2話:目指せ2㎏の壁!

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2話:目指せ2㎏の壁!

 その日の終業後、僕は取るものも取り敢えずジムに向かった。服とか靴とかどうしようかと思ったけれど、秋本ちゃんが先に聞いてくれて「初回は全部貸し出しある」というのでそれでお願いした。  今日は体験ということでワンコイン。時間は2時間らしい。  正直ドキドキする。昔から大人しく本を読んでいる方が好きでスポーツはからっきし。体育の時間が一番苦痛だったタイプの人間だった。そんな僕がジムなんて。場違いじゃないかが心配だった。  そわそわ挙動不審に入っていくと、想像よりもずっと明るいロビーに綺麗な受付があって、どちらかと言えばオシャレなクリニックみたいだった。 「こんばんは! 新規の方ですか?」 「あっ、はい! あの、予約をしていると思うのですが」 「お名前よろしいですか?」 「あっ、相沢和俊です」  伝えると、受付のお姉さんはにっこりと微笑んでパソコンを操作する。そして直ぐに頷いた。 「体験の方ですね、お待ちしておりました。直ぐに担当の者が来ますのでそちらに……」  お姉さんが言いかけた時、奥の方から誰かが此方へと近づいてきた。  黒く短い、スッキリとした髪型。長身で、なのに頭が小さくて。顔立ちも好青年で爽やかなのに、どこか甘さもある。写真で見たその人だった。 「もしかして、相沢さんですか?」 「あっ、はい!」  緊張に体温が上がっているのが自覚できるくらい、僕は慌てた。写真を見た時も素敵な人だと思ったけれど、実際に見たらもっとだった。どうしよう、心臓壊れるかもしれない。  その人はにっこりと微笑んで僕の前に立ち、大きくてしっかりした手を前に出した。 「初めまして、本日担当します箕輪幸彦です。よろしくお願いします」 「あっ、相沢です。よろしくお願いします!」  握手を返し、しっかりと握られる手の感触。熱くて、ゴツゴツした手だった。  どうしよう、なんだか嬉しくて舞い上がってる。変な人だと思われそう。こんなのきっと嫌だろうに。気持ち悪い人になってなければいいけれど。 「では早速案内しますね。確か、一式レンタルでしたね」 「あっ、はい。すみません」 「気にしないでください。案外多いんですよ?」  対応も親切な箕輪さんが俺のサイズを聞いて受付の奥へと一度消えて、次にはジャージやTシャツ、靴まで揃えて持ってきてくれる。そしてそのまま、僕はロッカールームに案内された。  ロッカールームは部活のイメージがあったけれど、今はとてもオシャレだった。木彫の枠に同じく木彫の扉。二段式の上のロッカーを開けると中は靴を入れる場所とその他の物を入れる場所に分かれている。 「更衣室はあっちにあります。着替えて、鍵をかけてくださいね。あと、あっち側にシャワーブースもあります」 「はい、有り難うございます」 「着替えたら此方ですから」  一通り聞いて、箕輪さんは準備をするとのことで出て行く。僕はいそいそと着替えを始めて……自分の身体を見て少し恥ずかしくなってきた。  普段はケーシーを着た上に白衣を着ている。だから体型は誤魔化せているけれど、今は全然誤魔化せない。お腹、ぽにょぽにょして出てる。  ちょっとだけ泣きたい気分にもなる。こんな恥ずかしい姿を見られるのかと思ったら出て行く勇気が出なくなってきた。 「相沢さん?」 「!」  更衣室の外から越えがかかって、僕は驚いた。そして更に泣きたくなってきた。 「何かありましたか?」 「あの、えっと! その……恥ずかしく、て……」  少しは自分でやっておけばよかった。服着れば大丈夫とか思って自分を甘やかさなければ、今も堂々と出ていけたのかもしれない。  でも、扉の向こうの箕輪さんは笑ってくれた。 「気にすることはありませんよ。健康的に運動して、すっきりしましょう」  ……そうだ、そういう場所だ。箕輪さんもきっと見慣れている。  グッと力を込めて勇気を出して、僕は出て行った。前に立っていた箕輪さんは僕を見て、何故かちょっと動揺したみたいだった。 「あの、そんなに僕酷いですか? あの、お腹とか!」 「え! いえ、違います! 相沢さん、可愛いですよ」 「かわ、いぃ……」 「あっ、すみません! その、気にすることありません。むしろ相沢さんくらいの方はまだまだ可愛い方ですから」 「そう、なんですね」  驚いた、そういう可愛いなんだ。妙な捉え方をした僕が馬鹿みたいだ。  それでも妙にドキドキして身体が熱くなる。愛想笑いをして、僕は連れられるままジムスペースへと向かった。  板張りのジムにはよく見るランニングマシーンや自転車マシーンの他にも、筋トレに使うのだろう色んな器具がある。かと思えば広いマットスペースもある。 「まずは血圧と身長と体重を計りましょうか」 「はい」  まずは血圧。お馴染みのマシーンに腕を通して圧迫されている。箕輪さんはタブレットを持って側についてくれている。 「上129の……下83ですか。ちょっと高めですね」 「あの、緊張していて」 「あっ、そうなんですね! こういう所は初めてですか?」 「運動苦手で」 「そうでしたか。大丈夫、リラックスしてくださいね」  爽やかなにっこり笑顔。実はそれだけでドキドキする。 「次は身長です」  言われて、デジタル式の身長測定器に。定位置につくと自動的にバーが降りてきたソフトに僕の頭にポンと当って戻っていく。 「身長は167cmですね。小柄で可愛いです」 「え! あっ、有り難うございます」  男にしては低身長。分かっているけれど、可愛いと言われるなんて。余計にドキドキしてくる。 「次は体重と体脂肪です」  ……きた。ドキドキしながら僕は体重計の上に乗る。乗るだけで体脂肪まで計れるやつだ。  見てこなかった現実が数字になるのは残酷だ。 「体重70kgで、体脂肪が27.7%ですか。ちょっと多いですね」 「すみません!」 「大丈夫! このレベルなら少しずつ無理なく頑張れますよ」  にっこり笑った箕輪さんが、とても頼もしく見えた。  続いて問診となり、生活サイクルや食事の好みなんかを聞かれた。 「生活サイクルはいいと思います。朝も規則正しいですし、寝る時間も睡眠の長さも丁度いい感じです」 「有り難うございます」 「問題は食事ですかね」 「あ……」  客観的に見ても思う、これはダメだ。  朝は菓子パンと飲み物。昼はコンビニ弁当。夜は自分の好きな物を作るか買ってくるか。そして間食の多さだ。 「唐揚げ、ハンバーグ、ピザ。カロリー高めな物が好きで、野菜や魚は苦手なんですね」 「はい」 「間食も多いですね。ものもポテチにチョコにクッキー。お供はジュースですね」 「お酒は弱くて」  思わず顔が上げられない。でも、自分で解決できる気がしない食生活だ。  それでも箕輪さんは笑ってくれる。そしてしっかり頷いてくれた。 「これらを止める必要はないんですよ。少し工夫すればいいんです」 「そうなんですか?」 「はい。例えばお米をロカボ素材に変えるとか。調理方法も揚げ物を控えて蒸し、焼きにして脂の量を減らすとか。お菓子もおからクッキーなんかにすればカロリー抑えられます。朝やお昼は仕事の事もあるでしょうから出来なくても、夕食と間食を工夫すれば大丈夫です」  そう、優しく言われると勇気が出てくる。僕もちょっとやる気が出てきた。  タブレットには今の僕の状態が出ている。見やすいグラフの上には「肥満」という文字。凹むけれど、ここからだ。 「腹囲も計りますね」  言われて、薄い服の上から腹囲を計られる。83cmだった。 「では、これが今のデータです。適正体重は61kgですね。約8kg減を目指しますが、いきなり全部はちょっと辛いですね」 「ですよね」  目標値と現状の差が結構ある。落ち込みそうだ。 「まずは1ヶ月2㎏減を目指しましょう! 運動と食事で1日460kcalくらい減らせば順調に落ちていくと思います」  うっ、意外と減らさなきゃ……。  思うけれど、今は少しやる気にもなっている。  まずはストレッチということで、準備体操を教えてくれた。映像を真似する感じだった。  次は柔軟なんだけれど……。 「うっ、いかないぃぃ」  お座り状態のテディベアよろしく前に倒れていかない。足を広げるにしてもまずその足が開かない。 「硬いですね。少し失礼します」  箕輪さんがそっと僕の背中に手を置いて「息吐いてください」と言う。言われた通りゆっくり息を吐いていくと、おぉ? さっきよりは。 「上手ですよ、相沢さん」 「そうですか?」 「はい」 「では俺がお手伝いするので、さっきの感じであと5回やってみましょう」 「はい」  背中に触れている手の温かさが嬉しかったりする。そして、ドキドキもする。こんな人に触れてもらえるなんて、日常じゃあまりないことだから。  その後はマシンの説明と使い方。有酸素運動の自転車を無理のないペースで漕いで、次は腹筋に効果的だというマシンを使ってみた。座ってやるタイプで、正しい姿勢で無理のないようにと付いて教えてくれた。おかげでどうにかだ。  その後はまた有酸素運動。他の筋力を鍛えるマシンを試してみた。気づいたら僕は汗だくだった。 「お疲れ様です、相沢さん」  水分補給をしながら2時間、僕は動き続けられた。励まされて、あと少しって言われて。なんか……なんだろう、この達成感。 「頑張りましたね!」 「箕輪さんが励ましてくれたからです」  疲れたのにしんどくないなんて、初めてかもしれない。  箕輪さんは凄くいい笑顔で僕の頭をヨシヨシと撫でてくれた。優しくて、なんだかとても嬉しいような、恥ずかしいような気分になった。 「あっ! すみません俺。相沢さんのほうが年上なのに」 「あっ! いえ、その……大丈夫です」  むしろ、嬉しかったです。  その後、もう一度ストレッチをした。最初と最後にしておくと翌日辛くないのだと言われた。  そして僕はまずはお試し入会として一ヶ月会員になった。一ヶ月の間ならいつでも来ていいそうだ。 「俺が担当しますので、いつでも声かけてくださいね」  帰り際、必要なジャージやTシャツ、靴の話とプリントを貰った僕に箕輪さんはそんな風に言ってくれた。  足も重たい、腕もちょっと重たい。でも、気持ちは天にも昇るほどに軽い日となった。
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