act.5 夢を見る 

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   美音さんの誘拐未遂事件は何とか終わりを迎えたけど、問題はまだ尾を引いていた。  SNSに流された無責任な噂や情報のせいで、美音さんは北央高校で絵の勉強を続ける事が難しくなった。  その為の打開策として示されたのが、アメリカの姉妹校へと留学する話だ。  出雲の中には相当な葛藤があったとは思う。  それでも出雲は美音さんをアメリカに送り出した。  あいつがどういう気持ちで彼女を見送ったのか、俺には到底知る由も無いけれど。  きっと身を引き裂かれる様な想いだったのは容易に想像出来た。 「大丈夫だ」  それでも出雲は普段通りに勉強をして部活を頑張って、そしてバイトにも精を出していた。  そのバイト代は、美音さんが出雲に会いたいと言ったらいつでもアメリカに行けるようにと貯めている金だという。パスポートをその為に取ったのも知っている。  出雲は出雲の中で、そうやって折り合いをつけたのだ。  俺の方は事件でバイクが壊れた(壊した)事が縁で隆成さんと知り合い、更にその縁でいいバイト先や新たに住む所も見つかった。  新しい住居は北央高校の近くだ、悠里にとってもいい環境だと思う。 「お兄ちゃん、私の為に無理をしてない?」  悠里は心配そうに聞くが、バイト先が分散してるあの状況よりは今の方が遥かに条件が良い。移動時間のロスが無いので身体が楽だ。 「大丈夫だ、俺は醸造所の仕事はとても楽しい」  うん、興味のある分野だからな。  農作物である米から色んな過程を経て出来る酒が面白い。それも精製の度合いで色んな種類に分かれる所も興味深い。 「兄ちゃん、このまま真波酒造に就職したいくらいだ。母ちゃんとの約束があるから高校は卒業するけどさ」 「そうなの?良かった」  悠里も美音さんが縁で知り合った深雪や仁科とも仲良くしてもらい、美術部の部活でも面倒を見てもらっている。  特に深雪とはマンガの付き合いもあってお互いの家を楽しそうに行き来したりしている。  時々美音さんのおばあさんに呼ばれて、出雲の家で深雪と一緒にパンやお菓子を焼いてきたりもしていて、気にかけて頂いてる事もありがたい。  今までは俺が、色んなバイトでいつも帰宅が遅かったから悠里は家で一人だったけど、今は俺が自宅と同じ敷地内の醸造所でバイトだ。安心して待っていられるという。  繁忙期には悠里も一緒に醸造所でバイトをしたり、店舗の方の店番をさせてもらったりだ。本当に隆成さんの家の方々にもとても良くしてもらっている。  悠里は隆成さんの娘の春風ちゃんとも仲良しだ。時々子守りを頼まれ、春風ちゃんのピアノを聴きながらスケッチをしたりもしている。    俺も出雲もそれなりに静かな日々を過ごしていたと思う。  そのせいか、出雲のネイティブの親父さんを見かけることも少なくなった。  出雲は親父さんに俺よりも美音を護ってくれと言ったから、きっとネイティブの親父はそっちだろうという。そうで無ければ困ると。  まぁ彼らには実際の距離はあって無いような物だから。親父さんの動きが無いのは、実際のところアメリカの美音さんも大丈夫ということなのだろうな。  出雲も変わった所は無いし、俺もひと安心だ。時々バイト前に出雲宅に遊びに行くと、三月から勢揃いしたご家族もにゃん太くんもみんな元気だった。 「弟と妹が美音を恋しがって時々電話とかで話してるよ。最後まで笑顔で話した後で、電話を切ってから二人とも泣くんだ。電話をしてる最中に泣くともう電話させないって俺が言うから」  あえて厳しい事を言う兄ちゃんだけど、幼い弟妹はそれが何の為なのかちゃんと知っている。自分達だけじゃなくて、アメリカの美音さんにも辛い想いをさせない為だ。 「その様子を見て一番泣くのは結局母ちゃんだけどな」  本当に仲の良い家族なのだ。  きっと美音さんも家族に会える日を夢見て、元気に何事もなくアメリカで暮らしているんだと、そう思って出雲も俺も日本での日々を過ごしていた。  高校二年生の冬までは。
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