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春
ぼくが彼女の手と出会ったのは、大学二年になったばかりの四月のことだ。
その日、ぼくは大学の図書館で、平安時代についての本をさがしていた。そこは館内のすみっこで、高い本棚にさえぎられて、まわりにひと気のない場所だった。
本をさがして、うろうろしているうちに、突然「手」と遭遇した。
手は人差し指を立てて、下から三段目の棚にならんだ本の背表紙を指しながら、横へ移動していく。
まるで、見えない人が、本をさがして、本の背表紙を指しながら、横へ歩いているような感じだった。
ぼくはちょっとびっくりしたけど、好奇心のほうが勝った。
だって、こんなこと、めったに見られるもんじゃない。
それと、正直に言うと、その手は明らかに女の子のものに見えたので、いわゆるスケベゴコロがあったのも事実なんだ。
ぼくが見ている目の前で、手は、さがす対象を上のほうへと移していった。最初は本棚の下から三段目だったのが、四段目になり、さらには五段目と上がっていく。
いや、五段目には、上がろうとして、上がりきれない様子だった。
見えないけれど、手には身体があって、それは百五十センチあるかないかのような小柄な女の子らしく、背伸びしても、本棚の五段目の板に届くのがやっとのようなのだった。
皮肉なことに、彼女のさがしている本が、ちょうど五段目にあったらしい。
それまでは単に本の背表紙を指すだけだったのに、五段目にある一冊の本を取ろうとあがき始めた。指をしきりに動かすのだが、その本の背表紙の下のほうを、指先でこするばかりだ。
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