隆と昌-蒼き詩-

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隆と昌-蒼き詩-

「今、なんつった?」  昌の剣幕にすっかり腰が引けている深海沢(ふかみざわ)勝利(しょうり)。  それでもいったん口から出た言葉は戻らない。 「へ、へっ! 犯罪者の息子は犯罪者になるんだよ。ほ、ほらっ! 言っておくが暴力は停学、下手すりゃ退学ものだぞ。やれるもんなら……」  クズだな!  みぞおちがきゅっとする。  (しょう)は握った拳を振りぬいた!  チア部の九条(くじょう)(まい)を見かけたのはいつだったか――。  月岡(つきおか) (しょう)は思うのだ。  いつ、どんなふうにして自分は恋におちたのか、と。  風の中の踊り子。  ふり返らずに踊る夢。  走っても追いつけない焦燥の中で、彼は確かに見届けた。 「キレイ、だ――」  先輩から譲り受けたばかりのゼノで、タイムリーの演奏をおくった後。  白とピンクのポンポンを抱いて跳ねてる九条舞が、まぶしく笑んでいた。 「REIWA学園、優勝――」  その日、まばゆい太陽だけが熱く心を支配していた。 「九条舞さん! あなたが好きですっ! おねがいします!」  乙女ならば許されるカスミソウの花束。  心躍る夢をくれる、学園ナンバーワンの九条舞ならば。  ふるえる気持ちを早くつたえて、捕まえてしまいたい。  昌はドックドックと打ち鳴らされる心臓の鼓動を全身で感じながらめいっぱいカッコつけてさしだした。 「ごめんなさい――」  小さくくしゃみをする姿もまたかわいくてならない……って! 今ごめんなさいって言った!? ごめんなさい!? 「こ、断わるってこと!?」 「いえ、あの……私花粉アレルギ―でえ……くしゃん!」  ごめんなさいって言われた――ごめんなさいって!!  衝撃! 昌はその場に膝をついて号泣した。  風の中の踊り子。  その身にまとうは輝きのヴェール。  金糸銀糸の縫い取り。  星屑の――ダンサー。  軽やかに舞う、奇跡のきらめき。 「オレ、ずっと好きで、好きで……うわぁああっ」  真っ白な花束だけを置いて、背中を向けた放課後――昌の心はショックでズタボロだった。 「ふうん、舞にフラれたって本当だったんだね」  (りゅう)はぼんやりとした目を昌にむけて、気の毒そうに言った。  九条 舞はチア部の花形だ。  昌は吠えた。教室の人目もはばからず。 「隆はなんで舞さんを呼び捨てにしてんだよ!?」  食いつくのはそこか。嫉妬が昌の胸を焼いている。 「昌こそ、去年からストーキングしてたから、いつアブナイ手段に出るか心配だったよ」 「女子が欲しいものナンバーワン、カスミソウだけの花束、突き返されたよぉー」 「まあ、おうちの都合じゃないかな。母親が厳しいんだって」  それにつけても、舞は花粉アレルギーなので、その手の類のプレゼントは受け取ったことがない。  ただし、舞はいわれのない物品は受け取った後、校舎裏でこっそり処分している。ファンが泣きそうである。  しかし昌のことは、その場で断りを入れたのだからまだ誠意ある対応だったと言える。 「そんな無理して高いものを買わなくったって、普通に考えればありがた迷惑ってこともあるだろ」 「隆ー! おまえ、舞さんと幼馴染だからって! 少しはオレに協力しろー!」 「え? もうとっくに断られたんでしょ」  昌はぐっと眉根に力を入れ、瞠目すると机をたたいた。  勢いで現国のプリントがひらりと飛んだ。  隆はそそくさと教室を出て行った。 「購買へ行ってくる」  と――いいわけなのか、本当なのかわからない態度で。 「むかつく」  昌がいくら八つ当たりしても、隆はどこ吹く風。  今日は自習時間で、教室に残っている生徒もまばらだった。 「くっそ。オレはあきらめない」  拾い損ねていた隆のプリントを手に取り、昌はくしゃりと丸めて三階の窓から放った。  シャープペンシルの芯を入れ、数回ノックしてから初めて隆は自分のプリントがないのに気づいた。 「どうしたんだよ」  すらっとぼけて昌が言うのと、体育授業を抜け出してきた女子が隆を戸口から呼ぶのが同時だった。 「いや、なんでも……」  軽く言って立ち上がった隆は、見覚えのある――いや、舞から何か受け取る。 「大丈夫?」 「慣れてるからな」  そんな会話の後、舞は去っていった。  わざとらしく、隆の手元をのぞきこんだら、名前無記入の隆のプリント――昌がくちゃくちゃにしたもの――が、あった。 「だめじゃん、窓から捨てたら」 「……舞と長年一緒だと、こういうことがあるんだよ」  昌は一瞬ぎくりとしたが、ポーカーフェイスでやりすごした。 「まあ、簡単には許さないけどね」  隆がから威張りするように、どっかりと椅子に腰を落ち着けた。 「なあ、もうすぐテストだな」  何気ない風を装っているつもりだろうが、今朝は隆の教科書が隠された。  教室中をさがせば見つかるのだが、たいてい授業前にものがなくなる。  しかし、隆は昌の言動から嫌なものを感じたので、さてはこいつか、とあたりをつけた。  そして、そんないやがらせには屈しないところを見せつけてやろうと決心した。 「なんだよ、おまえ。また舞さんに辞書かりてきたのか」 「ああ、クラスが別なんで助かったよ」  白い顔をして、口のはしで笑う隆に、昌は内心で舌打ちしていた。  舞のもちものならば、かくすわけにはいかない。  それだけではなく、そのうち隆は授業中にノートをとらなくなった。  教科書のない状態で予習だってテスト範囲だって把握するのは難しいだろうに。  中の下だから、もうギブアップかよ? どういうつもりなのかと昌は鼻白んだが、すぐに後悔することになったのだった。  この学園では未だにテスト上位者を掲示板で公開している。  偏差値偏重の名残だ。  朝っぱらからきゃいきゃいした声で舞が突然、隣のクラスから昌たちのクラスにとびこんできた。  いや、正確には隆のいるクラスに、だ。  舞は隆がのんびり席についているのを見て、駆け寄ってきた。 「隆くん、テスト総合トップだったよ! すごいすごい」 「!」  昌は耳を疑った。  隆をいじめるのに毎日時間をロスしたおかげで、昌は順位が中の上からおっこちそうだというのに。  いじめに屈しない隆の態度が、昌を混乱に陥れた。  人間不信にもならないとは、そのうえトップ成績とは、昌の想像を軽く超えていた。  そこが隆の狙いだったということに、昌はまず気づかない。 「隆、ツラかせ」  おもむろに席を立って斜めに見下ろすと、隆はつんと横を向いた。 「いやだよ。なんで用もないのに」 「オレだよ、用があるのは」 「ボクのほうはない」 「……どんな手を使った」 「なんのこと」 「とぼけんな! どんな不正をすれば中の下のおまえがトップになれんだよ」 「ああ、それ。別に。真面目に授業を受けてればわかる問題ばっかりだったから」 「てめーはまともに授業なんか受けてなかったろ?」 「だれかさんのせいでまともな受け方はできなかったけど……ボクは最善を尽くしたまでだよ」  隆はすまして席を立った。 「どこいくんだ。用はまだ済んでねえ」 「トイレだよ。ついてこないでね」 「――おぼえてろ!」  秋も近づく残暑の陽ざしを受け、まだ明るい図書館。  隆は表のベンチに腰掛けカフェオレをのんでいた。  するといきなりガツンと背もたれに衝撃が。  隆が視線をあげると、ちんぴらみたいなセリフが降ってきた。 「だれに断って、ここにいるのか理由を聞かせてもらおうか」  昌だった。 「……公共物は大切にしたら? 壊したら器物損壊だよ」 「そんなの関係ねー。おまえはなんでここにいるんだって聞いてるんだよ!」 「昌」 「なんだよ。文句あんのか? 優等生さま」 「ボクは優等生じゃない。要領がいいだけの小さくまとまった器の持ち主だよ」  昌は鼻白んだ。  隆の筆記用具、ノート、教科書、カバン、体操服、革靴までを毎日ゴミ箱に捨ててやっていた犯人が自分だとまだ気づかないのだろうか? 今、隆の教材はまとめて体育館倉庫に放り込んであるのだ。 「おーおー、謙遜するところが勝者のよゆうだな」 「そんなことは……」  隆はいわくいいがたそうにしている。  そこへ、舞がやってきた。 「隆くん!」  昌がふり返ると、彼女はデイバッグを背負って走ってきた。 「あ、その人も?」 「違うよ舞……」 「いいや、違わないね」  首を振ろうとする隆を昌は遮った。 「月岡君もくる?」  一瞬言葉をなくした昌だったが、 「名前、お、憶えててくれたんですね!」 「うん? だって去年甲子園に応援に行ったよね。公欠して吹奏楽部と応援団で。一緒にお弁当食べた人は憶えてるよー」  しかし、その後の昌の告白はなかったことにされていた。 「舞、時間ないから」  自動ドアの前で隆がふり返った。 「隆、おまえは刻一刻、時間が削れてく人間の悲しさを知らねえ」 「!」 「あたりまえのように、他人の記憶から忘れ去られるやつのむなしさも知らねえ」  隆はひそかにため息をついた。 「それって六年前のことに関係あるの?」  黙って首をかしげている舞をしり目に、唇をかむ昌。 「それとも、君が児童養護施設にいるのと、なにかかかわりある?」 「――そうだよ」 「大きな事件だったから、良く憶えているよ」  昌は、何を言い出すのかと一瞬肩をふるわせた。 「入ってきなよ。友達だろ」 「――ッ!」  昌は衝撃を受けた。  それは隆の昌に対する究極の温情だった。  昌はもちろん受験勉強が目的などではない。  それは座席の使い方でわかった。  昌はクッション性の乏しい幅広の座席を三つ、集めてくるとそこに横になっていびきをかき始めたのだ。  隆があっけにとられ、思わず引いた。  ぴしぴしぴし! とその頬を叩いてやると、昌はめんどくさそうに隆を見た。 「なんだよ、優等生さま」 「だから違うって。ここは寝る場所じゃないから」  小声でしゃべっているのさえ、周囲の溜息を誘っていた。 「仲がいいんだね、二人とも」  だから、舞が率先して言った。 「ねえ、隆くんが成績トップな秘密、月岡君に教えていいかな。舞、自慢したいなっ」 「秘密……?」 「隆くんが全然ノートや教科書を学校にもってこないわけ。すっごいんだよ! ね、隆くん!」 「そりゃ、ぜひとも聞きてえな」 「月岡くんはここじゃ寝てしまうみたいだし、じゃあ、さっそく場所を変えましょう! 隆くんちでいいよね」 「ええ? 舞……」 「けっ、そうかい」  だるく言いながらも昌はついてきた。  つい最近舗装された感じの真新しいアスファルト道路を踏みしめながら、三人はひなびた家にたどり着いた。  パッと見、森か林の一部を担うかのようにそびえる庭木と、伸び放題の生垣。  陰った縁側に一人、ほっそりと上品なたたずまいの老人が足を組んでいた。 「あ、だめだ。じいさまが瞑想中だ。音を立てずに場所を移そう」  隆がそういうので、近くの野菜直売所で角突き合わせた。  あらあ、珍しいわ。お友達? 御神楽(みかぐら)のぼっちゃん。佃煮とぬかづけを持っていきなさいと近所の奥様がたに言われて話の半ばで再び場所を移す。  駅の屋根が見える坂道で、佃煮とぬかづけを両手に下げた隆が言った。 「うちのじいさまは大学教授だった、ってとこまで話したよね」 「それがどうしたんだよ。今は痴ほう症患者じゃねえか」  隆はそこでうん、とうなずいた。 「ボクね、じいさまの認知症を完全に治す薬を開発したいんだ」 「わかんねえけど、おまえの気持ちは理解した。で、秘密ってのはなんだ」 「気づかなかったみたいだね。ボクは教科書と授業の丸暗記をしてたんだよ。やりかたはじいさまに教えてもらった」  昌がぽかんとしていると、舞が補足した。 「舞もだよ。けど隆くんの記憶力のよさは特別すごいの」 「なんでそんな奴が普段成績中の下なんだ? いや、ポイントはそこじゃない。どうしてそんなわけのわからない裏技使ってんだ?」 「それは君がわるい」 「ああ、ほんとにわるかったな! まさかおまえがそんな変態的頭脳の持ち主だとは思わなかったからな」 「まじめに聞いてよ。昌にもコツを教えるから、今までボクからとったものを返してほしいんだ」  昌はそれを聞くと胡散臭げに隆を見返した。 「なんだ、気づいてたならそう言えよ。そんなこと言って、イニシエーションとか宗教のお誘いじゃねえだろうな」 「それはないから」 「じゃあいいぜ。今までとったやつはノシつけてお返しした後で、じっくり話をきかせてもらおうじゃないか」 「うん。それでもしよければ、じいさまの世話を手伝ってほしい」 「は? なんでオレが見も知らないじじいの介護なんてしなきゃいけないんだよ」 「それは君もじいさまの生徒になる、弟子になるってことだから」 「ハァッ!?」 「うれしい? 月岡君」 「うれしいわけないですよ」 「でもね、隆くんも大変なんだよ。下は小学生から中学生の弟さんがいて、面倒見ないといけないから」 「そうか……や、だったらその、おふくろさんはどうしたんだよ……」  昌の声が、ごにょっとしてくぐもる。 「パートタイムで朝から出勤」 「じゃあ、そっちの弟の方をオレにまかせろ」 「えっ、本当にいいの?」 「まあ、なんだ。慣れてるからな……施設で」  頭上は快晴で吹き抜ける風が気持ちいい。  終始おだやかな隆と、どこかうかない顔の昌。 「それで、その、裏技つかったら、大学……とか、いけんのか?」 「のぞむがままだよ。自分しだいだけれどね」 「そうか……おまえはなんでいつもその手でやんなかったんだ?」 「今回のテストはさすがにピンチだったから、小さいころに習ったのを思い出したんだよ。ちょっと忘れてたけど。まあ、目立つしね、あれは」  確かに、なにも机に出さないではあやしい。  へえ、と納得する昌。  そのとき、ざあっと音を立てて夏草が波を立てた。  もう、駅だ。 「隆くん、月岡君、舞、手造りおやつを差し入れるね」  舞がパッと光が灯ったように微笑んだ。  隆も昌もこころもち顔を赤らめながらも、サンキュ、ありがとうと返した。  深海沢勝利が舞を毒牙にかけようとしたという噂は、千里を走った。 「んのやろ……!」  昌は舞が泣いているのを発見すると、校舎裏のたまり場へ単身乗りこんでいった。 「んぁ? あんだオマエ……」  赤い頭をとさかにしている唇ピアスがガンつけてきた。 「舞さんになにをした!」  昌が声を張ると、背の高い男が進み出てきた。 「オマエ……知ってるぞ。最近たいくつしてたと思ったら、そっちからきてくれるとはな」 「なんだと!」 「ウワサは聞いてる。気に入らないね」  制服のベルトにどくろのついたチェーンをつけている、背の高い男――こいつが深海沢か。  なるほど、いい面構えだ。 「オマエ、確かおふくろさんが人を殺してるよな。刺されたのはおやじさんだった……血は争えないねえ」  ぴく、とほんのわずか、昌の頬がチックを起こす。  昌はわざと無防備にさしまねいた。 「かかってこいよ――」 「いんや。素手でくる奴には敬意を表して、最初に一発殴らせてやる」 「深海沢さん!」  赤毛のピアスがしゃしゃり出てきた。  かと思うと手を後ろに回し、光るものをとりだした。 「ここはオレにやらせてくださいよ」 「まて」 「どうせこいつもカタギじゃないんでしょ? 一発で沈めてやんよ」 「まあまてと言ってる」  深海沢は落ち着きはらっている。  そこが不気味だ。  だが、昌はごまかされなかった。  相手は素手で、昌を迎え撃とうとしている――なんのために? 昌のプライドをへし折るためだ。  やれる!  と思ったその瞬間。 「犯罪者の息子は犯罪者になるべくして生まれてきたんだよ。なあ、月岡昌」  明らかな挑発に昌は呼吸を吐いた。 「もう一度聞く。舞さんに何をした!」 「なにだと? ちょっと触ったくらいでおおげさなんだよ。なんならもみしだいてやればよかったぜ」 「このやろぉおーっ!」  昌は肩から突進。  赤毛のナイフが目の端にうつったがかまわない。  深海沢は受け身をとるでもなく、その場に転がった。  そしてそのままの格好で指先をこちらへ動かした。 「あんなメス一匹のためによぉ。ヒーローってやつかよ。だがな、あいつはなんだ? おまえの女かっつんだ! だれにでも体触らせるようなやつだぞ」 「今、なんつった?」  昌の剣幕にすっかり腰が引けている深海沢勝利。  それでもいったん口から出た言葉は戻らない。 「へ、へっ! 犯罪者の息子は犯罪者になるんだよ。ほ、ほらっ! 言っておくが暴力は停学、下手すりゃ退学ものだぞ。やれるもんなら……」  みぞおちがきゅっとした。  昌は拳をふりぬいた。  カッとしたのではない、倫理的に考えても、論理的に考えても、赦せなかった。  こいつはクズだ。  クズだクズだ、クズだ!  風のない草藪で秋の虫が鳴き始めていた。  そのとき複数の悲鳴と舞の声がした。 「月岡くん!」 「昌……あいつ!」  ギャラリーが次々と道を空けて、海のように割れた。  わいた彼らに背を向けて昌は自分の胸に拳を抱いた。  人を殴れば拳が痛む――それ以上に、憎しみより悲しみがわいてくる。  隠れて見ていた舞が駆け寄ってくる。  隆も、遠巻きにこちらを見ていた。  昌はわけも聞かれず、学園から一方的に自主退学を求める書類が送られてきた。  人生なんて、こんなものだな――。  昌が厭世観にまみれていると、隆と舞が心配そうに集まってきた。 「こんなのおかしいよ。退学になるなら深海沢の方だ!」 「ごめんなさい、舞が制服を破られたぐらい、我慢してれば……ううん、最初から注意して近づかないようにしていれば、あんなやつなんかに好き勝手言わせなかったのに」  舞は顔にまで鳥肌を立てて、二の腕を抱きしめた。 「――――オレのことなんてどうでもいいじゃないか、別に」  思いがけない言葉に舞は悲鳴のように叫んだ。 「なんでっ! どうしてそんなこというの?」 「ちょっと考えればわかるんだよなあ。深海沢はこの学園の理事長の孫だ。そいつがオレの身上を知ってるってことは、最初からオレをターゲットにして追い出す手はずだったんだろう」 「そんなことっ! だって……」 「だって? オレのおふくろのことが一般生徒にまで噂になってるんだ、考えられないことじゃないだろう?」 「決めた! 待てよ昌。ボクたちまだやれることがあると思うんだ。だから、退学届けにサインするなよ」 「何言ってる……」 「いいから!」  隆がノックをして入室した。学園長の座るデスクの前に、やはり深海沢が斜に構えて立っていた。  大仰な包帯を頭に巻いている。  きっとそれで、昌を悪者にしたてた……そういうことだろう。 「礼をわきまえず失礼いたします事お許しください」  隆はゆっくりと深くお辞儀をした。 「名前は?」  少し横柄な問いだった。  しかし、ここぞとばかりに隆は声を張った。 「御神楽 隆と申します!」 「何っ!」  学園長が椅子から飛び上がって駆け寄ってきた。 「み、御神楽と言ったかね? まさか……」 「月岡くんが停学になったと聞いてきました。どうか彼の退学処分だけは取り消してください」  デスク前に陣取っていた深海沢がせせら笑うように、隆を眺めやった。 「彼は決して悪い人間ではありません。ボクの家で認知症の祖父の世話を手伝ってくれます。あんないいやつはいません。今回の事、ひどく気に病んでいます。そんなつもりではなかったと」  じっ、と学園長は隆の顔を見つめた。 「御神楽くんだったね? 君の、いやあなたのおじいさんはもしや、御神楽 育郎(いくろう)という名前ではないですか?」 「え? あ、はい……」  息をのむ学園長。  わけのわからぬ隆たち。  そのとき、ノックもせずに部屋にとびこんできた女生徒が一人。 「月岡くんは舞のために、ひどい生徒を怒ってくれたんだもんっ! 悪いのは深海沢なんです!」  深海沢は相手にならない、というように顎に指先をあて、よそを向いた。 「何を言っているんだ」 「そこの男は舞のことセクハラしました! 制服破かれましたー!」 「な――……!」 「舞だって、こんな屈辱は許せないんだもん! みんなにばらしてもいいんだよ?」 「や、やめろ、このバカ女っ」  深海沢は小声で早口になったが、舞は聞き逃さない。 「ほら、後ろ暗いんだっ!」 「学園長、こんなやつつまみ出して……」 「ええい、うるさいですよ! 深海沢くん」 「ひぐっ」  学園長がのびのびになった襟足を振り乱しながら、深海沢をだまらせた。 「警察沙汰にしてほしいのですか? そういうことなら深海沢君にも処分を……」 「そんなっ。理事長にいいつけますよっ」 「目にあまるのだよ、深海沢くん」  深海沢は舌打ちしてひき下がった。おぼえていろよと目で言って。  重い音を立てて扉が閉まると、学園長が悲しそうな声で言った。  隆たちを振り返らずに。 「御神楽先生は、認知症。では、今はどうしていらっしゃるのです?」 「え? し、失礼ですが学園長と祖父とはどのようなご関係なのですか?」 「話せば長くなります。それより、質問に答えてください!」 「ハイ……。数年前から老人性の認知症がすすんで、もう今は一人では外を歩かせられません」 「そうですか……お住まいは西すが町ですか」 「ハイ。一緒に住んでいます」  学園長はぐっと顎をそらし、天井の方を向いた。 「そうですか。御神楽先生……そうでしたか」 「学園長。ボクはこの学校を卒業して、将来認知症の完全な治療薬を開発したいと思っています。月岡くんはボクの片腕です。ライバルでもあります。どうか、ボクたちから未来を奪わないでください」 「わかりました。善処しましょう」 「寛大な措置、感謝の言葉もありません!」 「いえ、深海沢くんが裏でなにかやっているのは、今にはじまったことではないのでね」  深く礼をすると、なにやら想いにふける様子の学園長をしり目に、舞と隆は退室した。  御神楽家。  パチン、パチン!  表で庭木を切る音がする。  うっそうとした庭に、光が入る。  生垣の伸びた部分がゆさゆさゆれて、あっという間にとりのぞかれる。 「終わりましたよ」  明るくなった庭先で、襟足を縛った恰幅の良い男性がにこやかに額の汗をぬぐっていた。  そして、その目線の先には、足を組む御神楽育郎その人の姿があった。 「御神楽先生……久しくおめにかかれませんでした。ご挨拶が遅れて……わたし、オレはあなたに胸を張りたくて、学園長になりました。いつか命を助けてくれたことを、感謝を伝えたくて……っ」  そのとき、育郎はぱかっと目を開いた。 「おお、香坂(こうさか) 八太(やた)くん。膝小僧をすりむきながら、深い山をよく越えてきたね……親父さんは、もう大丈夫だ。安心しなさい」 「先生っ!」 「いっぱい我慢をしたね」 「御神楽先生っ!」  膝を地につけ、ふるえながら涙をこぼす香坂……学園長。 「あのとき、先生が来て下さらなかったら、石工のオヤジは死んでいました! なのに、お礼もままならず、今のいままで……不義理をっ」 「深い山をよく越えてきたね……」  男性はいたわしそうに育郎の手を握った。 「お孫さんが思い出させてくれなかったら、一生の後悔を残すところでした。ありがとうございます……ありがとうございました!」 「いっぱい我慢をしたね……」 「お孫さんは、あなたの病を治したいと言っていました。オレも信じたい。そんな未来を!」 「じいさま! ただいまぁぁーっ!」  男性ははっとしたように、上体をあげ、軽くつまづきながら裏口から出ていった。 「あれ? じいさま、今ここに人が……って、生垣がきれいになってる! だれがしたの!? すごいスッキリしてるんだけど」 「隆くん、あっちにどこかで見たような人が歩いてったよ。あっ、月岡くんじゃない? あれ。なんかしゃべってる! おおーい! 月岡くーん」  昌は裏口から顔を出すと、きょろきょろとした。 「停学とけたのか?」 「ああ、うん。二人のおかげだ。退学にもならずにすんだ。ありがとうな」 「ねえねえ、あのおじさんと何を話していたのー?」 「うん? そうだな……なんか、御神楽の先生のことをよろしく頼む、ってさ」 「へえ、なんだろー」  舞のほんわかした口調に、昌の表情がややゆるんだ。 「そんなこと、言われなくったって、なあ?」  全てを知った昌の言葉に、隆がほんのりと笑った。  光の差す庭で、舞が昌の腕に抱き着いた。  了
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