一章 下

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一章 下

 起床してからいつものように朝食をとった。普段と違うのは、テーブルにかける影が一つ多い。本来なら食器を片づけてのんびりとする所だが、今日はすぐにソニーの部屋に引っ張られてあれこれと荷物を詰められる。  重くなって負担になってはいけないからと最小限の着替えや食べ物。困ったら使いなさいと路銀も渡された。 「こんな……!持っていけません」 「でも金がないと困るだろ?アンタは無一文なんだから」  確かにそうだが自分の物ではないお金を持つのはすごく落ち着かない。  しかし、ソニーにそうも言われては受け取るほかない。いつかちゃんと返そうと決め、財布はうっかり落とさないように荷物の一番下に詰め込んだ。 「リア、これを持っていきな」  今度は何を渡されるのかとヒヤリとしたが、目の前に差し出されたのは小さな石の付いたアクセサリー。  紐に通された石は、半透明で白く艶めいている。ネックレスにしては少し短い。  渡される意図が分からずに眼を瞬かせていると、焦れたソニーはそれをリアの手に落とす。 「お前は忘れちまってるかもしれないが、リオリスでは子供にお守り代わりに自分の魔力を灯した魔石を渡すんだ。突然だったからこんな小さい物しかなかったけどね……」 「子供に……」  呟いた声はぼんやりとしたものだった。 (ソニーさんが俺に……それってまるで、本当の親子みたいじゃないか……)  掌の上で光る石は確かに小指の先ほどの小さなものだが、見下ろしているリアの目元に熱が籠る。グッと手を握れば、触れた石の冷たさが体に沁みた。 「っ、ありがとうございます……」 「気を付けていくんだよ」 「はい、」  俯いて声を絞る。ソニーはリアの髪を耳にかけて頬に触れた。冷たくカサついた肌にどうしようもなく喉の奥が苦しくなる。 「大丈夫、今だって元気なんだから……どうせ何ともないよ」  体のことを不安がっているわけではないとわかっているくせに、そうぼやいて慰めるようにリアの頭に触れた。  腰の曲がった体では少し辛そうだったので、リアの方から頭を落とす。別に顔を見られたくなかったわけではない。  幼い子供になったみたいだ。リアにも、こうして撫でてくれるような母や父が居たのだろうか。知らない両親を思い出すからこんなに体が熱くなるのだろうか。 「はい」とまともに返事も出来ないリアを、ソニーは呆れた様に息を吐きつつも撫でる手だけは止めなかった。 「行ってきます!何かお土産買ってきますね!」  手を振って声を張り上げた。少し遠くなった家の前で、「馬鹿たれ」と声が聞こえた気がしたが、素知らぬふりで背を向ける。 「随分と仲がいいんだね」 「そうですか?」 「ああ、君とあの人が出会ったのは二週間ほど前だと聞いていたが……」  隣に並ぶハリスの言葉に、「そう言えばまだそれだけの時間しか共にいないのか」と自身でも驚く。他に記憶や頼れると所がないからかもしれないが、リアはあの場所を自身の家のように思っている。 「俺は、本当の家族のように思ってます……拾ってくれた恩人でもあるし」  言葉に出すと照れくさい。口元に笑みを浮かべつつも誤魔化す様に眉を寄せて落とした。情けない顔をしているかもしれない。  ハリスは短く「そう」と返しただけだ。 「あの、ネバスまでは結構距離があるんですか?」 「歩いて明日の昼ごろには着けるかな?こまめに休憩は取るよ。まあ、夜は野宿になってしまうけどね」  気遣うような視線が送られる。 「大丈夫ですよ!ソニーさんに拾われた時も道端で倒れていたみたいですし、きっと慣れてます!」 「……そうかい?」  困惑しながらもハリスは頷く。何か突っ込んでくれるかと思ったがこの反応ではリアの方が恥ずかしい。 (ソニーさんなら馬鹿じゃないのかいって言ってくれるのに……)  明るく振る舞おうと空回ってしまった。  まだ出会って一日しか経っていない。そんな相手と二人でいるなどどうやって接したらいいのかわからない。 (しかも、相手は昔の俺のことを知っているんだし……)  記憶が無くなって変になったとか思われたら嫌だな、と頭を掻いて視線を外に向けた。  ネバスまでは一本道だと聞いているので、今のような草原と木々の並ぶ景色が続くのだろう。時折吹く風がさやさやと緑を揺らして穏やかな心地にしてくれる。 (どんな街なのかな……)  今までソニーの家しか知らなかったリアにはきっと見るもの全てが新しく、楽しい物だろう。  気取られないようにまだ見ぬ街に心を躍らせる。ああ、お土産は何がいいだろうか。  ソニーは年のせいもあってかあそこから離れることはない。この機会に何か名物でも買って帰ってあげようと思うが、今のリアでは土産に何が適しているのかもわからない。 「ハリスさん、ネバスには何かおすすめの食べ物などはありますか?出来れば日持ちするものがいいんですけど」 「うーん……ネバスは住宅街が多いしあまり観光には適さないから定番の土産物とかはないかな……ああ、でも果物は美味しいよ。街の外れに大きな果樹園があるんだ」  それなら、帰る時にいくつか果物を見繕って持って帰ろうか。果物ならソニーも好んで食べていたはずだからきっと喜んでくれる。  せっかくの土産と言っても結局はソニーのお金なわけで。あまり高い物を買うのは気が引けてしまうが果物なら値段も手ごろで一緒に味わえるしいいかもしれない。 「リア」 「はい?」  どんな顔で喜ぶだろうかとソニーの反応を想像してワクワクしていれば、隣から静かに名を呼ばれた。 「私のことはハリスと呼んでください」 「はい、ハリスさん?」  何を言っているのだろうか。先ほどからちゃんと呼んでいたはずだがもしや間違えて口にしていたかと顔を青くさせる。 「敬称もいらないので、ハリス、と」  ゆっくりと語る様に自身の名を告げてハリスが笑う。もしかして、以前のリアはそうやってハリスのことを呼んでいたのだろうか。  久々に会った友人に記憶がないとはいえ距離を取るように呼ばれて嫌だったのかもしれない。 「わっわかりました、ハリス!」  焦って承諾しながら短くハリスの名を繰り返した。 「ありがとう」と微笑む赤毛にほおっと息をつきながら肩を落とす。  傍とそこで一つ思い出した。 「は、ハリス……」 「どうしました?」  声を潜めて袖を引く。不思議そうにハリスが顔を寄せたのでリアは視線を彷徨わせながら慎重に言葉を選んだ。 「あの、その……以前の俺のことで聞きたいことがあるんですが……」  ピクリとハリスの耳が動く。僅かにその身を固くした気がするのはリアの思い過ごしか。口を小さく窄めて戸惑いつつも呟く。告げる内容の方に意識が割かれてハリスを気にしている余裕はなかった。 「あの、俺は女性の服を好んで着ていたりしたんでしょうか?」 「は……?」  耳元で囁いた声に、ハリスは赤い双眸を見開き、間抜けに口を開けていた。 「いや、俺の知る限りではなかったはずだけれど……」  引いていた袖から手を離し、上目づかいに言葉を待っていれば、ハリスはポカンと呆けたまま答える。何を聞かれたのかよく理解していない顔だ。  リアはハリスの言葉に胸を撫で下ろす。人が何の服を着ようが自由だとは思うけれど、昔の知人に出会ったとして昔のリアのような振る舞いを求められても難しいと思っていたのだ。あのヒラヒラとした落ち着かなさはあまり味わいたいものではない。 (でもそうじゃなかったみたいで良かった……)  杞憂だったようで何よりだが、そうすると何故あんな服を着ていたのかとまた首を傾げる羽目になる。本当に記憶を無くす前のリアは何をしていたのだろう。 (あれ?それよりもさっき……)  何か気にかかってハリスの言葉を思い返す。そこであることに気付いて「あっ」と顔を上げた。 「ハリス」 「なんですか?リア」  混乱を残しつつもハリスはすぐにリアに答えた。僅かに上にある瞳を見上げながら微笑む。 「あの、無理にそうしていなくても大丈夫ですよ?」 「えっ?」 「さっき、自分のことを「俺」って言っていたでしょう?記憶がない俺のことを気遣って丁寧に話してくれているのかもしれませんが大丈夫ですよ」  気遣いに感謝を述べながらやんわりと進言する。  ハッと口元を押さえたハリスからは血の気が引けていく。何か失礼をしてしまっただろうか。せっかくの心遣いを無下にして怒っているのか。  思わず謝罪の言葉をリアが口にする前に、ハリスがだらりと腕を下ろして声を発した。  声と言うにはあまりにも弱々しくて風ですぐに飛ばされてしまいそうなほどに小さかったけれど。 「ああ、ありがとう……リア」 「いえ、そんな……こちらこそ……」  立ち尽くすように力なく言うものだから、ついその手を引いて「早く行きましょう」と早口で捲し立ててしまった。  昼間は陽光のおかげで温まっていた体も、夜になれば冷え込んでしまう。春も近づいて来たとは思うが、まだまだ夜の寒さは続いている。  ソニーが持たせてくれた体を覆うフードつきのマントは、すっぽりとリアの体を覆うことができ冷たい風を防いでくれた。  膝を抱えるように座って目の前でパチパチと音を立てる焚火を見つめる。ゆらゆらと燃える火を見ているだけで幾分か寒さはや和らぐ。 「寒いか?リア」 「いえ、大丈夫です」 「寒かったらすぐに言ってくれ。俺の魔法では気休め程度にしかならないが……」  数歩分の距離を開けて同じように火を向いて座るハリス。リアのように羽織ったマントでその身を包み、片膝を上げて肘をついている姿は随分と様になっていた。 (絵から飛び出て来たみたいだな……)  暗い森の端で、火にあたってぼんやりと明るさを持つ横顔は綺麗なものだ。  昼間のリアの言葉から、少し口調が崩れてはいるが時々まごつくように口を閉じる姿もある。まだ、ハリス自身戸惑うことがあるのだろう。 「あの、ハリスはこの先の街から来たんですか?」 「いや、俺はカルタニアからだ。ちょうどネバスとは王都を挟んで反対にある街だよ」 「かるたにあ……」  繰り返し呟くが音を真似しただけでよく理解していない。 「……本当に覚えていないんだな……」  リアの様子を見かねたのかハリスは焚き火用にいくつか拾ってあった枝を一本拾って地面に立てて線を引く。  どうやら地図を描いてくれるらしい。  興味深く覗き込めば、地面の模様を指して説明を加えた。 「ここが今から向かっているネバスだよ」  地図には中央に置かれた王都「リフィテル」。そしてそれを囲むようにグルリと「ノストグ」「ネバス」「リリシア」「カルタニア」「ウノベルタ」と書かれた街が時計回りに囲む。 「俺が来たのはこのカルタニアだ」  そう言ってハリスが指さした場所は、確かにネバスとは王都を挟んで正反対の位置にある。ここから来たとなれば随分と大変だったのではないだろうか。 「ちなみにリアが住んでいたのもこの街だよ」 (あ、そっか……俺もこの国のどこかに住んでいたんだ……)  ソニーの話では他国の可能性が高いと言う話だったのでうっかりしていた。  そのハリスがカルタニアから来たのだから当然リアもそこにいたはずだ。  二人の間に火の粉の微かな音が走る。言葉を止めたハリスはジッとリアの様子を窺っている。 (やっぱり優しいな……)  自然と口が笑みを作った。  リアが聞く姿勢を取るまで黙っていてくれている。時間はあるからと思っていたが、いざ聞くとなると怖かった。きっとハリスはそんなリアの心情を察していたのだろう。 (本当なら俺の方からさっさと聞かなきゃいけなかったんだけど……)  深く呼吸をすると夜の冷たい空気が体に流れ込む。その寒さに頭がはっきりと冴えていく。 「聞きたい、聞かせて下さいハリス……前の俺のこと」 「うん……リア、君はカルタニアにある教会で暮らす子供の一人なんだ」 「教会で……?」  ハリスの言葉は、想像していたものと違った。思わず繰り返す様に唱えれば言いずらそうに赤い瞳が逸らされる。 「そう……教会は親のいない子供たちの面倒を見ていて、孤児院としての役割も担っているんだ」 ―――ああ、だから。  逸らされた視線の意味がわかった。そこで暮らしていたリアも必然的に孤児なのだ。  どこかに、自分のことを探している血の繋がった家族がいると漠然と思っていた。しかし、それほど傷ついてはいない。自分でも驚くぐらいにすんなり受け入れられている。 (大丈夫、俺は一人じゃない……)  手首に巻かれたお守りに触れる。  一人は、リアの身を案じてくれている人がいる。それにハリスのようにリアを探してくれている人だっているのだから十分幸せだ。 「リアは施設の中でも年長者で職員と一緒によく子供たちの面倒を見ていたよ。子供たちも君にはよく懐いているようだった……」 「教会にはそんなにたくさんの子供がいるんですか?」 「……ああ……」  ハリスは残念そうに首肯する。教会の子供がそれだけいると言うことは、親に捨てられた子や身寄りのない子供がそれだけいると言うことだ。 「じゃあ、俺にはたくさん家族がいるんですね」  瞳を伏せて自分よりも幼い子供たちが一つの場所に寄りそう景色を想像すれば、自然とそう言うことが出来た。  笑って顔を上げると、ハリスはキョトリと不意を突かれたように目をしばたたかせた。 「君はそういう奴だったな……」  どこか含みのある笑みを口元に携えて、弱まった火に手をかざす。掌から小さな火種が現れて火力を強くした。 「ハリスは火を操るのが得意なんですか?」 「髪が赤いから?」 「え、はい……ソニーさんが魔力は色を持っていて相性のいい物の色になるって言っていたので……」  ハリスの声に背筋に冷たい何かが伝った。  不躾に聞いたのはいけないことだったか?  この世界の常識にはまだ疎い所がある。膝を抱える腕に力を込めて更に引き寄せる。チラリと見るがハリスの静かな横顔からは不快さは感じ取れない。 ―――気のせい、だったのかな。 「まあ、確かに相性がいいのは火やそれに準ずるものかな……といっても多分火の魔法自体は君の方が扱いは上手かったと思うよ」 「そう、なんですか?でも俺って」 「真っ白な髪だったよ。何の色も持たず、得意も不得手もなく全ての自然から平等に力を借りることが出来る。まあ、万能型と言ったらいいのかな……魔力の量も多かったしね……」  リアの台詞を汲み取って発したハリスは、「俺は平凡な才しかないから」と締めくくった。  自嘲する様に、そして以前のリアを羨んでいる様にも聞こえた。 (こうやって火を起こせるのも十分すごいと思うんだけどな……)  今のリアでは火を起こすことも、水を湧き出すことも出来やしない。 「でも、いま俺がこうして暖かい思いをしているのはハリスのおかげですよ。ありがとうございます」  火の暖かさに緩んだ顔のまま告げた感謝の言葉は、どうやらハリスにはあまり良い意味では受け取られなかったらしい。見たくない物と対峙したようにぎゅっと目元に力が入って伏せられてしまった。 (ああ、どうして俺はいつもこんな顔しかさせられないのだろう……)  口を引き結んでぼんやりと思う。 ―――あれ?  はて、と首を傾げる。「いつも」とはどういうことだ?  自然と胸に抱いた感情に首を傾げるが答えは出ない。そのうちにハリスから「もう寝ようか」と声をかけられて曖昧に頷き、疑問を抱えたまま意識を微睡ませた。
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