『踏みつける秘書』

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 朝、キョウは鞄を膝の上に置いて助手席に座っていた。運転中でもそれ以外でも、信彦の記憶力は曖昧で、一人では何も思い出せない。考えようともしない。 「あれ、西藤商会の社長って、去年交代したんだったかな? 今は会長? 記録、残ってるか?」  持ってきていた資料を引き出そうと、膝の上の鞄のファスナーを引いた。資料の重要な部分の端には、前任者により赤色のマジックが引かれている。  西藤商会についての記載はすぐに見つかった。  資料の端の赤色の部分をめくったあと、キョウは足元に光る赤いランプに気づいた。車内灯か? と思ったが、周囲を照らすほど明るくはない。それに走行中だ。車内灯が点く理由がない。 「社長、ちょっと待ってくださいね。引き継いだ資料なので、まだ読み込めていなくて──」  キョウの視線は、資料の先にある自身の足元に向かっている。パラパラと資料を前後させながら「あれ? これも違うな」と首を傾げる。  足元の赤いランプの周辺をよく見ると、カーペットの端が少しめくれており、そこには一つの目……いや、レンズがあった。  「もう、帰っていいですか?」 「何を言っている。君が首を縦に振ったんだろう? さっきも言ったが、こっちが脱いでるのに脱がない女が、俺は嫌いなんだよ」  勝手に脱いでおいて何を言っているのだろうか。キョウには全く理解できない。 「うんざりしました。脱いだフリをして何かを隠している男が、私は嫌いです」  キョウはそれだけ言うと、踵にぐっと体重を掛けた。 「んぐっ」  「来週で退職します。退職願と必要書類は郵送します。退職日までは有給を使用します。この様子はあそこのスマートフォンで別のPCに生中継してます。もちろん、PCでは画面録画もしています。前任者が優秀な人で助かりました」  信彦は上半身を起こし、キョウのストッキングに指を掛けようとしていたが、完全に動きが止まった。  キョウは足を下ろす。  信彦から離れ、しかし尚、見下ろす。 「人を踏みつけたくなって試してみましたが、何も得られませんでした。怒りを通り越して、時間の無駄を感じただけです。それでは」  キョウはホテルを後にし、最寄り駅のトイレでストッキングを脱いだ。ビニール袋に入れ、コンビニのゴミ箱に放る。  人を踏みつけるくらいでは、何も、確かめることはできなかった。 (おしまい)
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