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いつも通り、ホームルームが終わって瑞樹を待つ。しかし、瑞樹よりも先に来たのは昨日加わったばかりの大輝だった。
「キョウちゃーん! 俺のクラスも終わったから来たぜー」
教室に入るなり、大声で俺の名前を呼ぶ。その声で一斉にクラスメイトの動きが止まった。
それもそうだろう。大輝とは補講以外には接点という接点がない。なのに急に”キョウちゃん”と呼ぶのだから、何があったんだと不思議に思うのも無理はない。
「スガ……お前、いつあいつと仲良くなったんだ?」
名前を覚える気にもならないクラスの男子一人が、ひそひそと大輝に訊く。
「え? 昨日からだけど?」
「マジかよ。お前も知ってるだろ? あいつ、すげえ浮いてるし変な奴で……」
「変? それなら俺も変だからダイジョーブ!」
「ちょ、おいっ!」
俺に関わることをやめろとでも言いたかったのだろう。男は大輝を止めようとしたが、大輝は変わらぬ調子で男から離れると、すでに部活へ行ってしまって空いている俺の前の席へ座った。
「いいのか? さっきの奴の話を無視して」
「無視なんてしてないし、平気じゃね?」
大輝と他の人との関係を壊すことはしたくない。だから念のために訊いたのだが、ニコニコしている大輝を見る限り、本当に問題なさそうである。
「それよりさ、キョウちゃん。あと一人見つければいいのだよな?」
「……そうだけど、なあ!」
俺の心配をよそに、何度も繰り返す”キョウちゃん”という言葉。これを言うたびに、周りの視線が俺に刺さる。
「ばふっ! なにすんはよ」
「ちゃん付けで呼ぶな。俺の名前は恭弥だ」
思わず大輝の顔をわしづかみにすると、タコのような口でうーっと唸っている。
「今の聞いた? いつの間にスガと仲良くなったんだろうね?」
「"キョウちゃん"だって。ふふっ……」
一人ではなくなったことに驚く人、呼び方に笑う人。周囲の人の反応はその二つ。さっきの男はというと、顔をしかめてこちらを見ている。
俺たちの関係に戸惑い、気にはしていても、誰も声をかけようとはしないまま、教室から次々と人が出て行く。
「あ、みっひゃーん」
教室の入口で足を止めていた瑞樹を見つけた大輝が大きく手を振ったので、俺はやっと大輝から手を離した。
瑞樹はぺこっと頭を下げて教室に入り、俺たちの所へ来た。
「お疲れさまです。今日は何するの、キョウちゃ……あだだだだ」
いつもの調子でやることを聞こうとしたとき、俺は瑞樹の顔も鷲摑みにした。そして同時に大輝にも同じことをする。
「なんれ俺も!?」
「なんとなく」
「ひどくない!? 俺の扱いひどくない!?」
すぐに手を離したが、自らの頬を二人はさすっていた。
今まで瑞樹にしか、こんなことをしたことはない。腹を割って話せる友達というのが瑞樹以外にいないのも理由の一つだが、大輝になら多少何かしても大丈夫だろうと思い、顔を掴むなんてことをしている。
良く言えば明るくフレンドリー、悪く言えばデリカシーのない大輝は、パーソナルスペースにすんなり入り込んでいるようだ。気づいたときには、密接距離に入ってきている。
普通なら知らない人がその距離に入ると、気持ち悪さを感じるが、大輝にはその感じがない。そこにいても違和感なく、馴染んでいた。だからこうして、ふざけたこともできるのだと思う。
今までに出会わなかったタイプの人間ではあるが、悪くない感覚だ。
「俺のモチモチほっぺが潰れるよ……まあ、それは置いといて今日は何するの?」
「今日も部員を探す……が、もうしばらくしたら俺が目を付けていた奴が来る」
ふざけた空気を変え、大輝に答える。
ちらっと黒板の上にかかっている時計に目をやると、時刻はもうすぐ十六時を示すところだった。
この「もうしばらく」がどのくらいなのか、俺にもわからない。五分かもしれないし、三十分かもしれない。ずっと教科書が入った重い荷物を持ったままの瑞樹は、俺の隣の机を借り、荷物を置いて座った。
その間、わずかな沈黙があったが、すぐにそれは大輝によって断ち切られる。
「うーん。それってー、昨日言ってたドラムの人?」
「そう」
「もしかしてー……部活に入ってない人?」
「そうだ」
「それでー……あー、このクラスの人とか?」
「……ああ」
学力には難ありだが、こういうときは頭がよく働くようで、意外に大輝の問いは的確だ。
「じゃあじゃあ、あそこの席の人?」
「ああ……って、そんな一問一答したくねえんだよ! めんどくせえ!」
「あでででで! なんだか俺にあたりが強いよ、キョウちゃん!」
繰り返される問いに疲れた。もう訊くなと言わんばかりに、今度は大輝の頬をつねって黙らせる。「落ち着いて」となだめる瑞樹の声を聞きながら、力を込めてつねった。
そんなふざけたことをしている間にも、時間は過ぎていく。
そして十六時二十分。
いつの間にか三人しかいなくなっていた教室に、一人の男がやってきた。
教室へ入る際には少し頭を下げないとならないほど、背が高い。その身長とつり上がった目が、威圧感を出している。
入ってきただけで感じる圧に、思わず瑞樹はできるだけ見ないように、視線を窓の外へ移す。本能的に、関わるのを避けた行動だろう。
そんな瑞樹はそのままにしておき、俺は席を離れ、男に歩み寄る。
廊下に近い自分の席で、荷物を整理している男の横に俺が立つ。俺の身長は170を超えている。男子高校生の平均よりも高い。だが、男は俺が見上げるぐらいだから、180以上あるようだ。
俺が横に立ったことで、男は手を止めてこちらを見る。目が合ったので、そのまま訊いてみた。
「なあ。お前、部活入ってないだろ?」
「は?」
急な俺の質問に対する男の反応はいたって普通だった。
今まで話したこともない俺に訊かれて、戸惑いを隠せず、質問に対して何も答えてくれない。
「だから部活入ってないか聞いてんの」
「は、入ってねえけど……」
勢いに負けたのか、男は答えた。見た目に反して、男の声は小さかった。
部活に入っていないのなら何も問題ない。
少し上にある男の肩にポンと手を置いた。
「よし。お前、軽音部に入れ」
「は?」
さっきと同じ反応をする男。開いた口がふさがらないというのはこういうことだろう。ちらっと瑞樹と大輝を見ると、男と同じような顔をしていた。
一番最初に我に返ったのは大輝だった。
男の肩に手を乗せたままの俺と動きが止まった男。その光景が滑稽だったのか、ブッと吹き出し、大輝が笑いをこらえるため口を押え、肩を震わせ始めた。
「ふ……ふざけた事言ってんじゃねえ。んなもん、やるわけねえだろ」
肩に置かれた手をさっと振り払い、男は荷物を持って出て行こうとするので、俺は教室の扉前に立ちふさがった。
「どけよ。邪魔だ」
上から見下ろされると、威圧感が増す。原因は見た目、とくに目だろうか。
でも俺はこの男がどういう人なのかを知っている。だから怖いという感覚はない。
「聞こえないのかよ。どけって」
「やだね」
男の苛立ちを含んだ声。ビビらせようとしているのか、眼光が鋭い。だけども、俺もここと退くわけにはいかない。
どっちも譲らないにらみ合いが始まった。
「あ、わかった。あいつ、片淵綱太郎だ。何があったか知らないけど、新年度そうそうに停学処分受けてたんよ。おっかねー顔して、何したんだろな……?」
確かにこの男――鋼太郎は停学処分を受けていた。それは確かだ。
人を見た目で中身を判断するのはよくないが、停学処分になるのなら、相当悪いことをしたのかもしれないと思うのもわかる。
でも、根はいいやつだってことを、俺は知っている。
「どけって言ってんだろ」
「嫌だって言ってるでしょ」
やり取りは平行線のまま、全く進まない。
互いに手は出さないものの目でやりあい、火花が散る。
「軽音部入るなら退くよ」
かなり一方的な態度ではあるが、他に手がない。
俺が軽音楽部への勧誘のために声をかけると、相手が逃げてしまうから、勧誘は瑞樹に頼んでいた。
昨日は大輝が二つ返事で軽音楽部に加わってくれたが、世の中大輝みたいにお気楽な人ばかりではない。
俺なりの勧誘に苛立ちを隠せない鋼太郎のこめかみには、うっすらと血管が浮き出る。
「入らねえって言ってんだろ」
ついに耐えきれなくなった鋼太郎が手を挙げたとき、さすがにまずいと感じた大輝が、ガタッと音を立てて立ち上がる。
その音で、鋼太郎の注意が大輝に向いた。
「け、喧嘩はダメだ! 平和的解決をだな。なあ、キョウちゃん!」
殴り合いに発展したら、自宅謹慎や最悪の場合、停学になる可能性がある。それだけは防ごうとして、何とか言葉を紡いだ大輝。その顔には今まで見た事がない焦りが見えた。
瑞樹もそれに加勢しようと立ち上がり、「そうですよ」と小さな声を出す。
「俺、知ってんよ。停学理由」
逸れた注意を再び俺に向けるために、離れた位置の瑞樹たちには聞こえない小さな声でつぶやく。
鋼太郎はその言葉で俺の胸元をつかんだ。
「だまってろや……んだよ、俺を脅してまで部活に入れさせてえのかよ? どうなんだよ」
バッと胸倉をつかまれた。眉を吊り上げ、眉間に深い皺を刻み、今まで以上に怖い顔になっている。
女子ならばすぐに泣きだしそうなほど、それは恐怖を与える顔だった。
でも、胸元を掴む手が、わずかに震えている。
動揺なのか、強がっているだけなのか。その震えの理由がはっきりとはわからない。原因を探すためにも、俺は言葉を放つ。
「……ちげえよ。お前は俺に似てる。だから一緒にバンドやったら、楽しいと思っただけだ。どうしてもやらねえって言うなら、俺はあきらめて別の奴でも探す」
「は? 何言ってんだよ。俺とお前の何が似てるってんだよ。お前と俺じゃ、何もかも……全部ちげえだろうが。知ったかぶんなよ」
声を荒げ、胸元をつかむ手に力が入る。
だが、鋼太郎の目に確かな動揺が現れたのを見逃さない。
「知ってるんだよ。好きなことにはまっすぐに打ち込むだろ? でもそれがいい方向に進まない。正しいことをしたはずなのに、結果は全然ダメ。だから自分には何もできないって決めつけてる。それでも目をそらすこともできなくて、何かできないかってずっとあがいてる。俺と違うのは……相談できるやつの存在だろうな」
指を一つ一つ折り、共通点をあげていく。
大輝は首をかしげており、言葉の意味が分からなかったようだが、俺のことをよく知っている瑞樹は、暗い顔をして視線を下に向けた。
俺があげた共通点は、鋼太郎にも思い当たることがあったようで、一瞬驚いたような目をすると、舌打ちをしながらも胸元から手を離した。
俺は乱れたワイシャツを整えて、改めて鋼太郎の顔を見る。
鋼太郎はさっきまでの鬼の形相はどこへやら。肩を落として、黙り込んでいる。
「知ってるか? 音楽ってのは、人を変えられる。だからお前が助けようとした――……だって変えられる」
鋼太郎にしか聞こえないように、小さな声で言う。そして苦笑いしながら「俺の経験上の話だけど」と言葉を足した。
鋼太郎は頭をぐしゃぐしゃにかき乱し、小さなため息をつくと口を開いた。
「変えられるのかよ、あいつを」
不安を含んだ声。さっきとは違い、目にもその不安が現れている。
「ああ。俺が……いや、俺たちなら変えられる。絶対に、な」
正直、「絶対」という言葉は好きじゃない。だって未来なんてわからないのだから。でも、この「絶対」は決意の意味で使った。やってやるんだ、という決意を込めて。
「……俺は、なにをすればいい?」
鋼太郎がついに折れた。
俺の決意が伝わったのだと信じたい。
つり上がった眉が平行になり、眉間の皺もなくなり、今までの怖い雰囲気がどこかに消えた。
「お前はドラムだ。うっし! おい、スタジオ行くぞ! 瑞樹、俺の鞄! そこのうるさいバカも来い!」
俺の声に反応して、蚊帳の外だった瑞樹と大輝がパッと明るい顔になる。
呼び方に不満があっても、大輝の足取りは軽かった。喧嘩にならなかったことに安堵したのと、初めてのスタジオということで不満よりも楽しみが勝った。
ドタバタと騒がしく音を立てながら、教室を出る。
その姿を冷たい目で見る人物には、誰も気づいていなかった。
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