリ、長生きする秘訣は何ですか?」
お婆さんはしわだらけの顔で微笑み、さらに深いしわを作りながら答えた。
「それはね、ほんの少しだけわがままを覚えたことかしら。」
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