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友達がいない人間は滅多に外には出かけない。一人での外出を楽しめる人間は、ちゃんと友達を作れる人間だろう。
どちらの能力も持ち合わせていない僕は、次に出かける場所を決めるという課題に直面し、苦手な教科のテストで出題された難問に臨んでいるも同然になった。これという店や施設が全く思い浮かばないのだ。
誕生日プレゼントはサプライズで贈ることもあれば、誕生日を迎える当人に事前に聞き取りをし、要望に叶うものを、あるいはそれを参考に選んで贈る場合もある。後者の例に倣って、どこへ行きたいかを九条さんに尋ねてみたが、
『どうぞ遠藤くんのお好きなように』
返ってきたのは、実に素っ気ない短文。顔が見えず声が聞こえない状況だと、突き放されている感じが強くして、軽く焦ってしまう。僕は食い下がったが、意思表示はしたのだからその話はもう終わったとばかりに、九条さんはその話題に全く触れなくなった。
十代の男子が恋人と足を運ぶ場所には、どこがお誂え向きなのだろう。どういう単語で検索をかけて、どういうサイトにアクセスすれば、必要な情報が得られるのだろう。それとも、雑誌でも買ってリサーチした方がいいのだろうか。
そんな初歩的なことでさえも、恥ずかしながら僕は分からなかった。僕一人の問題であれば匙を投げていたかもしれないが、九条さんに楽しんでもらうという大事な目的がある。分からないなりに粘り強く、自分なりに試行錯誤しながら答えを求めた。
そして、導き出された結論は、
「オムライスが美味しい洋食屋さん」
九条さんは僕の顔を見返しながら、僕が告げた言葉を復唱した。
午前十一時半。待ち合わせ場所となった駅舎の前で、合流を果たしてすぐのことだ。
僕は頷いて頬をかく。顔に浮かんでいる笑みは、苦笑いにも見えるものになっているに違いない。
九条さんは今日も黒尽くめの服装に身を包んでいる。前回と全く同じではないが、驚くほど似た衣装だ。年ごろの女の子にしては珍しく、服装に特にこだわりはないらしい。
それは他人に対しても同じらしく、前回も、そして今回も今のところは、僕のファッションには一切言及してこない。そちら方面に自信を持っていないこちらとしては、駄目出しをされずに済むのはありがたい。センスがないと自覚していても、面と向かって指摘されればやはり凹むものだから。
「遊びに行くというというよりも、食事に行くという感じ?」
「そうだね。いろいろ検討したんだけど、これという場所を見つけられなくて」
苦笑気味の笑みになった原因は、まさにそれだ。優柔不断というべきか、自意識過剰というべきか。仮に行き先が気に入らなかったとしても、九条さんは僕のセンスのなさを嘲るような人ではない。そう頭では分かっていたが、自信を持てないまま提案する勇気はどうしても湧かなかった。
「食べたかったんだ。オムライス」
「んー、どうなんだろう。もちろん、美味しそうだと思ったから食べに行くことにしたんだけど、とにかく外食したい気持ちが強いのかもしれない。一人で行くのは抵抗があるけど、一緒に行くような友達はいなかったから」
「私の存在が好都合だった、と」
「そうなるね。でも、九条さんと一緒に楽しみたい気持ちが一番だから」
「事情はだいたい分かったから、そろそろ移動しない?」
「うん、そうしよう」
早くも五日前の出来事となった前回と同じく、駅前の人通りは多い。その中には、カップルや夫婦らしきペアも大勢いる。彼らと比べると、並んで歩く僕たちの肩と肩は隔たり過ぎている。決して遠すぎるわけではないが、僕たちの関係を知らない第三者が見たとして、恋人同士だと迷いなく認定する近さではないのは確かだ。
しかし、今はそんな些事はどうだっていい。手に入れたいものを手に入れられていないのは、道半ばだからだと理解している。今はこれでいい。今はまだ、これで。
「九条さんはオムライス、好き?」
「好きでも嫌いでもないかな」
「河原で食事しているときも聞いたね、そのセリフ。九条さん、食べること自体にあまり興味がない人なんだね」
「どうして分かるの」
「タブレット菓子だけで昼食を済ませるとか、明らかにそうでしょ」
「食べることに、生きるため以上の意味があるとは私は思えない。誰かと出かけることだって、無意味という意味では同じようなものだと思うし」
僕の顔を見ながらではなく、進行方向を向いたままでの発言だ。冗談として扱うべきなのか、シリアスな意見だと受け取るべきなのか。取り違えて安易な返答をするのは怖かったので、
「数をこなすうちに、自ずと分かるよ。どういう意味があるのか、きっと分かる。そのためには、習うより慣れよじゃないけど、身をもって体験するのが一番の近道だろうね」
我ながら無難も無難、折衷案を採択して妥協した。
「遠藤くんは友達がいないのに、誰かと過ごす喜びを知っているんだ」
「痛いところをつくね。でも、今でこそ両親は不仲だけど、僕が小さかったころはそれなりに仲よくやっていたからね。休日に家族三人で出かけることも普通にあったから、気が置けない人と遊ぶ楽しさは知っているつもりだよ」
九条さんはどうなのだろう? 僕自身が家庭に問題を抱えている人間だからか、彼女の個性が形作られた要因は、彼女の家族や家庭環境にあるのではないか、という疑惑を僕は持っている。
僕も家族のことを話したんだから、九条さんも話して。そう切り出す勇気は、ない。
散発的に言葉のキャッチボールを行いながら、赤信号以外に立ち止まることなく、目的の店を目指す。話題は他愛もないものばかりが選ばれている。無表情から受ける印象よりも、ずっと気軽に話せる相手だと、経験から承知してはいた。そうはいっても、まだまだ遠慮はある。
周りの人たちから、僕たちはどう見られているのかな? カップルだと思われていたら嬉しいけど、九条さんは感情を表に出さないから、風変りなペアだと思われているかもしれないね。
そんな言葉を口にするのは、決して弱くない抵抗感を覚える。
だから、とりあえず今は、他愛のない世間話でいい。気楽な無駄話でいい。双方が安心してやりとりができるのなら、それで。
分かりにくい場所にあるわけではない。道順は事前に何度も確認した。迷うはずはないと信じていたが、それでも店を見つけたときはほっとした。
ログハウス風の、それほど大きくない建物だ。入り口にポップな立て看板が設置されている以外には、目を惹く特徴はない。
店内は清潔感があって広々としている。テーブルとテーブルの間隔が広めにとられていて、内装からは落ち着きが感じられる。客はカップルらしき男女のペアが大半を占めていて、なんとなく緊張してしまうが、僕にだって九条さんがいる。話をしたり食事をしたりするうちに慣れてくるはずだ。
案内されたのは、窓際の二人掛けのテーブル。一冊のメニューを上下から覗き込み、注文する料理を絞っていく。
前日に事前調査を終えた段階で、看板メニューだという、デミグラスソースがかかったオムライスを食べようと僕は決めていた。形だけ迷っているふりをして、真向いの九条さんをさり気なく観察する。熱心にというふうにでもないが、ラインナップにじっくりと目を通している。
「じゃあ、私も遠藤くんと同じものを」
やがて九条さんは、おもむろにこちらを向いてそう告げた。思わず笑みを漏らすと、すかさずといった感じで、
「シェアをするつもりだったから、違うものを頼んでほしかった? だったら、遠藤くんが変更して」
「いや、そのつもりはないよ。僕と同じものをって言うんじゃないかって、なんとなく予想していたから、当たったのが嬉しくて。九条さんが予知を的中させたときはこんな気持ちなのかな、なんて思ったよ」
「シェアという行為は、群れるのが生き甲斐の人間がするものだから、遠藤くんにはそもそも当てはまらないということね」
「刺がある言い方だなぁ」
「群れたがる人たちに対して? それとも、遠藤くんに対して?」
「両方だよ」
ベルを鳴らして店員を呼び、同じ料理を二人分注文する。僕はシェアの話題を手放さない。
「でも、そういうのって楽しいと思うけどね。いろんな料理を味わいたいからというよりも、シェアという行為によってコミュニケーションをとるのが楽しいっていうか」
「シェアとは無縁なのに、よさを理解しているんだね」
「すっかり友達がいないキャラとして定着してるんだね、九条さんの中では」
「定着もなにも、事実だから」
「それは認めるよ。僕は空気だからね。誰からも相手にされないし、こちらからも求めない。でも、九条さんは例外だね。帰り道に話しかけてくれたおかげで、この前は二人で河原まで遊びに行ったし、今こうして同じテーブルに着いている」
出会ったときのことに触れたのだ。なにかしらのリアクションがあるはずだと思ったが、無反応。全くもって九条さんらしい。
「他に声をかけてくれたのは、高校に入ってからでいえば、井内さんくらいかな。クラス委員長の。でもあの人は、僕個人がどうこうっていうよりも、誰にでも分け隔てなくだからね。だから、実質的には九条さんだけだよ。僕を人間らしく扱ってくれるのは」
しゃべりながら、学校の話題を出したのはまずかっただろうか、と少し不安になる。周りからは奇異な目で見られ、高木さんからは一時期毎日のようにきつい言葉を浴びせられていた。井内さんが純然たる善意から話しかけてくれているのだって、話しかけられる方は迷惑なだけかもしれない。九条さんにとって学校は、決して心地よい空間ではないはずだ。
しかし彼女は、学校やクラスメイトのことなど全く無視して、僕をはっとさせる言葉を口にした。
「井内さんが小さな異常性を抱えた普通の人なのだとしたら、遠藤くんは一見普通に見える異常な人なんだと思う。遠藤くんは自分のことを、異常なところもある平凡な人間だと思っているみたいだけど」
九条さんの発言が終わったのを見計らったようなタイミングで、注文した料理が僕たちのテーブルに到着した。
彼女が僕に伝えたいことは分かった気もするし、分からない気もする。いずれにせよ、言葉の続きを口にする意思はないようだ。食べるのに専念するべきだろう。
オムライスは思っていた以上にボリュームがある。SNS映えしそうだが、孤独を愛する僕たちに、食べ物の写真をわざわざ撮影する文化はない。さっそく口に運ぶ。
「あっ、美味しい」
卵はこれ以上はないのではと思うくらいの、ふわふわな食感。タマネギはシャキシャキ感が強くて、サイコロ状にカットされた鶏肉はジューシーで、ケチャップは味わいに深みがある。語彙と表現力が足りないのがもどかしいが、開き直って率直な感想を述べるならば、とにかく美味しい、この一言に尽きる。一口食べただけでクオリティの高さを実感できたし、最後の一匙まで美味しく食べられそうだ。
「九条さんはどう? 口に合う?」
九条さんは口の中を空にしてから、たった一言、
「美味しい」
例によって声に感情はこもっていない。しかし、スプーンの動かし方に控えめながらも積極性が感じられるので、偽らざる本音なのだと分かる。
美味しい店をリサーチをするのは大変だったし、料理が口に合うか不安でならなかった。九条さんが美味しいと言ってくれて、全てが報われた気がした。喜んでもらえて、本当によかった。
僕はきっと、オムライスの一口目を食べたときよりも、明るい表情を浮かべていたに違いない。
「いやー、食べた、食べた」
店を出た僕たちは、遊歩道を駅とは逆方向に向かって歩いている。そちらの方角を目指している理由の一つは、満腹感と話し足りなさ、その二つを少しでも和らげたかったから。もう一つの理由は、九条さんの話によると、駅前に戻るよりもそちらの方向に進んだ方が、彼女の自宅に近いから。
「美味しかったね。ボリュームがあったから、量的にも満足できたし」
「私は苦しかった」
「確かに九条さん、後半はペース落ちてたよね」
「奢ってもらったけど、よかったのかな」
「全然いいよ。誘ったのは僕なんだし。食事、満足してくれた?」
「奢ってもらった以上は、頷かざるを得ないというか」
「えっ? いまいちだった? しっかり完食してたのに」
「冗談だから」
進行方向を見据えたまま、さらりと言ってのける。ネガティブなことを無表情で言われると思わずフリーズしてしまうが、九条さんが口にする冗談は総じて不愉快ではない。
今のような場面に遭遇するたびに、僕の頬は緩む。九条さんは機械のように冷ややかに見えて、ユーモアをささやかに愛する人間的な側面も持ち合わせている。変人のレッテルを貼って距離を置いていたら、絶対に発見できなかった真実だ。
「前回と同じ質問をさせて。自殺したい気持ち、解消された?」
「少しずれた答え方になるけど……。誰かと時間を共有する楽しさなら、この前と今日とで、なんとなく理解できた気がする」
「誰かと時間を共有する、楽しさ」
「そのままの意味。言われなくても分かっていると思うけど、私、人付き合いが得意じゃないし、嫌いなの。事情があって転校が多いんだけど、転校初日に有象無象に包囲されるあの感じ、何回経験しても慣れない。根掘り葉掘り詮索されるのが単純に鬱陶しいっていうのもあるけど、これからこの子たちと付き合っていかなきゃいけないんだ、好きでもない人間に、多少なりとも気をつかいながら生きていかなきゃいけないんだって思うと、暗澹たる気持ちになって」
強固な抵抗感を死に物狂いで振り切り、溜め込んできたものを吐き出すのではなく、あくまでも淡々と九条さんは語る。彼女の個性は家庭環境に起因しているのでは、と僕は以前考えたことがある。転校が多いのが問題なのか、問題があるから転校が多いのか。推理を進めるには情報があまりにも少なすぎる。
「だけど、遠藤くんと付き合ううちに、考えが少し変わってきたかもしれない。気の置けない相手なら苦痛ではないから、行動を共にするのもそう悪いものではないのかなって」
「……九条さん。僕に『君は私を殺すよ』って言ったのって、もしかして、友達が欲しかったから?」
九条さんは口を閉ざした。無視したのではなく、思案に沈んだのに伴って必然に訪れた沈黙だ。
僕の指摘は正しいのか? 夏休み前には、自殺願望を持っているのではと推理したが、それは僕の早合点?
九条さんは不意に足を止め、こちらを向いた。現在地は遊歩道の終点が近く、人通りが多い市道がすぐそこに見えている。僕の視界の中央には九条さんの顔があるのに、その周辺、日射しを受けて白く輝く川面の方が、なぜか強く心に訴えかけてくる。
「真相は、私たちがもう少し仲よくなれば、自ずと明らかになるんじゃないかな」
九条さんは顔の向きを戻し、再び歩き出した。
もう少し仲よくなれば、自ずと明らかになる。
九条さんは予知能力の持ち主だから、もしかすると既に――。
ふと我に返ると、五メートルほど離れた地点から、九条さんが僕へと眼差しを投げかけている。すぐさま走って追いつく。
「じゃあ、また僕と一緒に遊びに行ってくれる、ということでいいんだね?」
「そう言ったつもりだけど。一から十まで言わないと分からないんだね、遠藤くんは」
「九条さんは省略しすぎなんだよ」
冗談めいたやりとりを交わしながら、僕たちは歩く。九条さんの顔にはなんの感情も表れていないし、受け答えも淡々としているが、もし周りに通行人がいたなら、僕たちを友人同士だと見なしたはずだ。
九条さんとは違い、僕には未来がおぼろげにすら見えていない。でも、それで構わない。
『真相は、私たちがもう少し仲よくなれれば、自ずと明らかになるんじゃないかな』
今はただ、九条さんとの交流を重ねよう。心と心の距離を一歩一歩縮めていこう。その果てに辿り着いた未来ならば、それがどんなものであっても、きっと受け入れられるはずだから。
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