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「化け物の相手など吟羽にやらせれば良いのだ」
もう十年も前だろうか。吟羽は突然、皇帝直属の楽師隊から外された。お前の笛の音は目立ちすぎるだとかさんざん悪口を言われ、彼のやる気は枯葉のようにしおれてしまった。
彼は宮廷の落ちこぼれ楽師になった。かつては国随一だと詠われた笛の音色も、酒と賭博漬けの日々で濁った。
だから「迎屋」という誰もやりたがらない仕事を押し付けられたのだ。
「化け物の相手、か」
そう呟きながら、吟羽は笛を手にとった。いつもの仕事を始めるのだ。
若かりし日に鳳凰の鳴き声と称された美しい音色が森に深く染みていく。ひび割れた大地に潤いを与える雨の如く、優しく穏やかな響きで。
やがて、木がさわさわと揺れる音の中に美しい風景とは不似合いな獣の唸り声が聞こえた。仕事が増えるのは面倒くさいな、と思いつつ吟羽はゆっくりと重い腰をあげる。
彼は民家が一望できる小さな丘の上にいた。その中で先ほどの獣の声を頼りにヤツらの居場所を探す。この仕事はどんなに頭が良い文官にも剣の腕が立つ武官にもできないものだった。求められるのは笛の技量、そして人間離れした耳の良さ。
今回は民家の数も少なくヤツらの居場所を特定するのは簡単だった。扉を開けると、家の主人とおぼしき男は鉈を手にもって吟羽をにらみつけていた。
「……息子はやらんぞ」
「そう言われてもこちらも仕事なので」
吟羽はきょろきょろと家を見回し、ヤツを探す。そして見つけた。母親に抱かれ、産着を着せられた小さな狼を。
「偽人獣」と呼ばれる彼らは人でも獣でもない異質な存在であった。普段は人の姿をしているし人間から生まれるが、音楽を聴くと獣の姿になる。いわば先天性の病を抱えているようなものだ。
吟羽は怯えた目で狼を抱く女と、こちらに鉈をむけてきた男を一瞥すると小さな声「まだ赤子か」でつぶやく。
「そうだ、うちの息子は生まれたばかりの赤ん坊だ。どうか見逃してくれ」
吟羽は笑いながら腰に下げていた笛を握る。
「あんたらはその子が大きくなったら餌として人間をやるのか?それとも己を餌にでもするのか?」
彼の言葉に二人は言葉を失ったように立ち尽くしていた。
「そんな覚悟もないんだったら軽々しく見逃してくれなんて言うな」
何度も言ってきた台詞。吟羽はゆっくりと狼に近づく。
「お迎えにあがりました」
彼には似合わない丁寧な言葉遣いと深いお辞儀。迎屋としての最低限の礼儀だと初めてこの仕事を任された時一番最初に教えられた。
そして、吟羽は笛を吹く。
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