彼女は死神

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 水墨を垂らしたような鉛色の雲が果てしなく広がっていた。湿り気を含んだ冷たい波風が浜辺に吹き付けて、青紫の閃光が走っては轟音を残していく。 「人は皆、忘却の海に帰る運命なのよ」 風に煽られた髪に顔半分を覆われながら、彼女は淡々と告げる。その青い瞳は、深い海を思わせる冥さを湛えていた。  彼女から目をそらした僕は、無言のまま海辺に目を向けた。紺碧のうねりが白い鉤爪を繰り返し振り上げては、未練がましく足元にその痕跡を残していった。まるで僕を捕えようとするかのように。 「誰も時を戻すことは出来ない。起きたことを消すこともできない」 「──────そうね。でも───────」 何かを言いかけた彼女は僕の決意をくみ取ったのか、海とは反対側を指さした。灰色の浜辺に、ぽつんと木製の扉が立っていた。扉の向こうからは、僕の名を呼ぶ声が聞こえる。愛しい人に名を呼ばれる、これほど嬉しいことが他にあるだろうか? 「行くよ」 「────そっちは地獄へ続いているとしても?」  僕は答えず背を向けた。地獄がなんだ。僕は愛する人と、苦しみすら共にしたいのだ。扉を押し開けたところで振り返ると、軽く手を振る姿が見えた。死神と名乗った彼女の胸元で、青い宝石が濡れたようにきらりと光った。深呼吸を一つして、僕は一歩を踏み出した。 §  僕が目を覚ますのを見て、妻の顔が強張る。人工呼吸器に繋がれた僕は、首から下が全く動かない。こうなる前に情報は掴んでいた。深い仲の妻と親友(笑)が、遺産目当てに何か企んでるってことを。  まさか自動車に細工して本当に殺しにかかるなんて、思ってもいなかったけど。  こんなことになっても、僕は君を愛している。だからこそ、裏切られた僕の悲しみは計り知れない。インターネット万能のこの時代、徹底的に社会的破滅に追い込んでやる。それこそが僕の愛の証なのだ。 「ごめんね、あなた」  ほころんだ僕の顔を見て全てを察した妻が、無表情に、当たり前のように人工呼吸器を取り外した。
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