一章

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 ソニーと二人での生活は、毎日変わり映えはしないけれどその穏やかな時間をクロは気に入っている。  日の出と共に目が覚めて、二人並んで朝食を作る。昼間は洗濯をしたり、ソニーの本を借りたり、色々と好きに過ごしてまた夕飯を一緒に作って食べる。  習慣となっていくやり取りと共に、二週間ほど経てばすっかり家の中の雰囲気にも慣れて体から力を抜くこと出来るようになった。  長期間は匿えないと言われたが、いつまでこうしてソニーの言葉に甘えていられるか。クロの記憶は二週間経った今でも思い出せていない。小さな欠片すら思い出すことは出来ずにこうして時間だけが経ってしまう。  週に一度ここを訪れる行商人からも隠れてやり過ごしてはいるが、そう長くはもたないだろう。先週もソニーの物ではない衣服を買ったのだ。きっと商人は不思議に思ったことだろう。  「大丈夫でしたか?」とクロが告げても、ソニーはあっけらかんとした態度で「大丈夫だよ」と服を押し付けた。何故そうも自信満々に言い切れるのかはわからない。多分、クロを気遣っているだけだと思う。  時々、話題に切りだそうとするのだが、その度にソニーに言葉を遮られてしまい、成功したことはない。いや、本当ならクロがちゃんと話をしなければならないのに、ソニーの言葉に、また後で……と先送りしてしまうのがいけないんだ。 (バレて困るのはソニーさんなんだから……)  クロだけの問題で済めばいいが、そうはいかない。もし、本当にクロが他国の人間だった場合、匿っていたソニーだって罪に問われてしまう。  それだけは、何としても避けなくてはいけない。  コロンと自室のベッドに転がる。昼食をとってから部屋に籠って本を読んでいたのだが一向に内容は入って来ない。  今日ソニーが貸してくれたのは、この国の成り立ちを記したと言う幼い子供向けの絵本だ。  仰向けにベッドに体を預けたままペラリとページをめくる。  表紙には王冠を被った黒い髪の男ともう一人同じぐらいの背丈の男が並んでいる。そして、後者には真っ白な羽が生えていた。  子供に親しみを持たせるためか、小さな頭身と淡い色で描かれたそれは可愛らしいものだ。  物語はこの表紙の二人の青年が出会うところから始まる。  荒れ地に蹲る黒髪の男に、羽を宿した青年が舞い降りて手を伸ばす。本の中で黒髪の青年の名は明記されていないが、羽の生えた者は「神」と名されていた。  神は、荒れた大地に緑を芽吹かせ、火を与え、潤いの雨を降らせた。  神と出会った黒髪の男を中心に人が集まり、少しずつ豊かになっていく土地。人々に活気が宿り始めると神は黒髪の男に王冠を被せ、天に帰っていく。  最後には王冠を被った青年がこの国を「リオリス」と名付け、神の慈悲に感謝を述べてこの国を永劫に渡って豊かな国にしていくと宣言して終わる。 「神は今もこのリオリスを見守っている……か……」  最後のページの隅に置かれたその文字は、何かで引っ掻いたような跡が付いていた。よく見ると本自体も角が擦りきれていたりとあまり良い状態ではない。  年月によって風化したと見るよりは、何か意図的に痛めつけられたような印象を受ける。  物を丁寧に扱うソニーから考えて、そんなことはないと思うけれど。 「神ねぇ……」  本当にそんな存在がこの国を作ったというのか? (まるでおとぎ話みたいだ……)  ソニーは読めば何か思い出すかも、と言っていたから、この話はきっと有名な物なのだろう。  何となく読んだことがあるような気がするが、本当に微かに気にかかるという程度で記憶に大きな変化はない。  何も思い出せないまま二週間。どうするべきか。  あまり長い間世話になるわけにもいかないが、全く知識がない状態で一人で生きていくのもきっと難しい。  料理や食事など、一般的な生活に関する面では体が覚えているのか心配はないが、もし働くとなった時に普通に職につけるのかが問題だ。 (ただでさえ、ソニーが当たり前のように使う魔法が使えずに普通の人よりも何をするにも足を引っ張っているのに……)  皆が出来ることを同じようにできないと言うのはハンデになるだろう。ただでさえ記憶だってないのだ。 「クロ、いるかい?」 「ソニーさん?」  呼ばれてベッドから身を起こす。クロの声にソニーが扉を開けて顔を覗かせる。 「畑に妖精避けの結界を張って欲しいんだが、って……ああ、本を読んでたのかい」 「はい、興味深かったです。これって事実なんですか?」  手の中の本を掲げれば、ソニーは苦い物を見るように目元の皺を深めた。 「それが事実かどうかは知らないが、神様とやらがいるのは本当さ」 「え、そうなんですか?」  その返答に少し声を上擦らせながらソニーに近寄る。まさかそんな答えが返って来るなんて思っていなかった。隣り合って廊下を進むが、見下ろしてソニーを見るクロとは違い、ソニーは俯いて視線を逸らしたまま口を開いた。 「この国にはある一定の周期で神子と呼ばれる神の使者が降りて来るのさ」 「みこ……」 「ああ、こことは異なる世界から現れ、身に宿した不思議な力でこの国に安寧をもたらすと言われている。事実、アタシが生きている間にも一人この国に神子が来てる」 「そうなんですね……」  おとぎ話などと思ったのが何だかばつが悪い。  連れ立ったままキッチンを抜けて裏口に向かう。ソニーから結界を張るための魔石を渡され、「行ってきます」と扉に手を伸ばす。 「アンタが来てから妖精が森からよく来るよ……」 「あはは……すみません……?」 「来るのはいいが畑に悪戯されちゃ困るからね。しっかり頼むよ」  トンと背中を叩かれて「はーい」と返事をしながら外に出る。まだ陽は高く、眩しさに一瞬目が眩んだ。  数歩歩いた先、家から距離のない場所にある小さな畑の四つ角に魔石を並べる。クロがするのはただそれだけだ。  四つ目が地面に置かれると魔石が淡く光を持ち始め、凝縮されたそれが宙に真っ直ぐ線を引く。四つの光の柱は互いに結び合うように横に伸びて綺麗な四角を描くと不意に消えた。  既に何度も見た光景だ。綺麗に線が結ばれたということは正常に結界が起動したのだろう。  実際、クロの側を浮いていた小さな光の粒―妖精は何かに阻まれるように畑に近づけない。  さほど畑に興味はなかったのか、進めないとわかるとすぐに方向を変換してクロの方に寄って来た。膝を抱えた中腰のままそれを眼で追う。ふわりふわりと上下に揺れながらクロの腕に止まった。特に触れられている感覚はない。強いて言えば、その部分が僅かに温いような気がする程度だろうか。  どうしたのかと見下ろしていれば、妖精はしばらくジッとしていたがパッと飛び立つと一度だけクロの頬を突いて森の方に帰って行った。  どうやら機嫌を損ねてしまったらしい。意思の疎通が出来るわけではないが、何だか怒ったようにクロに体当たりした気がしたのだ。 「戻るか……」  とりあえず役目は果たしたのだからソニーに一言伝えておこう。グッと足に力を入れて立ち上がる。陽光の中、体を反らして「ん~~」と伸ばした声を上げる。 「あれ……?」  家に戻ろうと振り返り、それは視界に入って来た。  この辺りにはソニーの家しかないものだから見晴らしは大変よく出来ている。草原が続く中に一本の整備された道が走っているが、そこに人影が見えたのだ。  ちょうどソニーの家の前。一人の青年はキョロリと周囲を確認した後に家の戸口に近づく。 (うちに何か用……?)  相手はまだこちらに気付いていない。本来ならばさっさと身を隠した方がいい。わかっている。わかっているのに、何故か自身の体は動く前に喉を震わせていた。 「お兄さん、迷子ですか?」  伏し目がちな表情のせいだろうか。何だか気落ちしたような、暗い雰囲気をしていたからそう思ったのだろうか。自分でも理解する前にそう言っていた。  クロの声に弾かれたように青年がこちらを見る。耳にかかる程度の真っ赤な髪が跳ね、同じ色の瞳が丸く開かれる。  随分と整った顔をした男だと、感嘆の息が漏れる。陽に晒された赤がやけに強烈に眼に残る。切れ長の瞳とスッと通った鼻筋。薄い唇がゆっくりと開かれて、その様をつい呑気に眺めてしまった。 「リアッ!生きていたのか!」  あっと気付いた時には目の前に美しい男が迫っていた。  肩を強い力で掴まれたと思えば、青年は焦れた様に顔にかかるクロの髪を払いのけて見下ろす。  形の良い眉の間に深い皺が刻まれる。グッと力の入った眼差し。  驚きと何かがない交ぜになったその瞳はやっぱり迷子のように揺れていて、頬に当てられた手に触れて優しく声をかける。  自然と穏やかな声音になったのは、青年が泣き出す寸前のように見えたからだろうか。 「お兄さん……?大丈夫ですか……?」  多分、容姿から見てクロとそう変わらないとは思うがこう呼ぶ他ないのだ。青年の手の甲に触れた指で、慰めるように肌を撫でた。 「リア?一体……」  クロの言葉に、青年は困惑を露わにして見下ろしてくる。  俺を見てそう呼ぶと言うことは、きっとこの人は記憶を無くす前のクロの知り合いなのだろう。先ほどの言葉から見るに、自分はずっと生死も疑われているような扱いなのか。  死んでいるとまで思われたのに、生きてはいたが記憶がありませんなんてぬか喜びさせるよな……。  申し訳ない気持ちになって変わらず見つめてくる赤い眼差しからつい視線を逸らしてしまう。それを咎めるように指の腹で頬を撫でられた。  此処にいることを確認するような手つきにむずがゆい気持ちになる。 「そうか、君は……」  ポツリと落とされた言葉は、最後まで聞くことは叶わなかったが、どうやらクロの様子を見て察してくれたらしい。 「すみません……」  居たたまれなくなってついに言葉にしてしまった。青年はだいぶ落ち着いたのか静かに口を閉ざしたまま一歩下がる。離れた手に寂しさを感じた。  青年はクロの姿をグルリと眺め、最後に風にそよぐ黒い髪を見た。  赤い双眸にもう一度クロが映る。それだけで、なぜか胸がドキドキと脈打つ。青年が何か紡ごうと口を開いたがそれに被せるようにしわがれた声がクロを呼ぶ。 「クロ、何してるんだい?ん……?」  裏口から現れたソニーがこちらを見開いた目で見つめている。 (ああ、一体どう説明しよう……)  こちらをみる灰色の瞳が、青年を見て更に大きく丸まる。 「まさか、本当に……」  愕然と佇むソニーの言葉は、胸中で頭を抱えていたクロには届かなかった。
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