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僕も人付き合いは得意ではない。九条さんのような極端な対応をとることこそないが、不得手という意味では似た者同士だ。空気のように存在感が薄いのだから、なにを言おうがなにをしようが、他人にとってどうでもいいことでしかない。そう頭では分かっているのに、他人の目を気にしすぎてしまう。他人に嫌われたくないという思いは、人よりも強い。
しかし、変化は着実に起きつつある。他者と接することの難しさ、怖さ。それと背中合わせの、楽しさ、奥深さ。それらは全て、九条さんとの付き合いの中で学んだことだ。
気の置けない人だからこそ、共に過ごすのが楽しい。当たり前といえば当たり前の理屈だが、それを自らの体験を通じて確かめた意味は小さくない、と僕自身は思っている。
僕は十代の若者にうってつけの遊び場には詳しくない。なおかつ、百点満点か零点かのリスキーな選択よりも、確実にヒットを狙える道に心を惹かれる。だから、世間からは定番と見なされている場所や店や施設を候補に上げた。その中から、三度目の行き先として僕が選出したのは、
「遊園地?」
「そう、遊園地」
九条さんが確認を求め、僕は肯定する。夜の八時過ぎ、電話を介しての会話だ。
九条さんはスマホで文章を打つのが遅い。本来であれば電話オンリーにしたいところだが――現在のところ、やりとりに費やす時間の割合は、テキスト形式と電話が半々となっている。詳しい事情までは聞いていないが、九条さんいわく、家族が帰宅したあとは通話が難しいらしいのだ。
「そっか。九条さんは転校してきた人だから、知らないんだね。この町の郊外に、そこそこ大きめの遊園地があるんだけど、そこへ行こうかなと思って」
「存在自体知らない。新しい町のことには、あまり関心がないから」
「……ああ」
転校が多い、という事情の影響で間違いないだろう。しかし、今はそのことに触れるべき場面ではない。
「有名なテーマパークと比べるとさすがにクオリティは落ちるけど、充分に楽しめると思う。だから九条さんも、ぜひ」
「人出は? 私、人が多い場所は好きじゃないんだけど」
「混雑してるイメージはないかな。もう長いこと足を運んでいないけど、客が急増したっていうニュースは聞いたことないし、大丈夫だと思うよ」
最期の一言が効果的なひと押しとなったらしく、九条さんは承諾の返事をしてくれた。
構内か外かの違いはあるが、駅で待ち合わせるのは三回連続。九条さんの方が先に待ち合わせ場所に来ていたのも、三回連続。喪服じみた黒衣を着てきたのも、これで三回連続だ。
「今日も九条さんが先だったね。早めに来たつもりなんだけど」
「予知能力があるから。遠藤くんが来るよりも絶対に早く、待ち合わせ場所に来られるの」
九条さんはさらりと言ってのける。昨日は何時に寝て今日は何時に起きたとか、朝食にはなにを食べたとか、そういった些細な事実を気軽に申告するように。思わず見つめ返した顔に、読みとれる感情や思いは一つもない。
「そういえば、早い時間帯に待ち合わせをするのは初めてだよね。予定を決めるときは異論は出なかったけど、朝はどうなの? 起きるの、つらくなかった?」
「見ての通り、平気。スタートが午前中ということは、たくさん遊べるということでしょう。だから、別に苦では」
「おっ。九条さんにしては珍しく、素直に思いを口にしたね」
「私はいつだって素直だけど。バス、もうすぐ出発する時間だから、停留所まで移動しよう」
頷きながら、図星をつかれて少し慌てているのかな、と頭の片隅で思う。無表情の仮面の下から、微弱な感情の揺れ、というよりも揺れの兆候のようなものを察知したことは、これまでにも何回かあった。
九条さんが本当の意味で素直に、感情や思いを表現してくれるようになるまで、どれくらいの時間がかかるのだろう?
現状を客観視すれば、あまりにも遠すぎる。それでいて絶望感を微塵も覚えないのは、目の前のイベントが楽しみだからというのもあるが、それだけではない。着実に距離を縮められている手応えがあるからだ。
僕が歩んでいる道のりは、縮まることはあっても長くなることはない。だから、一歩ずつ着実に歩みを重ねていけば、いつか必ず辿り着ける。
バスの乗客は二十人弱といったところで、二人並んで座れる座席をなんとか確保できた。
遊園地に対する期待を中心に、他愛もない話をしているうちに、目的地に着いていた。
バスの混雑状況を考えると若干不安ではあったが、遊園地に遊びに行く利用者ばかりではなかったらしく、来園者数はそれなりといったところだ。人混みが得意ではないと言っていた九条さんも、これならストレスなく楽しめるだろう。その確信と、遊園地特有の明るい活気にあてられて、僕のテンションは本日の予想最高気温よりも上昇する。こんなときでも九条さんは感情を表に出さないが、きっと心は弾んでいるはずだ。
どのアトラクションを優先的に遊ぶかについては、移動中も盛んに意見を出し合った。その最終結論として、入園直後に僕が提案したのは、
「まずは、やっぱりジェットコースターじゃない? 定番ということで」
近くに見えている、途中で縦に一回転したレールを指差しながら言う。奇しくも同じ対象を見ていた九条さんは、なんのこだわりもなさそうに頷き、
「そうだね。とりあえずビール、的な。飲んだことはないけど」
「絶叫系は大丈夫なんだ? 苦手なら無理強いするつもりはないけど」
「全然平気。行こう」
とのことだったので、乗り場へ向かう。
定番だから。乗りたいから。それもあるが、一番の理由は、九条さんのリアクションが見たいからだ。無表情で無感情。感情に言動を支配されることのない彼女は、常人であれば叫び声を上げずにはいられない恐怖に直面したとき、どう振る舞うのか。単純に興味があったし、感情をさらけ出したのがきっかけとなり、より親密になれるのでは、という期待がその先にあった。
来園客の数はそれなりどまりなので、待ち時間もそれなりで済んだ。隣り合った座席にシートベルトを締めて座る。発車準備が整い、ジェットコースターはもったいぶるかのようにゆっくりと動き出した。不穏な音を奏でながらレールを上っていき、頂に達する。重力の力を借りて降下を開始。見る見る加速していき――。
「……しんどっ」
乗り物から解放された僕は、乗り場から出てすぐの場所で両膝に手をつき、肩で息をする。
……忘れていた。絶叫マシンに乗れることは乗れるが、決して得意ではないことを。
「次もジェットコースター? この遊園地、複数あるみたいだし」
一方の九条さんはというと、風圧に乱れた髪の毛を平然と整えている。様子を見る限り、僕よりもよっぽど高い精神力の持ち主らしい。
九条さんのリクエストに応えて、次なる絶叫系の乗り物に乗り込む。それが終わると、おどろおどろしい外観が目を惹くお化け屋敷へ。図らずも、様々な恐怖に対する耐性をテストする形となった。
結果、分かったことは二つ。一つ、九条さんは精神的に非常にタフだ。一つ、僕は不意打ちで脅かされるのにはとても弱い。
僕たちは気の向くままに園内を逍遥し、アトラクションを楽しんだ。九条さんは表情や声こそ抑揚に乏しいが、瞬間瞬間を楽しんでいるのが伝わってきた。自惚れた言い方が許されるならば、僕だからこそ分かった。無表情でも、平板な声でも、こちらが発するどんな言葉に反応するか、どのように反応するかによって、おおよその精神状態を量れることを、経験から僕は知っている。
僕に歩み寄ろうという意思を、九条さんがどの程度持っているのかは定かではない。しかし事実として、僕たちの距離は着実に縮まっている。
僕の実力というよりも、時間という、強力な助っ人のおかげによるところが大きいのだろう。そうだとしても、その事実は、体が打ち震えるくらいに嬉しいことだ。
園内にあるレストランで昼食をとったあとも、僕たちは実年齢よりも子供になって遊んだ。選り好みをしなければ、丸一日つぶせるだけの数のアトラクションが用意されているのは、幸いだった。
「遠藤くん、ごめん」
そろそろ残り少なくなってきた、まだ乗っていないアトラクションの一つを目指している道中、九条さんが会話の流れとは無関係の言葉を吐いた。怪訝に思いながら振り向いて、ますます驚いた。彼女は僕の右隣ではなく、近くに置かれたベンチの前にいたのだ。
僕が見ている前で、九条さんは緩慢な挙動でベンチに腰を下ろし、無音の息を吐いた。
すぐさま駆け寄り、腰を屈めて顔を覗き込む。九条さんは直視されるのを嫌がるようにそっぽを向いた。
「九条さん、大丈夫? まさか、熱中症?」
「違う。ただ、少し歩き疲れただけ。休憩がしたくて」
「……そっか。そうだよね。お昼を食べてから、ずっと歩きっぱなしだったもんね。一日で一番暑い時間帯なのに」
暑いという単語を口にした途端、頬を滑って顎まで到達した大粒の汗を、したたり落ちるよりも早く手の甲で拭い取る。空を仰げば、視界に映るのは九割以上が青。直射日光は肌を刺し貫くようだ。
順番待ちの列に並んでいる間、「暑いね」の一言は高い頻度で交わしてきた。危険な暑さだという認識は、互いにしっかりとあったと思う。それでいて、その事実を軽視するような行動をとってきたのは、二人で過ごす時間の楽しさにはしゃぎすぎた、ということなのだろう。
運動不足に陥りがちなインドア派ではあるが、人並みの体力を持っている僕は、多少無茶をしても平気でいられた。しかし、九条さんはそうではなかった。
当たり前だ。九条さんは、こんなにも体の線が細い人なのだから。多少鬱陶しがられるくらいに頻繁に、水分補給を促したり、日陰での小休止を提案したりするべきだった。配慮が足りなさすぎた。
僕は身勝手すぎる。初めて二人で遊びに行くと決まったとき、炎天下を歩かなければならない河原を行き先に選んだことなんて、まさにそうだ。思い出の場所に久しぶりに行ってみたい。そんな自分本位な理由から、九条さんに不要な負担を強いた。彼女が希望した「静かな場所」に該当し、みだりに体を動かさずに済む場所なんて、頭を働かせればいくらでも見つかっただろうに。
罪悪感と、自分を情けなく思う気持ちが、強固に手を結んで僕を苛む。努めてさり気なく、痛む胸をシャツ越しに握りしめる。
「とにかく、休憩した方がいいね。飲み物を買ってくるよ」
「喉は渇いてないけど」
「でも、水分補給はした方がいいよ。僕も飲みたいし、とりあえず買ってくる。なにが飲みたい?」
「任せる」
「オッケー。それじゃあ、ちょっと待っててね」
飲料の自動販売機を求めて移動を開始する。最初、汚名を返上しなければ、という思いで頭がいっぱいだったが、それは間違いだとすぐに気がつく。
僕の失敗なんてどうでもいい。優先するべきは九条さん。彼女を一秒でも早く、今よりも楽にしてあげる。そのことだけを考えて行動するべきだ。
アイスクリームやジュースを売っている店を見かけるたびに、やっぱり店に入った方がよかったかな、と悔やむ気持ちが芽生えた。炎天下と、空調がきいた屋内の差は大きい。九条さんが一歩も歩けないほど弱っていないことを考えると、なおさら悔やまれる。
従業員に自販機の場所を尋ね、探す時間を短縮した。好みが分からないので、スポーツドリンクとオレンジ味のジュースを一本ずつ購入する。
「遠藤くん!」
踵を返そうとして、名前を呼ばれた。ただ呼び止められるのではなくて。
振り向くと、クラスメイトの井内さんだった。
見慣れた制服姿ではなく、夏らしい純白のワンピースという出で立ち。飲み物を両手に立ち尽くす僕のもとへ、裾を揺らしながら駆け寄ってくる。
「遠藤くん、こんにちは」
教室で顔を合わせたときのような、気さくで、明るくて、気負いがない挨拶。明らかに速まった鼓動を意識しながら、「こんにちは」とおうむ返しする。白いワンピースとの対比で黒髪が、黒髪との対比で白い肌が、やけに艶めかしく見える。飲み物を探して歩いている間は治まっていた汗が、思い出したように肌のあちこちから噴き出し始めた。
「遠藤くんも来てたんだ。いつから?」
「開園に合わせて、だけど」
「あっ、そうなんだ。私は開園一時間後くらいからなんだけど、全然会わなかったね」
「そうだね。敷地、そこまで広くないんだけど」
もしかすると井内さんは、僕と九条さんが行動を共にする一部始終を、秘密裏に監視していたのでは? 性格的に絶対にあり得ないと思うが、そんな可能性が胸に浮上し、粘性のある雫が首筋を滑り落ちていく。
「えっと、井内さんは遊びに来たんだよね」
「そうだよ。遊びに来る以外の目的で遊園地に来ることって、あまりないんじゃないかな」
「あ……そうだね」
「遠藤くん、わたしに声をかけられて驚いているみたいだけど、そんなに意外かな? 中学生のときから、夏休みになるたびに一回は遊びに来ているんだけど――って、その事情を遠藤くんが知っているわけないよね」
井内さんの微笑みは無邪気そのものだ。
そう、遊びに来ただけ。夏休みだから。毎年来ているから。言い分に不自然さはない。井内さんはありのままの事実を正直に口にした。それは絶対的な真実だ。
ただ、なぜなのだろう、さっきから汗が止まらない。相槌を打つかのような頻度でそれを拭っている僕がいる。
「もちろん一人で来たわけじゃなくて、友達と四人でだよ。クラスが違うから、多分遠藤くんは分からないんじゃないかな。ほら、あそこにいる」
上体を捩じって後方を指差す。建物が作る陰の中に三人の少女が佇んでいて、こちらを窺っている。
「遠藤くんは二人で来たんだよね。誰と来たの? 友達? それとも――」
「えっ? なんで分かったの?」
「だって、飲み物二つ持ってるじゃない」
「あ……そっか。そう、だよね」
「ていうか、連れの人が待っているのに、引き留めてごめんね。またね!」
顔の横で手を振り、駆け足で友人のもとへ帰っていく。
僕は井内さんから視線を切り、九条さんのもとへ引き返す。待たせているから、早く合流したい。それもある。それももちろんあるのだが、それ以上に、井内さんの行動をこの目で見るのが怖かった。
友人と合流したあとで、僕がどんな人間なのかや、挙動がどこか不自然だったこと、第三者に知られたくない誰かと二人で来ているらしいこと――そういった情報を伝えるために、友人たちと顔を寄せ合う。そんな光景は、見たくない。
結局、僕はどこまでも空気なのだ。目立ちたくない。他人と違う行動をとりたくない。九条さんという異質な存在とは平気で付き合えても、そのことを他人に知られるのは嫌だ。二人だけの秘密にしておきたい。
親しい人間との時間を二人占めにしたい欲求は、誰であっても抱くものだろう。しかし、僕の場合はそれだけではない。そう認めざるを得ない。
九条さんを早く楽にしてあげたい、という思いを失念していたことには、彼女が待つベンチが進行方向に見えるまで気がつかなかった。
「ごめん。自販機の場所度忘れしちゃって、時間かかった」
九条さんのもとに戻っての第一声がそれだった。
「奢ってもらう立場なのに、気にしてないから。もともと飲みたいわけじゃないし」
「そっか。でも、しつこいようだけど、水分補給はしておいた方がいいよ」
「分かってる」
飲料を手渡すと、淡々とプルタブを開けて唇をつける。水分を摂取する必要性が高いのはむしろ、動き回って大量の汗をかいた僕かもしれない。甘く冷たい液体を喉へ流し込むと、心が漸く落ち着きを取り戻し始めた。
九条さんが再び歩き出せる元気を回復してくれたので、井内さんに遭遇した一件はひとまず忘れることができた。
事前に約束は交わしていなかったが、締めくくりに乗るという暗黙の了解があったように思う。
「じゃあ、観覧車に乗ろうか」
「そうだね」
だからこそ僕はそのアトラクションを最後まで取っておいたのだし、九条さんは提案を即座に了承したのだろう。
密室で二人きりになったが、意外にも緊張感が爆発的に高まることはない。九条さんがあまりにも平然としているからか。観覧車に乗ったらこんなことをしたい、話したいという、具体的なプランを僕が持っていないからか。フィクションの世界では特別なアトラクションとして描かれることが多いが、現実はこんなものなのかもしれない、とも思う。
ゴンドラに乗り込んでしばらくは、窓越しの景色を言葉少なに楽しんだ。覗く窓は同じときもあれば、別々のときもある。自分の目に留まったものを見てほしくて、問題の方向を指差しながら呼びかけると、九条さんは素直にそちらに注目を移してくれた。対象が存在する方角によっては、大胆に体を寄せてきた。
物理的に近づいたことにより、視覚で景色を捉えながらも、意識は彼女へと惹きつけられた。微かな息づかい。髪の毛から漂ってくる微かな甘い香り。そして、存在感。しゃべる傍ら、それら全てを味わい尽くした。
九条さんは対象を満足がいくまで見ると、すぐに僕から体を遠ざける。面と向かって指摘はしないが、下心を見透かされている気がして、そのたびに自分の卑小さに嫌気が差す。それでも僕は、あれを見て、あそこにあるのはなんだろうと、彼女を振り回すのをやめられなかった。すぐに離れていってしまうのだとしても、呼びかけに応じてくれる。体を近づけてくれる。それが堪らなく嬉しかった。
ゴンドラが上昇するに従って会話の種は枯渇していき、話は途切れがちになったが、気まずさは密室の中には忍び込まない。僕たちは静けさを愛しているし、それに、遊園地で過ごしたかけがえのない時間を反芻するために、この場所ほどうってつけな環境はない。あれを見て、それも見てと、九条さんに指図まがいのことをしていたのは、この時間を味わうための下準備のようなものだったのかもしれない。そんなふうにも思う。
あるいは、さらにその先を見据えているのか。
「今日の遊園地、どうだった? 楽しめた?」
そろそろ頂上かという地点で、僕はおもむろに切り出した。窓外を眺めていた九条さんの顔が、ゆっくりとこちらを向いた。
「毎回同じことを聞くんだね。脅迫的」
「そうかな? 最後に感想を訊くのは普通だと思うけど」
「冗談だから。楽しかったよ。楽しかったか楽しくなかったかの二択でいえば、明らかに前者」
「ほんと? よかった」
「私、人混みが苦手って言ったでしょ。入園ゲートをくぐった瞬間、ああ、多いな、と思って」
「そうかな」
「私的にはね。でも、それなのに楽しかった。楽しいから嫌なことにも目をつぶれたというよりも、嫌なことがすぐ傍にあるけど気にならなかった感じ。今までこういう体験をしたことがなかったから、楽しいってこういうことなんだなって、身をもって知ることができた」
九条さんのしゃべり方は心なしかゆったりとしていて、今まさに言及している感情を噛みしめているかのようだ。
「九条さんは多分、うるさい場所というよりも、周りに人がたくさんいるのが好きじゃないんだろうね。だから、たとえば僕がしゃべっていても、九条さんにとって気に障らない話題で、こういう二人きりのシチュエーションであれば、全然オッケー。逆にいえば、静かな環境でも人がたくさんいるのは、九条さん的にはアウト。そういうことなんだと思う」
「随分と自信ありげね」
「うん。九条さんと付き合う中で、だんだん分かってきたから。九条さんは感情を表に出さないけど、返した言葉とか見せた仕草なんかで、どんなことを考えているのか、どういう意図でそんな真似をしたのか、みたいなことが。もちろん、百発百中とはいかないけど」
気持ち悪い、とかなんとか、辛辣な言葉をかけられるかとも思ったが、言い返してこない。広いとはいえないゴンドラの中は、安らかな静寂に満たされている。
観覧車は頂を通過し、地上へと向かう。形だけ窓外の景色を眺めながら、これまでにフィクションの世界で見てきた、胸高鳴るシチュエーションが再現されることを、僕は淡く願う。一方で、その可能性は限りなくゼロに近いと理解してもいる。ゴンドラはやがて地上に帰還し、ゲートを潜って遊園地を後にして、路線バスに乗って駅に戻り、解散。僕たちを待っているのは、甘酸っぱさが香る肉体的な触れ合いではなく、その未来だ。
でも、今はそれでも構わない。今日は一日楽しい時間を過ごせた。そして、今後も彼女との親密な付き合いは続いていくのだから。
僕は気がついている。九条さんは僕と一緒に遊ぶようになって以来、僕が九条さんを殺すという予知について、一言も話さなくなったことを。
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