心の行方

2/2
前へ
/6ページ
次へ
 考えてみてくださいと木河は微笑み、お近づきの印にと紫の星が付いた月のキーホルダーを結城の手元に置いて帰っていった。  頭がぼんやりしている。見たくないものに無理やり向き合わされたような気がした。余計なことを言わず、笑顔でやり過ごせば万事うまくいくと信じていたのに揺らいでいる自分がいる。木河は何度もこの会社に潜り込んでいたという。自分も部下も。誰も声をあげないことに憤っていた。行動を起こさないことにもどかしさを感じていると悔しそうだった。本気で心を痛めているのが伝わってきた。でも、クビになったらどうするの? 見せしめに何をされるかわからないのに。他の人が巻き込まれたら? 自分が嫌な思いをするのも、親しい人が傷つくのも見たくない。それくらいなら我慢できる内はやり過ごせばいいと思ってしまう。それが最善なんだと。  結城はキーホルダーをポケットに突っ込んで自分の頬を挟むように叩いた。いつも通りの笑みを浮かべて戻るんだと気合を入れてフロアに足を踏み入れた。もう30分もすれば定時だ。今日はさっさと帰って気分転換にお店でも見て回ろう。そこに浅井が焦りの滲む顔で駆け寄って来た。  「結城さん! 戻って早々だけど香崎さん見なかった!?」  「見てないけど、どうしたの?」  「トイレに行くって言った後、戻ってこないんだ、30分以上」  「郵便回収ついで立ち話しているとかは?」  「思い当たる場所は全部行ったんだけど……」  結城の胸にも嫌な予感が広がっていく。いつも強気で明るくて皆を励ましてくれる香崎の笑顔。もし何かあったとしたら……。  「万が一の飛び火を考えてシマだけで探しているんだけど、結城さんも手伝ってくれるかな」  「もちろん」  緊張に強張る顔で踵を返す。折原も隣のシマに留守を頼んでフロアから出てきた。見送る視線が多い。皆が心配していないわけじゃないのだ。  「結城さん、浅井さん、課長一派がいなくなっている。気を付けて」  「はい」  結城は2人でと指示される前に駆けだした。少ない人出で動きをさらに減らしたくなかった。人気が無く人が入れるところに限定して会議室やボイラー室を片っ端から見て回る。4階まで行ってくぐもった呻き声が聴こえた気がして足を止めた。足音を忍ばせて奥の備品室に近付く。鈍い音とくぐもった悲鳴と新見の声がする。他にも何人か男がいるようだ。  「人事にメール送るなんてなぁ、撤回しろこのブス」  「課長、全員でやっちゃえばおとなしくなるんじゃないですか?」  「苦痛と快楽地獄って?」  「撤回して言うこと聞くなら許してやるぞー?」  「そんなにやられたいかー」  早く助けを呼ばなければと思うも一刻の猶予もないのがわかる。抵抗して暴れる音と暴力の音、下品な笑い声。早く何とかしなきゃ、香崎が大変なことになる。いや、もうなっている。焦りが募るほど動かない体に結城は苛立つ。  なんで……なんで動かないの。早くなんとかしなきゃ。手に痛みが走って体が震えた。いつの間にかポケットに入れていたキーホルダーを握り締めていたらしい。右手に血が滲んでいた。自嘲の笑みが浮かぶ。  こんな意気地なしがヒーローになんてなれるわけないじゃない。抵抗をやめていれば一番マシになるなんてこの期に及んで考えている大バカ者が……じゃあ、このまま逃げるの……? じわりと熱い気持ちが湧きあがってきた。嫌だ。逃げたくない! あんな奴ら、許したくない‼  キーホルダーを握った拳を備品室の扉に振りあげた。香崎を助けたい。ただそれだけ。刹那、強い光が爆発した。
/6ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加